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溝口郁夫(ゲスト・フェロー)

「南京大虐殺」があったとの立場で、多くの著書を発行し続けている歴史学者に笠原十九司氏がいる。数多いた「虐殺あった派」の大方は亡くなり目下、笠原氏が孤軍奮闘という状況にある。

笠原氏は、岩波新書『南京事件』を一九九七年に出版し、二十八年後の二〇二五年に改訂版を出版した。笠原氏はこの『南京事件』のPRを兼ねて、新聞『赤旗』(二〇二五年八月十三日)に登場し、次のように述べている。

「参院選では南京大虐殺はなかったと繰り返す日本保守党の百田尚樹代表も当選しました。平気でそんなフェイク(偽情報)を広める党が台頭する日本の現状は危うく、恐ろしい。」。

このたび、笠原氏の前述の著書に、重大な「フェイク」が見つかった。その詳しい内容は、先ごろ発売された月刊誌『Hanada』(令和八年七月号)に、「岩波新書『南京事件』への重大疑惑」と題して紹介されている。

(1)文章のフェイク(改竄)

南京城内に設置された安全区内にある金陵女子文理学院で難民の保護、教育に携わったヴォートリン女史の書いた日記(十二月二十五日)を、笠原氏は出典を「ヴォートリン文書」と称して、次のように記述している(なお、初版と改訂版は一字一句変わっていない)。

A―『南京事件』の記述:「クリスマスがきた。街にはいぜんとして殺戮、強姦、略奪、放火が続き、恐怖が吹き荒れている。ある宣教師は”地獄の中のクリスマスだ“と言ったとヴォートリンは日記に書いた。(「ヴォートリン文書」)」

しかし、『ヴォートリン日記』の英文を和訳すると以下である。

B―英文原書の記述:「今日のクリスマス・ディナーで、サール・ベイツは『地獄のクリスマス』という記事を書こうとしていたと言った。金陵では、実際は地獄のクリスマスではなかった。むしろキャンパスで天国のようなひと時を過ごした。」(Google訳)

 笠原氏が多くの頁を使って解説を加えた、『南京事件の日々』(一九九九年、大月書店)に掲載されたクリスマスの日(十二月二十五日)の記述は以下である。

C:「クリスマス-ディナーのときにサール・ベイツが、「地獄のクリスマス」と題して記事を書いているところだ、と言った。実際のところ、この金陵女子文理学院ではそのようなことはない。このキヤンバスは多少なりとも天国である。」

BとCは、ほぼ同じ内容である。これとAとの違いは次の三点となる。

  • 「ある宣教師は”地獄のクリスマスだと言った”」というのは不正確であり、「サール・ベイツが“地獄のクリスマス”という記事を書こうとしていた」というのが正確である。
  • それどころか、「金陵では実際は地獄ではなかった。むしろキャンパスで天国のようなひと時を過ごした。」が原文の主意である。天国から、全く逆の地獄へと誘導しているのである。
  • 原文には「殺戮、強姦、略奪、放火が吹き荒れている」という言葉は全くない。

ところが、笠原氏は、イエール大の保存庫の片隅にあった、誰がいつ編集したか不明な「ヴォートリン文書」(整理番号・RG11 BOX145 FILE2876)に、この「殺戮、強姦、略奪、放火・・・」なる文言を見つけ出し、自説の正当性の根拠としているのである。歴史学者であれば、素性のはっきりしている一次資料の『ヴォートリン日記』を優先すべきなのである。笠原氏の主張は改竄もどきというべきであろう。

(2)写真のフェイク(改竄)

岩波新書『南京事件』(一九九七年版)に掲載された写真の原本は、『アサヒグラフ』である。笠原氏は、その写真の説明で次のように①から②へ重大な改竄を行っていた。

  • 『アサヒグラフ』(一九三七年十一月十日号)の説明:

「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群れ」(十月十四日熊崎特派員撮影)」

  • 『南京事件』の説明:

「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち 国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』(一九三八年刊行)所載」

①にあるように、日本兵は農作業から帰る女子供を「護衛」しており、これを笠原氏は「日本兵に拉致される」と、真逆に解説しているのである。

また、写真の左端に映る「農作業から帰る女子供」の表情には笑顔さえ見えるのであるが、笠原氏は、左端に「ハレーション」を付け、女子供の表情を分からなくしているのである。

これと同じ写真は、『南京事件』の二年前に出版した笠原十九司・鈴木亮共著『写真記録・日中戦争』(4巻、一九九五年、ほるぷ出版)にも掲載されている。写真には、全く「ハレーション」は見られない。

ところで、岩波書店の『図書』(一九九八年四月号)に、笠原氏はお詫びを書きハレーションにも触れている。

「『日寇暴行実録』は、私が一九八四年の夏にアメリカのスタンフォード大学フーバー研究所東アジア文庫で見つけ、上記写真を私のカメラで複写した。ハレーションがあるのは、素人の技術ゆえで、秦氏が『諸君!』に書かれたような意図的なものではない。」

この『日寇暴行実録』の原本の写真を、スタンフォード大学において複写した東中野修道氏、およびカメラで撮影した松尾一郎氏の「写真」には全くハレーションは見られない。笠原の「素人の技術ゆえ」は言い訳にすぎない。嘘を言っているのである。繰り返すが、笠原氏は「ハレーション」のない写真をもっていたのである。

さらに『図書』には、「歴史学は、史料批判を積み重ねながら、より真実の歴史像に迫っていくことが要求される。写真史料も同様に、より検証された写真を用いて歴史の真実を明らかにしていくことが求められる。」とあるが、「検証された写真」を用いていないことは歴然としている

(3)むすび

今回の『南京事件』の改竄問題は、推理作家石井竜生氏の文章への疑問から始まった。同書には、「フェイク」と判断される箇所が多々あり、今回の改竄は氷山の一角にすぎない。岩波書店への質問は、さらに継続されることになっている。

本稿では言及しなかったが、「南京事件はなかった派」(東中野修道氏、阿羅健一氏など)の著書は、笠原氏の参考文献にはほとんど紹介されない。「南京大虐殺」研究者を自認している笠原氏のような偏った史料に基づく歴史解釈が、中学生の歴史教科書などに反映されるのは好ましいことではない。

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国際歴史論戦研究所
上席研究員 矢野義昭

イスラエルと米国によるイランに対する戦争(以下、イラン戦争)が今年2月28日に生起してから、早くも2カ月が過ぎた。日本の大手メディアでは、ワシントン発の、イラン戦争では米軍やイスラエル軍が勝利しているとのナラティブ(筋書き)に沿った報道が多い。

トランプ政権の戦争指導方針と政治的思惑

トランプ政権内では、戦争指導の在り方について、戦争は十分に準備して大兵力を集中し、短期間に戦争目的を達成して、すぐに米軍将兵を各家庭に返すという戦い方をすべきだと、ピート・ヘグセス長官は主張していた。

またトランプ大統領も、米国は戦争について、これまで何でも公開しすぎてきたため敵を利してきた、これからは戦争の計画や作戦は秘密にすべきだとも述べていた。

そのような短期戦と秘密主義の戦争指導方針に基づき、トランプ政権は、今年1月のベネズエラ侵攻作戦も含め、これまで約8回の短期戦争を、主に中東、アフリカなどで成功裏に遂行してきている。

他方でバイデン政権と同様に、特に戦時報道については、厳しい報道管制を敷いている。イラン戦争でも米軍は勝っているという戦果発表も、そのような報道管制下でホワイトハウスが強調している筋書きに沿った内容である。

しかし、今年5月2日CNNは、以下のように報じている。

「イランとその同盟国勢力は中東8か国の少なくとも16か所の米軍施設に損害を与え、一部の施設は事実上使用不能な状態にないっていることが、CNNの調査で判明した。

この報道は、数十枚の人工衛星画像および米国や湾岸アラブ諸国の情報筋へのインタビューに基づく。損害内容に詳しい議会スタッフによると、この地域にある米軍の拠点の半数超が被害を受けたという」。

 折から、米議会では民主党を中心に、トランプ政権が戦場での米軍の損害を隠蔽しており、米軍を泥沼の長期戦に引きずり込んだとの非難が出ている。これに対し、ヘグセス戦争(国防)長官は、「まだわずか2カ月しかたっていないのに、長期戦とは何事か、恥を知れ」と強く反発している。

 今年11月の中間選挙を控え、トランプ政権はイラン戦争を何らかの形で勝利したものと印象付けて決着し、それを背景に選挙戦を勝ち抜こうとする政治的思惑があるものと思われる。そのために、現在の米軍の窮状について、真相を大手メディアが報じるのを何とか封じようとしていることも考えられる。

