【英語版】https://i-rich.org/?p=2388
国際歴史論戦研究所
会長 杉原誠四郎
今回の政争は韓国の現行憲法の欠陥に基いて起こった
2025年6月3日に行われた韓国大統領選挙では、大方の予想どおり、共に民主党の李在明が当選し、翌日韓国大統領に就任した。
思うに端的に言って、2024年12月3日に尹錫悦前大統領の戒厳令を宣布したことによって端を発した今回の政治騒動は、偏に、現行の「大韓民国憲法」の欠陥に基づくものだった。
4日、国会で戒厳令解除を要求する決議がなされ、尹大統領は直ちに戒厳令の解除を行ったが、その後14日、国会で弾劾訴追の決議が行われた。もしこの弾劾訴追が、日本の「日本国憲法」における不信任決議と同じようなもので、大統領側に国会の解散権があって、国会を解散させ、そのうえで総選挙が行われ、そして新しく選ばれた国会議員によって大統領として信任されれば大統領を続けるし、再度不信任が突きつけられれば大統領として失職するという制度であれば、今回の政争は、国民の意思によって整然と解決していたはずである。
このように見れば現行憲法には奇妙な規定がある。韓国の現行憲法にはいわゆる人権規定などでは進んでいると見える規定も多々あるが、例えば、第84条に大統領の内乱罪、外患罪の規定がある。大統領に、第76条で内乱と外患に対して緊急命令を発し、第77条では国家非常事態に対して戒厳令を宣布する権限を与えているとすれば、何ゆえに内乱罪の規定があるのか。内乱罪とは政権を奪取する目的を持って国内に争乱を起こす罪のことをいうのではないか。政治権力の掌握者であり、緊急命令や戒厳令を発する権限を有する大統領が、どうして内乱罪で追及されなければならないのか。今回の戒厳令に発する争乱で、警察が騒乱罪で大統領を取り調べているが、本来、法治主義の原理からしておかしいのではないか。
もともと、この憲法に従って、共に民主党が発議した弾劾訴追案は尹大統領下で31回に達する。1987年この憲法が施行されて38年間で、尹大統領以前に発議された回数18回と比べると、尹大統領の下でいかに弾劾訴追案が発議されたかが分かる。そのため尹大統領が警告のためとして戒厳令を宣告したのは、法的にも政治的にも不適ではあったが、心情的には分かりうるものがある。
司法重視の韓国の現行憲法の誕生
韓国では朴正煕大統領、全斗煥大統領と、軍事政権を経て、1987年6月民主化宣言を行い、1948年7月12日に制定の「大韓民国憲法」以来、9次にわたる改正を経て1987年10月29日、10度目の憲法として現行憲法ができた。そして12月、大統領選を行い盧泰愚大統領が誕生し、以後、今日まで選挙で選ばれた大統領が続いていた。
そのような政治的な歴史のもと、尹大統領が戒厳令を宣告したのであるから、韓国国民がこの戒厳令に賛意を寄せなかったのは当然といえる。
が、この憲法は、軍事政権を警戒しすぎてか、あまりにも司法に頼りすぎ、不適切な憲法であった。法治主義の三権分立の原則を超えてあまりにも司法の采配に頼りすぎ、三権分立の原則から逸脱してしまっていたのだ。本来、国民の政治意思に基づいて政治的に解決しなければならない問題を、法の正義、法の正しい解釈を行うことを使命とする司法に頼って解決しようとして、逆に国民の分裂を招いたのだ。
結局、現行憲法のもと、尹錫悦前大統領は昨年12月3日戒厳令を宣布し、14日に国会が弾劾訴追を可決し職務停止となり、4月4日、憲法裁判所が罷免を決定し、そのために6月3日に大統領選挙となった。
他方、野党「共に民主党」の李在明はといえば、公職選挙法違反容疑に対して、大法院(最高裁)は5月1日、無罪を宣告した原審を有罪であるとして破棄したので、李在明は大統領選に出られなくなりかけたが、差し戻された高裁は7日、公判期日を5月15日の大統領選の終わった後の6月18日に延期した。そのことによって李在明新大統領は大統領選に出ることができるようになり、そのことによって大統領になることができた。結局、李在明新大統領の誕生も、尹錫悦前大統領の大統領罷免も、国民によって選ばれたわけではない裁判官の手によって決定したことになる。
韓国国民は司法問題を中心に憲法改正を望んでいる