厳しい報道管制が敷かれているイスラエルと歩調を合わせるトランプ政権

イスラエル国内でも厳しい検閲と報道管制が行われている。イラン側のミサイルやドローン攻撃等によるイスラエル国内の損害については、イスラエル当局の許可を得なければ国外に向け発信できないと、イスラエルや米国内の独立系のSNSは報じている。

そのような中でも、イスラエルの軍・情報機関、ハイテク企業などの集まるテル・アビブが、イラン軍のミサイル攻撃により建物が破壊され火焔に包まれている映像がSNSで流れたことがある。

このような映像をイスラエル国内で一般人が撮影し、それをSNSなどにアップすれば、即刻逮捕され投獄されると訴える画像も、そのSNS上では同時に流されていた。

トランプ政権は、バイデン政権が検閲を行っていたことを強く批判し、言論の自由を守るため検閲は廃止すると2期目の政権奪還後に言明していた。しかし、その後の戦争遂行に当たっては、特にイラン戦争では厳しい戦時下での報道管制を敷いている。

漏れてきた真実と米軍最新装備の深刻な損害

トランプ政権は、イランの攻撃目標の9割は制圧した、核関連施設もイラン海軍も空軍も壊滅させたと表明している。

しかし、実は米軍には深刻な損害、場合によっては数千名の死傷者が出ているとの指摘も、米国発のSNSでは開戦間もない頃から出ていた。

例えば、カタールのドーハにあるアル・ウデイド米空軍基地には、敵ミサイルの攻撃に際し、弾着前に早期警戒信号を中東全域の米軍基地に発するための早期警戒監視レーダ2基が展開されている。この2基のレーダが、開戦間もなくイラン側の精度の高いミサイルの集中攻撃により破壊されたとの情報も、複数のSNSチャンネルで流されている。このような精度の高い目標情報をイラン側が得られたのは、中ロのイランに対する情報提供があったためともみられていた。

この2基のレーダの破壊により、中東湾岸地域の米軍のミサイル攻撃に対する警告時間が1分しか得られなくなり、対ミサイル防衛システムが機能しなくなった。その結果、湾岸にある13か所の米軍基地がすべて重大な損害を受け機能しなくなったと、ダグラス・マグレガー米退役陸軍大佐やラリー・ジョンソン元CIA分析官などはSNSで語っていた。

また、4月26日のマグレガー退役大佐のSNSによれば、イスラエル軍北部戦線師団隷下のメルカバ戦車72両が、1夜6時間の戦闘で、イラン軍のゾルフガー精密誘導ロケットシステムの集中射撃により一挙に撃破されたとのことである。メルカバ戦車のアクティブ・ディフェンスシステムはロケット弾の分離弾の飽和攻撃により無力化されたとされている。

将来展望と憂慮される日本の前途

現在進められている米国とイランの停戦交渉についても、もし米軍が大きな損害を被っているとすれば、イラン側主導で交渉が進められることになる。

現在の交渉においても、米国側が提示した条件ではなく、イラン側が提示した10項目の提案を基礎として行われていることは、交渉がイラン主導になっている一つの兆候である。

イラン側が優勢ななか停戦が成立すれば、イラン側の主張が大幅に認められた形で交渉は妥結するであろう。イランのウラン濃縮も弾道ミサイルの保有も事実上認めら、イランがホルムズ海峡の支配権を維持することになるであろう。

トランプ政権はまだ米軍勝利の面目を保つため再度の攻撃をかけるかもしれない。今は、そのために戦時下の報道管制を強めていると言えるかもしれないが、イランが、数十年間かけて地下施設に備蓄してきたミサイルの残弾数は今も約4.5万発ともいわれ、中ロの支援もあり、長期化してもイラン側のミサイル戦力の優位は崩れないと見ることもできる。

いずれにせよ、現在イスラエルやアメリカから出されている情報は情報完成を受けた上でのものであるから、必ずしも真実ではない。と言うよりも必ずや真実からはズレている。

米国に追随してきた日本は、ウクライナ戦争に続きイラン戦争でも、敗者側に立つことになる可能性がある。敗者側に立つ戦後秩序の中では、原油割り当てなどで冷遇され、戦後賠償や復興支援の負担も重くのしかかってくることを覚悟しなければならない。

また、これまで米軍一辺倒だった自衛隊の編成・装備体系、運用・訓練・研究開発などの教義も、自律的な日本独自のものに抜本改革しなければならなくなる。

情報管制の存在を無視した戦略情勢判断の誤りがいかに国益を損ない、国家の興亡を左右するかが、今回のイラン戦争でも明らかになった。

英語版:https://en.i-rich.org/archives/678

国際歴史論戦研究所 顧問
山上信吾

アイリス・チャン著「レイプ・オブ・南京」(1996年)やブライアン・マーク・リッグ著「ホロコースト・オブ・ジャパン」(2024年)など、歴史問題で厳しく日本を指弾する米国人には、ナチ・ドイツとの比較という視座から戦争、そして戦後処理を論じる性癖が散見される。

ニュルンベルグ裁判でナチを断罪し、東京裁判で「軍国主義者」を断罪しようとしたのが第二次大戦の戦後処理の出発点であったことが作用している。

枢軸国と連合国が主要な対立軸であったことを踏まえると、連合国側が日独を同じバスケットに入れて論じたがる傾向は理解し得るが、置かれた戦略環境は勿論、達成しようとしていた戦争目的も大きく異なる。

三国軍事同盟下でも、戦争遂行において碌な連携が行われなったことは周知のとおりだ。日本軍が真珠湾ではなく、マレー半島、シンガポールに兵を進めた後にインドを背後から突けば大英敵国は瓦解したろうとの指摘もあるが、そのような日独提携は実現しなかった。バトル・オブ・ブリテンにおける英国の粘り強い抵抗に遭い、矛先をソ連に向けたヒトラー。日本がソ連を挟み撃ちすることはなかった。当時の日本は、ソ連が恐れていた北進論ではなく南進論を取り、独が参戦を回避しようとしていたアメリカに宣戦布告した。こうした展開自体、日独同盟が「便宜上の結婚」に過ぎなかったことを裏付けている。

さらに、日本が中国戦線で苦戦した背景には、独の軍事顧問団の指導により中華民国が上海や南京の防御を強化し、頑強な抗戦を可能にしたことも記しておかなければならない。

日独の行為の違い

最も重要な違いは何をしたか、だ。

独の場合、直面を迫られた課題は、600万人ものユダヤ人を戦線から遠く離れた平和な後背地で組織的・計画的に殺害した行為だ。大日本帝国は反ユダヤ主義には与さなかった。ユダヤ人は勿論、中国人、朝鮮人であれ、特定の民族の殲滅を試みたことなど無い。

例えば、杉原千畝はリトアニアにあって、ナチスの迫害から逃れようとするユダヤ人に日本通過のビザを発給し続けた。数千人に上るユダヤ人が日本経由で米国、豪州などの安全な地に逃れることができたため、「命のビザ」と呼ばれた。救われたユダヤ人子孫は10万人に達すると言われる。人道的に顕著な功績により、イスラエル政府により「諸国民の中の正義の人」として表彰され、日本人で唯一の受賞者となった。

ハルビン陸軍特務機関長の任にあった樋口季一郎陸軍少将(当時。のち中将)も、欧州を逃れて満州国境に押し寄せたユダヤ人に満州通過を認め、安全な地へ逃れる「樋口ルート」を作った。

戦後処理の取組み

独の場合は長く東西に分裂していた特殊事情のため、日本のように平和条約を締結できなかった。分断がいつまで続くかわからない状況下、独はナチス迫害の犠牲者に対する個人補償の形で多額の支払いを行ってきている。ホロコーストを主とするナチスの犯罪行為は、第二次大戦開始以前から組織的に遂行され、犠牲者の多くがドイツ統治・占領下の民衆だった。通常の戦争犯罪とは異なる次元の反人道的犯罪だった。ちなみに、東京裁判ではニュルンベルグ裁判とは異なり、いわゆる「人道に対する罪」で有罪とされた被告は存在しない。

一方で国家賠償が行われてこなかったため、例えば、今なおポーランドからドイツに対して賠償要求がなされている。

これに対し日本は、国際社会によって一般的に受け入れられていた戦後処理の方式に従い、米国等との間でサン・フランシスコ平和条約、二国間の平和条約、その他の関連条約等を締結し、第二次大戦に係る賠償、財産及び請求権の問題を国家間で一括処理してきた。

条約等に基づきとられた対応の中には、朝鮮半島、台湾、千島といった領土の放棄に加え、日本が有していた在外財産の放棄がある。その総額については、当時の価格で200億ドルから300億ドル程度とされている。加えて、賠償及び経済協力等として円換算で9500億円近くが供与されてきた。これらの供与のほとんどが1950年代から60年代にかけて実施され、賠償、財産及び請求権の問題は法的に解決済みである。

当時は円、ドル等の貨幣価値も異なり、また日本の経済力は小さかったが、それでも当時の日本が置かれた経済、財政状況の中でできる限り誠実に対応した。例えば、日米の激しい戦闘の舞台となったフィリピンに対する賠償は、1956年に締結された協定に基づき5億5千万ドルが供与された。この額は当時の我が国の外貨準備の58.5パーセント、年間国家予算の18.2パーセントに相当するものであったとされている。

謝罪

「ドイツは謝罪しているのに、日本は謝罪していない。」という批判は、中国共産党が歴史カードを振りかざす時に必ず使う常套文句だ。

事実は、こうした批判がかつての戦争プロパガンダに近い一方的な「戦後プロパガンダ」であることを明示している。

ドイツでは、有名なヴァイツゼッカー大統領演説(1985年)。

「罪(Schuld)」とは優れて個人に関わるものであり、国民全体の「集団」の「罪」というものは存在しないとされた一方、ドイツ人には重い「責任」が残されているとして「集団的責任」を肯定し、「罪」の有無に拘わらずこの「責任」を果たしていかなければならないということが述べられた。優れてキリスト教的伝統に基づく歴史観だ。そしてこの演説では、「責任」を果たす手段として、ドイツ人がその過去を受け入れ、忘却しないことであるとされた。

もう一つの有名な演説は、ヘルツォーク大統領がワルシャワ蜂起50周年記念式典(1994年)で行ったものだ。

「ワルシャワで蜂起して戦った人々と戦争によるすべてのポーランド人犠牲者に対し頭を垂れる。私は、ドイツ人があなた方に対して行った行為に対して赦しを乞いたい。」としている。通常の謝罪表現である「entschuldigung」というドイツ語ではなく、「赦しを乞う(bitte um Vergebung)」という、相手に対応を任せる表現を用いている。ドイツ国民全体の「集団的罪」を否定した前記の立場からは、このような表現方法が論理的必然ともいえる。要は、日本とはロジックを異にしており、単純な比較はできない。

日本の場合には、様々な機会に、よりストレートに反省とお詫びの気持ちを表明してきた。

典型が1995年8月15日の内閣総理大臣談話だ。このいわゆる「村山談話」では、我が国が過去の一時期に植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受け止めるとし、痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明している。遥かに直接的な謝罪なのだ。

終わりに

歴史戦では、日本批判の材料としてしばしば駆使されてきた日独比較論。

日本政府にあっては、基本的価値を共有する友好国ドイツに対する配慮が先に立って、奥歯にものが挟まった説明に終始してきた感が否めない。

また、ドイツについてはナチという団体に責任を帰す動きがあった一方、日本においては、いわゆるA級戦犯のような一部軍国主義者に責任を帰して事済ませる「二分論」に与することを潔しとしなかった知的誠実さがある面も忘れてはなるまい。

以上の論点整理が何らかの参考になれば幸いである。

英語版:https://en.i-rich.org/archives/682

国際歴史論戦研究所
研究員 野々田峰寛

2024年12月13日、在日中国大使館は、Xに次の文を投稿した。「1937年12月13日、残忍な南京大虐殺が起きました。今日は、南京大虐殺犠牲者国家追悼日です。歴史を銘記し、平和を大切にし、共に犠牲者の冥福を祈りましょう。」

 1937年のその日、南京戦はあったが「南京事件」ましてや「大虐殺」など起きていないことは、当研究所が発信してきた池田研究員、阿羅顧問の各論説の通りである。

 筆者は2024年のこの日にX上で投稿を発見し、研究所関係者と相談の上、抗議文を国際歴史論戦研究所および南京の真実国民運動の連名で中国大使館へ発信した。この抗議文は中国大使館に届いていることは確認しているが大使館からの応答は一切ない。

 筆者はこの投稿の意図を探るため、投稿が国際歴史論戦の一つとして「南京大虐殺」を世界にどの程度発信しているか調査した。その結果、いくつかの国の中国大使館のX投稿を確認したが、同趣旨の投稿は見られなかった。また、2024年以前から継続的に投稿されているのかどうかを疑い、在日中国大使館の過去の投稿を振り返ったが、このような投稿は2024年に突如として始まったことを確認した。

 前年の経緯を踏まえて、2025年12月13日の動向を注視していたところ、在日中国大使館は、去年同様に「南京大虐殺」を記念する日とした投稿を繰り返した。しかも、2025年は、「極東国際軍事裁判の南京法廷で谷寿夫に対して有罪判決を下し、1947年に銃殺刑に処された」と、裁判上認められた「事実」であるかのような投稿だった。極東国際軍事裁判の問題点については我国のみならず海外においても戦後、縷々論じられてきたところであるが、谷の例においても、裁判の際、弁護側から「罪を論ずる根拠となすには不十分」と弁明されていることが、「虐殺派」の学者の一人である井上久士がまとめた『南京事件資料集 2中国関係資料編』にも記載されている。

 また、2025年の場合は前年と違う傾向があった。筆者が2024年に行ったようにいくつかの国の中国大使館のXについて調査をしたところ、”We never forget 300000”というキャッチフレーズで、在フランス、ドイツ、アメリカ各大使館、さらにイギリス駐在の中国大使個人もXに投稿していた。そしてその投稿を駐英中国大使館が引用した。各国へ拡散するような投稿は2025年が初めてである。

 当研究所澤田上席研究員は南京虐殺記念館を、中国人の残虐性のミラーイメージで日本を語っていることを指摘した。筆者は同種のことが情報、メディア空間においても展開されていると考えている。しかもそれらは偶発的ではなく計画的に実行されるのだ。

中国が情報に対して検閲を行っているのは周知のことである。筆者が2014年に香港、上海などに出張した時、CNNのドキュメンタリーのCMで中国当局が記者を拘束するシーンを香港で観たことがある。同じCMが上海でも放送されたが、記者を拘束するシーンはその瞬間だけテレビの映像がオフになった。筆者はそのとき検閲が行われていることを確信した。

インターネットにおいても検閲は行われている。金盾(グレートファイアウォール)と呼ばれるシステムが、国外の情報を遮断し、中国国内に中国政府にとって不都合な情報が流入することを阻止している。2014年当時もYouTube、Facebookなどのネットメディアには通常の方法で接続することはできなかった。

 インターネット空間における中国の情報戦は、2016年に習近平体制になって変化がみられる。従来の情報遮断に加えて、公式・非公式に中国に有利な情報を積極的に発信するよう変化した。この方針は次第に国内にとどまらず、海外に向けても行われるようになった。この情報発信戦略の中心にいると考えられるのが2011年に設立された中国サイバースペース管理局(Cyberspace Administration of China:CAC)である。Colville によると、CACは2024年3月に中国にとって有利な情報(Positive Propaganda)を流すよう指示を出している。2024年は、在日中国大使館が「南京大虐殺」プロパガンダを始めた年と一致しているのは偶然ではないであろう。

 また、無視できないのは、2025年は彼らが言うところの「極右政権」である高市政権が誕生したことで度々繰り返される中国外交部の日本語による挑発的発言だ。先に述べた「南京大虐殺」を投稿した諸外国の中国大使館が存在する国は、いずれもナショナリスト政党が成長している傾向が見られる。中国共産党は対外的にも日本「右派」政権を貶める発言をこれらの国でも展開することで各国のナショナリズム言論に対する牽制をしているのではないかと考えられる。

 そのような状況の中で、我が国の場合は、我々は、「南京事件」というプロパガンダと戦う局面において特に不利に立たされていると言ってよいだろう。最大の大きな原因の一つは外務省のホームページに「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。」と書かれており、国会答弁においても政府見解となっていることにほかならない。当研究所阿羅顧問が述べているとおり、この政府見解を見直し、撤回することが必要である。インターネットにおける世論形成において、歴史学者と名乗る者が軒並み「虐殺」の定義をしないままに「虐殺」を肯定し、政府見解までもが「否定できない」とする中では「南京大虐殺」は事実でなくても「あった」ということにされてしまうのは必定である。

 我々は中国がこのような状況を見透かしながら、着々と情報戦を強化してくると覚悟しなければならない。その中国が強化してくるプロパガンダを跳ね除けるためには、日本国自身が歴史の真実に基づくことを宣し、その歴史の真実を基に積極的に情報戦に関与していくことを最初の一歩にしなければならない。民間で戦うことは容易なことではなく明らかに限界があるのだ。中国の宣伝戦の前に日本政府が最初から白旗を掲げるのは、国益を顧みない行為であり、現在のみならず過去の日本国及び日本国民に対する言われなき侮辱である。世界のためにもなっていない。

参考文献

  1. 澤田健一, “日本人らしさ”のルーツと和解, 国際歴史論戦研究所論説, 2026年2月
  2. 池田悠, 日本の言論空間と南京事件, 国際歴史論戦研究所論説, 2025年8月
  3. 阿羅健一, 戦後80年の南京プロパガンダ, 国際歴史論戦研究所論説, 2025年10月
  4. Cyberspace Administration of China, http://www.cac.gov.cn/ (中文)
  5. Colville, Alex (2025-04-21). "Bringing AI Down to Earth"China Media Project. Retrieved 2025-04-23.