幸いにして、韓国国民は賢明にして、大半が憲法改正を望んでいる。裁判所に対する不信感は強く、司法制度の改革を中心に憲法改正を望んでいる。今回の大統領選で、与党「国民の力」も野党「共に民主党」も憲法改正を政策に掲げているが、国民のこのような意向を受け入れて司法制度の改革を中心に憲法改正に臨んでいただきたい。
そこで司法とは何か。「法の支配」「法治主義」の下における三権分立としての司法の役割は何かを考えておきたい。その究極の役割りは、成文法は成文に従うのは当然であるが不文法にあっても、訴訟を通じて法の最終解釈権を行使することにある。そしてその解釈権に基づく解釈は同種の案件に対しては実質的に同一の判決を出すものという前提がある。
そうした司法行為は政治ではなく法の解釈であるから、裁判官は選挙によって選ばれるのではなく一定の資格を有する者に委ねられるのである。そして訴訟を通じて同一の案件には同一の判決を下すために、地方裁判所から最高裁判所へと三審制度を取るのである。
司法には成文の最高法規たる憲法に従うが、そのために立法機関が違憲の法律を制定した場合、違憲立法であることを宣し、当該法律の効力を否定する権限が与えられているが、それも原則的には、訴訟による。韓国の現行憲法第13条には遡及立法により参政権と財産権は遡及されて剥奪されないとあるが、もしそのような法律が制定されれば、それによって利益を奪われる者が訴訟を起こし、その訴訟によってその立法を違憲立法として効力を停止し、憲法及び法律の解釈につき最終解釈権を行使していることを明かすのである。
このように見れば、司法は、政治の対極にあるものなのであることが分かる。しかるに現行の韓国憲法は、政治的に解決すべきことにいともたやすく裁判所の判断にゆだねたのである。
司法権とは何かについて、もう一点、「統治行為論」なるものを見ておかなければならない。行政を担当する行政府には、たとえ成文法に根拠がなくても、国家の緊急事態において戒厳令ないしそれに類するものを発する権限がある。例えば、韓国で北朝鮮から軍隊が侵入してきた時とか、韓国の領土の大半で地震が起きてそれに対処しなければならない時とか、戒厳令を含むこうした命令は出しうると考えるのが、「法の支配」「法治主義」の下での正しい考え方である。
韓国の現行憲法では、第76条で内憂・外患天災・地変等に対して緊急命令を出してよい規定があるし、第77条では国家非常事態において戒厳令を出すことができるようになっている。
今回の尹錫悦前大統領の昨年12月3日の戒厳令の宣布は、この条文による合憲行為か、違憲行為かは見解の分かれやすいところだが、厳密に見れば両方に見える。戒厳令を布くに値する状態はなかったことで、その点で実質的に違憲行為と見なされうる。が、国会の不同意によって直ちに戒厳を取消し、12月14日には国会の弾劾訴追の決定によって職務停止に従ったのであるから、形式的には憲法に従って行動したということになる。とすれば政治的に不適切な戒厳宣布であるとしても、それは国会の不承認によって処理されるべきものともいえる。したがって形式的には合憲行為だったとも解釈できるのだ。もっとも、尹前大統領は国会議員も拘束しようとしていたようだから、その点で尹前大統領の戒厳令宣布には違憲行為の部分もあったといえなくはない。
司法の役割を考えるとき、もうひとつ、「統治行為論」という考え方を取り入れておかなければならない。成文法に根拠があるなしに関わらず、行政には統治に関して特別な役割があるというのが「統治行為論」の考え方がある。いわれてみれば決して否定できない考え方である。
日本では1959年12月、いわゆる砂川事件という事件の判決に関わって当時の最高裁判所長官で法学者の田中耕太郎が強く唱えたものだ。日本の憲法では文理的に解釈すれば第9条によって「戦力」を持たないことになっているが、さらに文理解釈を推し進めれば、それは外国の軍隊を駐留させることも違憲となる。したがって日米安保条約を結んでアメリカの軍隊を駐留させていることも、それは「戦力」を国内に置くことになるから違憲だということになる。このとき田中耕太郎はどのように判示したか。
田中はこの件についての合憲か合憲でないかのかの判断は司法裁判所の判断になじまないものであるとして、合憲とも違憲とも示さなかった。すなわち国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときは、それが訴訟となり合憲か合憲でないか判断可能な場合であっても、そうした問題は裁判所の審査権の外にあるとしたのである。