英語版:https://en.i-rich.org/archives/681

国際歴史論戦研究所
上席研究員 澤田健一

年明け早々1月10日にNHKの「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の⁉巨大噴火が“日本人”を生んだ⁉」という番組において新しい事実が紹介された。日本人らしさのルーツが巨大噴火に起因し、噴火の危機にさらされ続けた人々には自然への畏敬の念が生まれ、助け合う精神が旺盛になると説明する

また縄文人独特のD―M55という遺伝子や不安遺伝子が紹介され、それが集団生活に適していたり、危機察知能力を高めているという。そして協調性が苦難を乗り越えるカギだったと解説していた。助け合い、そのために必要なら自己犠牲をも厭わないということだ。この番組は、生理学・遺伝学そして地球物理学など様々な分野から捉えた、とても興味深い内容であった。

ところで、日本人の祖先たるその縄文人はどのようにして日本列島にたどり着いたのか。

現在の人類の祖先たる「ホモ・サピエンス」は約20万年前、アフリカで誕生したといわれる。それが地球上全てのところに進出していくのだが、令和2年に東京大学などが、縄文人たる日本民族だけではなく、全ての東ユーラシア人は南方ルートでやって来たと公表した。「多くは」ではなく、「全て」と言い切っている。

縄文人の祖先となるホモ・サピエンスは約7万年前にインドネシア辺りまで到達したようだ。インドネシアのトバ火山が約7万4千年前に噴火したのだが、インド南部ではその火山灰層の下から石器が出土する。

 また、オーストラリアでは約6万5千年前の刃部磨製石斧が出土している。これは研磨した石斧であり、これを手にしたからこそ、大木を切り倒して丸木舟を造れるようになったのだ。

その丸木舟に乗って九州西南端に到達したのが約4万年前となる。現在のカリマンタン(ボルネオ島)辺りから舟を漕ぎ出して、沖縄の島々を経由しながら、本州島に到達するが、世界有数の強い海流である黒潮を突破し、約3千キロの大航海を成し遂げるのは容易なことではない。

丸木舟が横波を受けて転覆しても仲間同士で助け合って全員で再び舟に乗り込む。仲間(動力源)を見捨てることは漕ぎ手を1人失うことであり、自分の死に直結する。だからこそ強い仲間意識が生まれる。他者の命を救うことは、自分を救うことと同じ意味を持つ。こうした結束力の強くて、日本列島にたどり着いたのは、たったの千人しかいないということが、核DNAの解析によって明らかになっている。日本民族の最初の集団はたったの千人しかいないと指摘されているのだ。つまりこの千人が増えて縄文人になったのだ。

その縄文人が日本列島に棲みついたのは地政学的にも幸いした。海に囲まれた日本列島では、他民族によって戦争を仕かけられて虐殺されることもなく、また逆に他民族に戦争を仕かけて他民族を虐殺することもなかった。

縄文人の遺跡からは人を殺すための武器は出てこない。稲作をするようになって弥生人になってからは収穫した米穀をめぐって戦争はあったようで、埴輪には武人の姿をしたものがある。が、他民族から戦争を仕かけられたことのない日本では戦争は少なく、戦争で死ぬ人は少なかったといえよう。

確かに短く見れば15世紀後半から100年間、長く見れば150年間、戦国時代という時代があり、戦争に明け暮れた時代があった。が、その時代でも戦争は武士の間だけで行われ、一般の人が巻き込まれて死ぬということは原則的になかった。日本は明らかに戦争が少なかったのである。

20世紀前半、日本人は激しく戦ったが、それは自衛とかアジアの解放とかいう使命があったからこそ、自己犠牲も顧みずあれだけ激しく戦ったのだ。

このような日本人が1937年南京攻略の際、無辜の一般市民を30万人も虐殺するはずはない。現在の中華人民共和国建国の最高指導者、毛沢東自身が南京攻略の半年後、延安で「日本軍は包囲は多いが、殲滅は少ない」と話しているが、それは虐殺はなかったという意味ではないか。

にもかかわらず、現在、中国政府は南京市に南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館)を建て、日本軍は30万人の虐殺を行ったとしている。

結局、この記念館は、戦争を好み、虐殺をいくらでも平然と行う中国文明の自己像を映し出したものではないか。結局、中国のおぞましき自己像の象徴といえるもので、つまりは、中国の恥の表象といえる。

この度、NHKの放送で、日本人の協調性、助け合いの傾向は、多数の人の一致する協力を必要とする稲作文化などで、文化的に形成された面も依然とあるであろうが、遺伝子的にもそのような傾向があるということは重大な発見だ。

日本は誇るべき日本の歴史をもっと自信を持って、世界に伝えてよいようだ。日本人は好戦的だという誤解を解き、世界の諸国と和解を図るべきだ。

〜2026年のデッドラインを前に、国家主権を守り抜くための緊急提言〜

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国際歴史論戦研究所
上席研究員 仲村覚

はじめに:ナラティブという「見えない戦場」

本提言の最高原則は、「中国の戦略において、ナラティブは軍事力より上位にある」という事実を認識することにある。現在の日本にとって最大の危機は、物理的な軍事侵攻以上に、日本の主権を法的・倫理的に剥奪しようとする中国の「複合法律戦」に対して無防備であることだ。この戦略を見抜くことなくして、日本の主権防衛は不可能である。

1. 2025年10月・11月:サイレント宣戦布告の真実

令和7年(2025年)10月から11月にかけて、日本社会は中国による激しい外交的・言論的攻勢に晒された。一般的な報道では、これらを通称「高市総理発言」などの特定事象に対する中国側の「一時的な怒り」や「感情的な反発」として捉えていた。しかし、事実は全く異なる。

この期間に起きたことは、中国が数十年かけて準備してきた「沖縄主権剥奪作戦」の計画的な実戦発動、すなわち「サイレント宣戦布告」であった。中国は特定の政治的発言を「好都合な口実(トリガー)」として利用したに過ぎず、その本質は感情的なパニックではなく、極めて冷徹に計算された法的・倫理的に構築された攻撃の開始だったのである。日本側が「対話による沈静化」を模索している間、中国は着実に国際社会における日本の統治権否定のプロセスを一段階進めたのである。

2. 中国が仕掛ける「主権剥奪」の重層的ロジック

中国のナラティブ侵略は、以下の三段階の論理構成によって、日本の主権を内側から解体しようとしている。

土台としての「歴史的武器」(琉球王国の存在)

ロジックの最下層にあるのは、歴史の改竄と情動的な物語である。「かつて独立した国家であった琉球王国は日本に武力で併合され、文化を奪われ、第二次世界大戦では『捨て石』にされた」というナラティブを世界に拡散する。この「歴史的な悲劇」を強調することで、沖縄における現在の日本の統治を「不当な継続的植民地支配」として定義する。

装置としての「倫理的武器」(国連人権メカニズム)

歴史的物語を国際的な「正義」に変換するのが、国連の人権メカニズムである。中国は国連において「沖縄の人々は先住民族である」というナラティブを既成事実化し、基地問題を「先住民族への人権侵害」という倫理的大義にすり替える。この「人権」という武器を用いることで、日本政府の正当性を国際社会の場で倫理的に剥奪し、国際世論を味方につけるのである。

結論としての「法的武器」(ポツダム宣言優位論)

歴史と倫理で外堀を埋めた後、中国は法的トドメを刺す。その核心は「サンフランシスコ平和条約(SFPT)は人権侵害を隠蔽するための不法な密約であり、ポツダム宣言こそが最高規範である」という主張である。

  • SFPTの無効化: ポツダム宣言が掲げる「植民地主義の清算」を妨げるものとしてSFPTを否定する。
  • カイロ宣言の履行: ポツダム宣言第8項が引用するカイロ宣言(日本が盗取した地域の返還)を根拠に、沖縄の地位は未定であり、日本に領有権はないという国際法上の「新解釈」を強要する。

このロジックにより、自衛隊の活動は「戦後秩序への挑戦」となり、国防そのものが国際法違反の烙印を押されることになる。

3. 「2014年合意」という歴史的な罠

中国は2012年から周到な長期計画を進めてきた。その中でも2014年の日中四項目合意は、日本が自ら「係争の存在」を認め、中国に国際工作のための「許可証」を与えてしまった致命的な地点である。 日本側が「危機管理」と考えた「異なる見解」という文言を、中国は「領有権争いの公認」と読み替え、デジタル博物館などで歴史的成果として展示している。この合意をテコに、中国海警局による尖閣周辺での排除行動を「合意に基づく正当な公務」として正当化する三段論法を完成させたのである。

4. 2026年3月:主権防衛の最終期限(デッドライン)

沖縄主権剥奪のカウントダウンは最終段階にある。

  • Phase 1(現在〜2026年3月): 国連人権理事会において、日本を「植民地支配を継続する人権侵害国」として弾劾。日本が明確に反論しないままこの期限を過ぎれば、国際法上の「黙認(Acquiescence)」が成立し、主権防衛の法的基盤は永久に失われる。
  • Phase 2〜3(2026年後半):中国の多数派工作により 国連総会等で「沖縄の自己決定権」が承認され、日本の領土主権が政治的に否定される。
  • Phase 4〜5(2027年以降): 台湾有事の際、国連決議を盾に「琉球の中立」を要求され、日米の抑止力が法的に麻痺する。これが東アジア覇権を中国が掌握する「チェックメイト」の瞬間である。

5. 対抗戦略:NSC主導による「統合防衛策」

敵が歴史・倫理・法を統合したナラティブで攻撃してくる以上、日本も「縦割り行政」を排した統合防衛が必要である。

作戦A(国際戦線):法的・外交的攻勢

「戦後秩序の最終確定者はポツダム宣言ではなく、サンフランシスコ平和条約である」と国際社会に明確に宣言する。中国の「歴史つまみ食い」的な法解釈を根本から破壊し、国際法における日本の領土権の正統性を再確認させる。

作戦B(国内戦線):国民統合ナラティブの展開

  • 式典の改革: 慰霊の日などを「分断」ではなく「国民統合」を誓う象徴へと変革する。
  • 琉球王家の権威活用: 琉球王家ご当主による「沖縄の人々は日本人である」という、歴史的・文化的に最も重みのあるメッセージを政府公式に活用する。これにより、中国が依拠する「琉球 vs 日本」という偽の歴史的構図を内側から崩壊させる。

結びに:戦わずして主権を失わないために

2026年3月の国連審査は、日本の主権を守る最後の分岐点である。ここで沖縄の代表者が自ら「我々は先住民族ではない、日本人である」と直接反論を行うこと。このシンプルかつ強力な真実の表明こそが、サイレント宣戦布告を経て着実に進められている中国の侵略を止める唯一の手段である。我々は今、言葉という兵器による戦争のただ中にいることを自覚しなければならない。

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国際歴史論戦研究所
会長 杉原誠四郎

 昨年は戦後80年の年だった。その総括として、日本の「戦後」に、「敗戦利得者」が支配し、日本が日本でなくなった時代があったことが認知されておかなければならないのではないか。戦後80年の令和7年、「敗戦利得者」の支配から脱出している気配はあるものの、いまだそれによってもたらされた深刻な歪みの中に今なお日本のあることが、戦後80年の現在、自覚されていかなければならないのではないか。

 「敗戦利得者」とは、まさに名辞のとおり、敗戦によって利得を得た人たちである。さらには、本来、公職追放によって追放されるはずなのに上手に立ち回り、占領軍に媚びて地位を守った人たちが加わる。

1941年12月7日(アメリカ暦)に日本海軍の真珠湾攻撃がなされ、その翌日の12月8日、ルーズベルト大統領は上下両院議会で、日本は

日米平和交渉のさなか、いかなる警告もなく突如(suddenly)として攻撃してきたと言い、これは長い日時をかけて緻密に計画した(deliberately)行為であり、断じて許すことはできないと演説した。日本の卑劣さを痛烈に訴え、女性議員1人を除く全議員が日本との戦争に賛同した。それまで戦争を忌避していたアメリカ国民は、この瞬間から”リメンバーパールハーバー“と唱え、一致団結、日本を打ちのめそうと誓ったのだ。

このような国民の怒りを基盤にしてルーズベルトは1943年(昭和18年)1月、カサブランカでイギリスの首相チャーチルと会談したさい、記者会見であたかも舌が滑ったかのように装ってドイツ、日本、イタリアの降伏は「無条件降伏」だと宣言をした。引き続いてルーズベルトは、1945年(昭和20年)2月、ヤルタでスターリンとの間で、ソ連は独ソ戦終了後2カ月ないし3か月後に対日参戦をするという密約を結んだ。翌日、この密約を知ったチャーチルは、そのことを日本に宣告して降伏するよう迫れば、日本は降伏し日本との戦争は早く終わるのではないかと言った。が、ルーズベルトは、このチャーチルの申し出を、にべもなく断った。

ルーズベルトは日本も、その後にドイツで起こったのと同じように国土を完全に軍事占領し、国家を完全に破壊することを考えていたということになる。この時点で原爆はまだ完成しておらず、原爆については対日戦でどのように対処するのかは未定のままだったが、ルーズベルトは、日本に対して原爆投下よりさらに苛酷な運命を押しつけようとしていたということになる。幸いにして、ルーズベルトはその後4月12日急死し、その死後、日米開戦時に駐日アメリカ大使をしていたジョセフ・グルーらの努力によってポツダム宣言が出し、日本はそれを受諾するという形で日米戦争を終えることができ、ルーズベルトの考えていた日本の壊滅は避けられた。

ルーズベルトが急死すると直ちに副大統領トルーマンが大統領になったが、トルーマンは、直ちに、ルーズベルトの路線を堅持すると宣して、日本に対するアメリカの要求は無条件降伏であると述べた。6月18日、トルーマンはホワイトハウスに軍部の幹部を集めて対日戦の軍事に関する最終方針を決める会議を開いた。そこで「無条件降伏」に固執するのは犠牲が大きくなるばかりでよくないという意見が軍部から出たが、アメリカ国民の怒りを受けとめて、トルーマンは、この問題について世論を変えさせるというのは今の私にはできない、と言って、無条件降伏方式の継続を宣し、すでに日本は敗北していることが明瞭に分かっているのに、計画中の日本本土上陸作戦の実行を正式に決めた。

そして上記のとおり、グルーらの努力でポツダム宣言が出て日本本土上陸作戦は実行されないままに終わるのであるが、原爆投下は避けられなかった。アメリカはどうして無条件降伏の旗を降ろすことができなかったのか。それは日米開戦に当たり、日本は真珠湾で卑怯な「騙し討ち」をしたと思いこんでいたからである。確かに攻撃前に何らメッセージを送っていなかったので「騙し討ち」には違いない。

が、日本政府は、本来、真珠湾攻撃開始の30分前に「最後通告」をハル国務長官に手交する予定であった。が、肝心の、ワシントンの日本大使館において起こった事務失態によって、所定の時間に手交できなかったのだ。本省より緊急態勢を敷けと指示がきているにもかかわらず、担当責任者が緊急態勢を敷かず、そして解読電報をタイプ打ちする担当者が館外に遊びに出かけ、そのために所定時間内にタイプを打ち終わらなかったから、所定の時間に手交ができなかったのだ。

ルーズベルト及び軍首脳部は、日本の外交電報をことごとく解読して読んでいたから、手交遅延は大使館内の事務失態によることを明確に知っていた。が、そのことを議会や国民の前では明かさなかった。ルーズベルトが急死し、トルーマンが大統領になったとき、トルーマンはそうしたことの真実を知らず、国民とともに、日本は卑劣な「騙し討ち」を本当にしたのだと思いこんでいたから、「無条件降伏」の旗を降ろすことはできなかった。そして8月6日の広島の原爆投下のさいにも、長崎の原爆投下のさいにも、トルーマンはこれで「騙し討ち」の仇を取ったと言った。

 とすれば、「最後通告」手交遅延は、それをルーズベルトが利用することによって日本はいかに苛酷な戦争を強いられることになったかということになる。前述のとおり、ポツダム宣言が出て、ソ連が日本本土に侵攻してくる前に降伏することができたが、原爆投下は避けられなかった。