つまりは司法の役割は、訴訟を通じて法の最終解釈権を行使するのが役割であるが、それでもまだ政治に関することで司法の判断の外にあるものがある、と判示したのである。司法に関する極めて重要な判断といわなければならない。
韓国の現行憲法の場合、1987年6月民主化宣言を行い、民主主義を守ろうとしたのは敬すべきであるが、「法の支配」「法治主義」の下の憲法として司法の役割について、「統治行為論」の場合も含めて不適切な役割を担わせていたのである。つまり簡潔に言えば、国民の意思に基づいて、政治的に解決しなければならないことを、法の正しい解釈を求める司法に委ねていたのだ。
今回の選挙戦を通じて与党「国民の力」も、現在は与党となった選挙戦中の野党「共に民主党」も憲法改正を政策に掲げている。が、司法の問題を掲げる改正案は少なかった。大統領の5年任期の1期制の規定など、他にも改正すべきところは多数ある。が、韓国憲法の最も誤っているところは国民の意思に基づいて政治的に解決しなければならないところを、司法によって解決しようとしているところだ。そこのところを解決しなければ、韓国の政治の安定は生まれてこないであろう。
憲法改正に当たっては「法の支配」「法治主義」の下で法とはどうあらねばならないか。そこから憲法はどうあらなければならないかの視点が必要だ。
その観点から見ると、韓国の法秩序、憲法秩序には、さらに、特定事項限定の立法の禁止の原則、遡及禁止の原則に関わる観点が必要だ。
「支配」の名に値する支配とは「法の支配」しかないというときの「法の支配」「法治主義」の下では、特定個人に適用するためだけの立法は許されない。絶えず一般法の建前を守っていなければならない。まして特定個人の不利益になるような立法は「遡及禁止の原則」が厳しく適用されていなければならない。つまり、個人の不利益に関わる立法は、立法以降に生じた案件にしか適用できないという「遡及禁止の原則」が守られていなければならない。この原則が守られていなければ、「法の支配」「法治主義」を崇めている国家とはいえない。韓国にあって、まさに世界をリードする国家として、法に関わる立法、行政、司法の関係者は、このことを厳しく認識し、韓国をして世界で最も優れた近代国家の1つにしていかなければならない。
韓国の政界の2党構造
韓国の現行憲法第8条には、政党の目的や活動が民主的基本秩序に反すると判断されるとき解散させることができるという規定がある。判断するのは憲法裁判所である。韓国の場合、北に共産主義の同胞国家が控えており、それへの警戒が避けられず、親北で共産主義を信奉する政党は許されないことになるから、このような規定が憲法にあるのはいちおう仕方がないということになるだろう。が、その結果、政界の構造にどのような結果が生まれるであろうか。共産主義政党が存在しないという政界構造では、結局、アメリカのように保守と非保守、リベラルと非リベラルというようなわずかな違い有しながらの2大政党制が事実上定着するのではないか。日本でも、戦前、共産党が非合法であったとき、政界は政友会と民政党とが主要2大政党となり、バトルを繰り返し、健全な政党政治を打ち立てることができなかった。その一つの理由は、共産党が非合法で、共産党的な動きは高等警察など世間で見えないところで弾圧していたので、政界で共産党に対する緊張をする必要がなかったからである。
戦後の日本の政界は、共産党も暴力革命を期さないかぎり、合法であり、多くの政党は共産党との距離で、政権担当能力が問われることになり、その点で共産主義への警戒が日ごろから政界にあり、結果として1つの保守系の現実路線の自由民主党が長期にわたって政権を担うという結果になっている。
韓国にあっては、結局は2大政党で安定する以外にはないであろう。とすれば政権交代のたびに前政権を罵倒し、政権を担ったものを貶めるのは止めた方がよいであろう。その点で、司法の手助けによって大統領となった李在明は、6月4日の大統領就任演説で「分裂を終わらせる」と言っている。そのためには尹錫悦前大統領の戒厳令を宣布は、Ⅰ種の憲法行為として許すべきであろう。この通常では考えられない戒厳令宣布が、李在明新大統領にとって敵失であり、オウンゴールであったことも考慮して寛容に対応するのが肝要であろう。大統領在任中は起訴されず裁判は停止するなどの自己に有利な立法は許されてよいが、「法の支配」「法治主義」のもと、許されない立法は進めてはならないであろう。
そして分裂を解消させるための憲法改正に取り組んで欲しい。そのためには大統領の任期が4年任期の大統領制であっても、米国のように、国会の議員の半数が中間選挙で選ばれ、大統領の政治が、たえず国民の意思で調整されるようにしておく必要がある。
日本から見た期待
繰り返すが、李在明新大統領は、6月4日の大統領就任演説で、国内では対立を解消すると言い、そして対国外に向かっては実用的な外交を展開し、日米韓及び日韓の関係を重視すると言った。もしかすれば、本当にこのようになるかもしれない。日本にあって明治維新の時だが、大義の前に、厳しく対立していた薩長による薩長同盟ができたように、李在明大統領は大化けして、韓国の政治史で繰り返されてきた前政権への報復というのを止め、真に偉大な大統領となり、韓国国内の対立を解消する大統領になっているかもしてない。本人も5件の刑事事件を抱えている大統領であるが、韓国の国内の対立を解消した偉大な大統領として、次期大統領によってこれらの刑は永遠に不起訴にするという恩赦を受けるようになるかもしれない。
が、李在明大統領の支持基盤には、対日問題で、徴用工、慰安婦問題を持ち出して再び反日カードを切ろうとする勢力がマグマのように存潜在している。何かの拍子にそれが噴出して、再び日韓関係は氷のように凍結してしまうことも予想される。だとしたら、日本としては、李在明政権で、いささかでもその反日カードを切るような兆候が見られたら、直ちに経済や外交の友好関係を凍結し、李在明大統領にそのカードをほんのわずかであっても切らさないようにしなければならない。それは結果としては李在明大統領自身のためにもなることだ。
現在、日韓はともに出生数の減少に苦しんでいるが、世界的にはある意味で、お互いに最先端の国になっているのだ。平均寿命は日本がいちばんで韓国は3番となっている。そのように互いに世界の最先端を行っている国が、さしたる根拠もなく反日政策を取り、反日感情に溺れてしまうのは極めて残念なことである。1910年の日韓併合が韓国の植民地化であったというのは、韓国国民にとって、1つの歴史認識として許されようが、それは日本による一方的搾取ではなかった。第2次世界大戦が終わって、韓国が1つの国家として再生となったとき、韓国には日本統治の下で日本が残したさまざまな制度が残っていた。警察機構も含めて、壮大なる官僚機構が残っていた。今日の近代化し世界の最先端の国になったことを見てみれば、こうした日本統治の正の遺産がどれほど貴重なものであったかということになる。そのことを感情から離れれば容易に客観的に認識できる段階に至っているはずである。
それに戦後の韓国における反日感情は、歴代政府があえて反日教育で育んだ故のところもある。現在の韓国はその反日教育からもたらされた反日感情の部分もあることを認識できる段階に至っている。韓国の名誉としても反日感情からは脱皮していかなければならない段階に至っている。
現在、韓国は、北朝鮮、中国、ロシアと、核保有の専制国家と対面する関係に地政学上なっている。韓国、日本、米国、そして台湾という民主主義国家は人類普遍の民主主義国家として助け合わなければならない関係にある。とすれば、もはや反日カードなど持ち出す状況ではない。版一カードを少しでも切り出せば、日本は直ちに友好促進政策を凍結するようにしていかなければならない。李在明政権に少しでも反日カードを切る兆候が見えたら、直ちに友好関係を凍結するように出ることは、日本にとっては当然よいことだが、韓国、そして李在明新大統領自身にとってもかけがえのない必要なことであり、よいことなのだ。そして李在明大統領をして韓国の歴史に残る最上の大統領になるのを手助けしていくのだ。
以上のことは決して日本から上から目線で語っているのではない。日本でも司法がおかしくなっている。最高裁も判断能力の劣化が著しく進んでいる。私は日本の司法界にも憂いを抱いており、また「日本国憲法」の改正も望んでいる者である。