 かくも苛酷な戦争となった「騙し討ち」の問題は日本ではどう扱われたか。

 戦争のさなか、交換船に乗って、ワシントンの日本大使館の職員は全員日本に帰ってきた。その中には、当然、「最後通告」手交遅延の直接の原因をつくった2人の職員も含まれていた。「最後通告」手交遅延は重大な問題だが、激しい戦争のさなか、問題にする余裕はなく放置された。そして占領が始まったが、占領軍にとっても、開戦において、なぜ日本は無通告の「騙し討ち」をしたのか、不思議だった。アメリカ人を怒らせるだけの意味しかない「騙し討ち」をなぜしたのか分からなかった。

昭和20年9月26日、天皇とマッカーサーの第1回会談があったが、天皇は、日米開戦が「騙し討ち」になったことにつき、「東条に騙された」というような意味のことを言った。外務省の用意した回答がそうであったからだが、それは外相になっていた吉田茂の画策によるものだった。

これほど重要な責任問題が外務省内で問題にならないはずない。昭和21年4月前後、外務省内で、「最後通告」手交遅延となった経緯を徹底的に明らかにしようとする調査が始まった。が、この調査が始まると、外相の吉田茂が中止するよう命じた。

 「騙し討ち」に関する吉田の責任隠しの行動はこの調査の中止だけでは終わらなかった。占領の終結を迎えたとき、日米開戦前夜、本省より館内に緊急態勢を敷くよう指示が来ているのにもかかわらず緊急態勢を敷かなかった責任者を懲戒免職に付さないばかりか外務次官に抜擢したのである。そしてさらに主権回付後には、タイプ打たなければならないのに館外に遊びに出かけたもう1人の責任者も外務次官に抜擢したのである。

 吉田茂は「騙し討ち」の責任を隠すのみではなかった。かの戦争に関わる外務省の責任を画すべく、外務省の人事でさらに驚くべきことをした。日米戦争の最も責任を負っている、日米開戦時にワシントンの日本大使館と、ドイツ、ベルリンの日本大使館に詰めていた者たちで固めていたのだ。すなわち吉田は、そうすることによって外務省自信が語れないようにし、日米戦争に関わる外務省の責任全体を完璧に隠したということになる。

 吉田茂の、外務省の戦争責任隠しはもっと大規模だった。昭和27年4月28日主権回付後も首相を務めた吉田茂は、主権回復後、先ずしなければならないのは、占領下で解散させられた「戦争調査会」の再開だったが、その再開をしなかったのだ。

昭和20年10月9日成立した幣原喜重郎内閣では、戦争の原因と実相を日本人自身によって明らかにしなければならないとして、戦争を調査する「戦争調査会」なるものを閣議決定して発足させた。が、戦争に関する調査をするといえば、戦争に関わる真実追究となるのは必然で、それは嘘にまみれている連合国にとって困ることだった。特に日ソ中立条約を破って日本に侵攻したソ連にとっては困ることであり、そのためソ連が中心になって提案し「戦争調査会」は占領軍に命じられて解散させられたのである。

とすれば、主権回復後も首相を務めた吉田茂としては、真っ先にしなければならないのはこの「戦争調査会」の再開であった。が、吉田は「戦争調査会」を開かなかった。というより開くことができなかった。というのも戦争に関わる真相を追究するとすれば、かの戦争の外務省の負うべき責任も明らかにしなければならなくなる。

 ところで、吉田が「戦争調査会」を開催しなかったことの悪しき影響は大きい。「戦争調査」を再開させておれば、占領下の日本の在った在り方の問題にも及ぶであろう。そうすれば、占領下の厳しい検閲体制の下、日本国民は言論の自由を持たず、「閉された言語空間」に閉じ込められていたということもこの時点で明らかとなるであろう。

 戦争調査会を開催しておれば、日本国民は占領下で「閉された言語空間」に閉じこめられていたことが明らかとなり、そのことによって日本国民はその「閉された言語空間」から脱出できる機会を得ることになったであろう。が、しかし開催しなければ、占領下で占領軍によってつくられた「閉された言語空間」は極めて巧妙につくられ、その存在が一般の日本国民には分からなかったから、その「閉された言語空間」はそのまま無自覚なままに続くことになるではないか。

つまりは、占領下では占領軍による「閉された言語空間」が、主権回復後は日本人自身の手によって続く「閉した言語空間」になる。

 そしてさらにいえることがある。そうした「閉された言語空間」の中で、占領期に占領軍が日本人に刷りこもうとした「自虐史観」は繁茂し続けることになることだ。

そしてさらにいえることは、この「自虐史観」は、戦争責任を隠した外務省にとって極めて都合のよいものだということだ。占領軍の強いた「自虐史観」は簡潔にいえば、かの戦争は軍部が国民を騙して行った侵略戦争だということである。外務省の責任が問われていない。これは外務省にとって好都合である。結局、外務省は、逆に「自虐史観」を温存させる政府機関となったということである。

 その悪影響は主権回復後、年月の経過とともに深刻になる。昭和27年の主権回復の時点では、占領下の東京裁判で糾弾された南京事件など、その存在を信じている日本国民はほとんどいなかった。にもかかわらず、「閉された言語空間」の中で、やがて日本人自身があったと言い出すようになり、戦後80年、一時期は本当にあったことになってしまったのである。慰安婦の強制連行も、「閉された言語空間」の中で、実際にあったこととして信じられる時期が存在したのである。

吉田茂は主権回復後も首相を務めることによって、占領軍の占領による負の遺産を主権回復後の日本にもそのまま継承させるという極めて悪しき悪行はさまざまあるが、中でも憲法第9条をめぐる自衛権の問題は深刻であり、今日なおその悪しき桎梏の中に日本はある。

吉田は第9条をして自衛権は認められるが、「戦力」と「交戦権」は持たないという解釈を政府の公権解釈にした。これは占領下、マッカーサーとの関係では、何らか一定の意味があったかもしれないが、主権回復後はその解釈は維持してはならず、主権回復と同時に解釈を改めるべきであった。できないというのであれば、直ちに憲法改正に取り組むべきであった。

が、本来は、日本国憲法第9条は、国家としての自衛権の問題であるから、本来、条理解釈をしなければならないはずである。条理解釈すれば、自衛戦争に限るものとして、「戦力」も「交戦権」も保持するというのが憲法学的に正しいということになる。そうでないと第66条第2項の、国務大臣は文民でなければならないという文民条項と文理的にも整合性も取れない。

この点、新しい歴史教科書をつくる会の『新しい公民教科書』の代表執筆者小山常実が、私との共著『憲法及び皇室典範諭』(自由社 2017年)で敬服すべきことを言っている。この憲法は占領下で事実上占領軍の押しつけによってできたこともあって、本来、無効な部分がある。そのため一度全体を無効だと宣言して、その上で現実に有効である部分を制定時点に遡って有効だと宣すればよいとの主張である。そうすれば、自衛権を認めておりながら、「戦力」も「交戦権」も否定するのは自然法に反するということになるので、この第9条を有効にするためには解釈として「戦力」も「交戦権」も自衛戦争に関して保持していると解釈しなければならないということになる。全ての憲法学者、国会議員が傾聴すべき指摘ではないか。

が、第9条に関する日本の憲法学は、大まかに見れば、今日の政府の公権解釈と大同小異である。そして憲法の貢献解釈は、占領期、東大法学部でつくられた法学者によってつくられた憲法学の解釈に近いものになっている。その東大の憲法学こそは、典型的「敗戦利得者」というべき憲法学者、宮沢俊義が中心になってつくったものである。彼は敗戦直後、大日本帝国憲法を改正する必要はないと豪語していたが、昭和21年1月占領軍より公職追放令が出ると、一夜にして占領軍に媚びる憲法学を展開するようになる。

とすれば、現在も政府に影響を与え、憲法学の主流となっている東大法学部の憲法学は「敗戦利得者」によってつくられた「敗戦利得者憲法学」ということになる。それが占領期につくられ、現在の東大法学部の憲法学として現在にも引き継がれているのだ。学者の世界は一種の家元制度であり、いったんできた憲法学は、それが偽りであると分かっていても、それを承認し維持する者でなければその後継の教授の椅子に着くことはできない。日本の憲法学は今日も「敗戦利得者憲法学」のままであり、それが家元制度によって引き継がれているのである。とすれば、東大法学部の中で真正の憲法学に帰る見込はない。それから脱するのは、政府がその解釈から脱出し本来の憲法解釈を宣するようにする以外には希望がない。そして政府にそのような真正な憲法学に従わせるようにするのは国民の力である。

東大法学部の憲法学がいかにいかがわしいか。マッカーサーが天皇は元首であると言って押しつけ憲法をつくらせたことが分からなかった占領期、東大法学部の宮沢俊義らは占領軍に媚びて、天皇は国の元首ではないという解釈を打ち出した。その影響を受けて現在の日本政府も天皇を元首であるということをはっきりとは言わない。政府が国民の要請を受けて天皇は元首であるという解釈を打ち立てることは容易であることを日本国民は自覚しなければならない。この間、因みにいえば、倉山満『東大法学部という洗脳』(ビジネス社 2019年)がある。

「敗戦利得者」が国家、社会を支配していた時期に、彼らがつくった吉田茂への評価に、吉田茂は戦後の日本の経済発展に貢献したという評価がある。これも全く根拠のない評価である。

戦後の日本の経済発展の設計図は全て占領軍がつくった。冷戦が進行するなか、占領軍は日本を経済的に豊かにする方針を明確に打ち出し、1948年(昭和23年)には早くもアメリカ本国からドッジがやってきて経済成長9原則なるものを強要してきた。それに加えてアメリカとの貿易を無制限に許容した。さらには日本国民に恨まれることにないように、アメリカ資本の侵入を阻止した。

吉田茂の経済成長への貢献を、軽武装にしたからだという評価もある。が、これも「敗戦利得者」がつくりあげた根拠のない評価である。韓国は朝鮮戦争で国土が荒れ、経済成長のため日本からの巨額な賠償金を必要としたが、しかし、一時は7%前後の巨額の国防費を負担しながら、現在のように高度に経済繁栄をした国を築いたではないか。

吉田茂は占領期にマッカーサーと円滑な関係を結んだことはある程度評価してもよいが、それ以外は害悪しか残さなかった。そうした「敗戦利得者」が跋扈し支配する中で、例えば昭和39年には、昭和20年、東京空襲で10万人を殺したカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を贈るというような、とんでもない珍事が起きたりした。

吉田茂が昭和42年10月20日亡くなると、時の日本の国家と社会は彼を国葬にして見送った。国家、社会が全く「敗戦利得者」によって牛耳られ、支配されていた時代だからこそ、彼らの親玉の中の親玉、大親玉である吉田茂を国葬にするのは当然である。

「閉された言語空間」は昭和54年から昭和55年にかけて江藤淳によってその存在が暴かれ、現在の日本は「閉された言語空間」からかなり解放されている。「閉された言語空間」の真っただ中では、「平和」を語るのにかの戦争で国のために戦って散っていった兵士を見ないふりをしたり無視したりしてしか語れなかったが、今日では、これら戦って犠牲となった人たちを素直に偲びながら「平和」を語ることができるようになってきたといえる。「敗戦利得者」が牛耳った時代は確かに終わっているのである。

が、いずれにしても、戦後80年、我々は「敗戦利得者」が君臨し支配した時代があったことを明確に認識しなければならない。そうしなければ、本来の日本に立ち帰ることはできない。

これだけ戦後の日本に害悪をもたらした吉田茂が、いまだ断トツに戦後最大の宰相だという評価が日本の国家、社会に定着している。そして「敗戦利得者」たちが残した負の遺産の1つといえるのであるが、国家の論理的中枢となる憲法学にあっては、占領下で「敗戦利得者」によってつくられた「敗戦利得者憲法学」が、今なお学者の世界の家元制度によって引き継がれ、現在の日本にあっても厳として君臨している。すなわち、憲法学を例に、いまだ「敗戦利得者」のつくった負の遺産の日本に対する拘束はいまだ終わっていないのである。だからこそ、現在に生きる我々日本国民は、戦後80年、「敗戦利得者」が牛耳り支配した時代があり、そして彼らが主権回復時に、清算できたはずの占領の負の遺産を清算せず、それどころか逆に拡大して継承して、今日の日本を厳しく拘束していることを明確に認識していかなければならないのではないか。

日本は昭和16年12月8日、勝てるはずのない対米戦争に踏み切り、そして徹底的に敗北し、そしてその敗北のもと占領があって不可避的に、アメリカと日本との間に、半永久的に強弱の関係ができてしまった、つまり端的にいえば支配と従属の関係ができてしまった。それは戦争を経たゆえの不可避だということでやむをえないともいえなくはないが、占領軍も予期せず、期待もしていなかった占領軍のなした占領政策の悪しき部分までを、日本は主権回復時に清算できるはずだったのに、実際は逆に拡大して継承していったのだ、そしてそれは吉田茂を親玉とする「敗戦利得者」たちによってなされたのだ、ということを、戦後80年の現時点で日本国民は確認し、銘記すべきではないか。

すなわち、昭和27年4月28日、主権回復に当たって、日本国家をして、外務省の戦争責任を完全隠蔽することによって、「自虐史観」を明確に奉戴した国家として、そして憲法第9条をめぐっては自分の国を自分で守るという論理を持たない半国家の国家として、出発させることにした吉田茂をして、昭和42年10月20日の死去に際しては、客観的根拠は全くないのに軽武装重経済の政策のもと、日本をみごとに復活させた大宰相として国葬にして見送った、という、それほどに、日本にあっては「敗戦利得者」が牛耳り、跋扈し、支配した時代があったということを、戦後80年の節目の年に、日本国民は自覚すべきだということだ。

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国際歴史論戦研究所
上席研究員 河原昌一郎

1 頼清徳の価値外交

ここで「価値外交」とは、民主主義を人類普遍の真理であるとし、国家の外交や安全保障に民主主義の価値を認める外交を言う。頼清徳総統は就任以来一貫して台湾は民主主義国家として他の民主国と協力・連帯しながら自らを守ることを外交方針としており、頼清徳の外交の基本的理念は「価値外交」としてよいであろう。

頼清徳の「価値外交」に関する考え方を以下の演説等で確認しておきたい。

まず、昨年(2024年)5月の就任演説では、「世界の民主主義連帯の重要な結節点としての台湾の民主主義の輝かしい時代が到来した」とし、民主主義連帯において台湾をその結節点として位置付けた。続けて、台湾の民主主義は、中国の脅威に直面している自国を防御することになるだろうと述べている。

また、昨年10月の双十節演説では、この台湾の地には国民の選択による民主と自由が成長し、繁栄しており、中華人民共和国はこの地に根をおろした台湾を代表する権利を持たないことを強く主張した。

さらに今年10月の双十節演説においても、民主化を経て得た民主と自由は台湾人の共有の記憶であり、「台湾はアジアの民主の灯台である」と述べている。

このように、頼清徳は民主主義に外交、安全保障における特別の価値を認め、台湾国家の存立の基礎を民主主義に置いている。頼清徳は、民主主義の実践と普及を通じて台湾を世界の民主主義陣営の一角に位置付け、そのことによって台湾の安全保障を確実なものにしようとする「価値外交を」一貫して遂行しているのである。

2 第一期トランプ政権およびバイデン政権の価値外交

 第一期トランプ政権を含め、バイデン政権までの米国外交は台湾と同じく「価値外交」であった。

第一期トランプ政権では、ポンペイオ国務長官の下で、米国は民主主義陣営の指導国であるという立場から外交が推進された。ポンペイオ長官は中国共産党を「マルクス主義的独裁」と位置付け、自由世界すなわち民主主義陣営の防衛を唱えた。2020年7月の有名な「ニクソン図書館演説」では、「21世紀を自由な世紀にしたいならば、中国の世紀を許してはならず、盲目的な中国への関与政策は決して行われてはならない」ことを主張した。このようにポンペイオ長官は、中国に対してイデオロギー的な対決の姿勢を強めるとともに、一方では台湾の民主主義を称揚し、台湾を民主主義実践国の一つとして防衛することが必要との考えを示していた。2018年3月に成立した「台湾旅行法」では、それまで抑制していた米台の高官レベルでの交流を解禁し、互いに民主主義国として緊密な関係強化を図ろうとするものであった。第一期トランプ政権の外交は、ポンペイオ国務長官によって「価値外交」が推進されていたのである。

続くバイデン政権においても東アジアサミット(EAS)等において、「自由で開かれたインド太平洋」、「法に基づく国際秩序」を掲げ、「アジアの自由と民主主義を守る」と語り、台湾を含む地域の民主主義国との連帯を強調し、民主主義を米国が守るべき価値として位置付けた。また、バイデン大統領は2021年10月にCNNタウンホールで記者から「中国が台湾を攻撃したら米国は台湾を守るか」と問われ、「Yes.我々はその責務を負っている」と回答し、2022年5月の東京での記者会談で同様の質問があったときも、「Yes.」と明確に答えている。バイデン政権下でも、ポンペイオ国務長官時の「価値外交」の考え方は揺るがず、民主主義を守るべき価値の中枢に位置付けるということで、頼清徳の堅持する「価値外交」と外交の基盤を共通にしていたということができるであろう。

3 第二期トランプ政権の取引外交

 国務長官に外交をまかせていた第一期トランプ政権とは異なり、第二期トランプ政権ではトランプ大統領が自ら外交をリードするようになり、外交の性格が大きく変化した。

 2024年7月、トランプ氏は週刊誌(ブルームバーグ)のインタビューで、「台湾は我々に防衛費を支払うべきだ。・・我々は保険会社と何ら変わらない」と述べた。台湾の防衛が行われるのは、台湾が予め相応の保険料を支払って保険に入っているからだというものであり、台湾防衛が経済的取引の一環としてとらえられている。

 台湾に対する軍事支援の扱いについても、武器援助から武器販売に移行する兆候が見られ、現金的援助より対価を求める武器売却や大規模取引を優先する傾向が指摘されている。

 トランプ大統領は、政権発足直後、すべての対外援助を90日間凍結して見直す大統領令を出しているが、台湾への支援も価値支援として特別に扱われることなく、条件付き、見直し可能なものとして扱われている。

 また、2025年10月のロイター報道によれば、トランプ大統領は、「台湾は防衛費をGDPの10%にすべきだ」と述べたものとされる。これも米国支援の前提として台湾側に負担増を求めるものである。

 このように、第二期トランプ政権の世界観、外交は「価値外交」とは大きく変わるものであり、民主主義に特別の価値を認めようとするものではない。あくまで米国を中心とする取引関係で米国の対応、方針を決めていこうとするものであり、「取引外交」と言うべきものである。

 頼清徳は一貫して「台湾は民主陣営の一員」という位置付けを強調し、米国が「民主陣営のリーダー」としての責務を果たすことを期待しているが、第二期トランプ政権は民主陣営の普遍的責務として台湾を守るという発想には慎重であり、台湾防衛についても、取引の対象としてとらえる傾向が強く、「米国が損をしない限りで行動する」という考え方が目立つのである。

4 今後の対応

 2025年10月末のトランプ大統領のアジア歴訪においても、トランプ大統領は民主主義陣営および自由貿易体制のリーダー国としての姿勢を示すことなく、各国との取引外交に終始した。韓国での米中首脳会談でも台湾問題は話題になることはなかった。帰国後、台湾に関するメディアの取材にも、自分が在任中は中国による台湾侵略は起こらないと述べるのみで、現実的な対応は曖昧なままとされている。

 こうした第二期トランプ政権の取引外交の性格から、中国の台湾侵攻時に状況によっては米国による軍事介入が必ずしも見込めないこともあり得るので、台湾は「米国だけに依存しない」防衛体制を早急に構築しておくことが求められることとなった。その一環として、防衛予算を増額し、米国からの武器購入計画を可能な限り前倒しにして戦力強化を図る等の取組みが必要とされている。

 これとともに、日本においては、可能な限り自衛隊の抑止力強化のスピードアップを図るとともに、他の民主主義国との連携が重要となることを踏まえ、「民主主義ブロック」での供給網再編、経済制裁・技術規制等の協調体制の整備等について早急に検討しておくことが必要である。

【英語版】https://en.i-rich.org/archives/2490

国際歴史論戦研究所
顧問 阿羅健一

 昭和五十七年、近隣諸国条項により南京事件が教科書に記述されだしたとき、日本政府の中国に対することなかれ主義から来るものとみられていたが、いまや南京事件は中国人が中国にいる日本人を襲う大義名分として用いられ、台湾有事の前哨戦ともいうべき情報戦で重要な武器に使われている。

 昨年十二月十三日、中国にある日本人学校が休校かオンライン授業となるなか、日本にある中国大使館は南京事件の犠牲者への追悼を呼びかけ、中国にいる日本人児童が心配された。今年七月二十五日に中国で公開された映画「南京写真館」は記録的大当たりとなり、赤ん坊を叩きつけ、磔の中国兵を銃剣で突き刺す場面が流れ、日本人を憎悪する中国人が激増、心配はいっそう増した。

 昨年十二月十三日、琉球新報は第一面と第二面に南京戦へ従軍した兵士の軍隊手帳を掲載した。沖縄県の若者も支那事変とともに動員され南京戦に参加した。だれでも知っていることで、その事実が軍隊手帳に記されていることが、虐殺を見聞したかのような大きい記事となり、琉球新報の社説はいつまた虐殺が行われるかわからないとし、さらに、「ひるがえって現在。日米軍事演習で民間港湾や空港、公道を大っぴらに使用する。『有事』に備えるためとして自衛隊基地も拡大する」と訓練反対の主張をした。今年九月二十六日のTBSラジオ「萩上チキ・Session」では、ジャーナリストの青木理が「沖縄戦と南京事件」と題して語り、南京事件は国のため中国人を殺し、沖縄戦は自国民を守るという名分で自国民を虐殺した、と語った。沖縄が標的にされているのは明らかである。

 中国による南京事件を使っての情報戦はここまで浸透し、日本を圧倒している。それだけでなく、九月十七日には日本にある中国大使館が「南京写真館」の試写会に百五十人を招いた。招待客から日本の残虐性が漏れ、東京でも大っぴらに情報戦が繰り広げられている。「南京写真館」はアメリカやカナダなど世界各地で上映され、アメリカ人も涙をながし、「レイプオブ南京」を知らない世代が日本人はきわめて残虐であるという偏見を抱き、日本以外でも展開されている。

 戦前は宣伝戦いまでいう情報戦がきわめて重要であると一般誌上で毎月のように説かれた。負けたことにより軍備がタブー視され、宣伝戦そのものは忘れさられた。そのこともあって日本は攪乱工作されるがままである。 南京事件に関するここ数年の日本政府の動きを見ると、令和五年四月三日、参議院決算委員会で和田政宗議員が南京事件を記述する外務省ホームページについて「根拠となる文書は外務省内に存在するんでしょうか」と質問すると、林芳正外務大臣は「この資料ですが、外務省が作成したものは確認できておりません」と答えた。

 そのさい林芳正外務大臣は政府機関で作成した「戦史叢書 支那事変陸軍作戦(1)」に該当する記事があると答弁したため、和田議員が「私、関連文書を全部読みましたけれども、意図的に日本軍が殺害したとの明確な記述はない状況でありました」と厳しく反論した。四月二十四日にも再度質問して念を押した。

 外務大臣が言い訳を繰り返すので、令和六年一月二十六日に神谷宗幣議員が質問主意書を出し、「戦史叢書 支那事変陸軍作戦(1)」が根拠とするならホームページの根拠は欠けている、と質問すると、政府は戦史叢書に限らず総合的に判断したものだと答える。神谷議員は二月二十八日にもあらためて質問主意書を出した。令和七年五月十三日には浜田聡議員が「日本軍が非戦闘員の殺害や略奪行為等を指示したことを示す公文書は存在するか」と質問主意書を出すが、政府は答えず、六月十七日に再度質問主意書を出すと、やはり「具体的に意味するところが明らかではないため、お尋ねについてお答えすることは困難である」と逃げた。

 もともと近隣諸国条項は南京事件の根拠があって定められたのでなく、そのため自由社の教科書のように南京事件を記述しなくとも検定に合格するようになり、いまではホームページが根拠あって記述されたわけでないことが明らかになった。それにもかかわらず外務省はホームページを抹消しようとせず、南京事件を認めたままである。

 「南京写真館」の製作情報が流れてきたとき、虐殺現場を写した日本軍のネガを南京市民が持ち出すというあらすじから、昭和二十二年の南京軍事裁判に提出された十六枚の写真を主題とした映画とわかる。十六枚のネガは南京市民が持ちだしたとして南京軍事法廷に提出され、法廷は証拠として認めたが、厳冬の南京でありえない写真があり、日本軍が撮影した記録もなく、つくり話であることが明らかである。七十年経ち中国が十六枚の写真をユネスコ世界遺産の資料として登録したさいも否定された。中国で封切られるころネットでは疑問点が指摘され、八月六日付け産経新聞の「サンデー正論」は問題点を浮き彫りにした。それでも外務省はなんら手を打たない。

 外務省が南京事件を強制したのは四十年以上まえのことである。南京事件は、天安門事件に対する制裁解除や天皇陛下御訪中のような誤判断でなく、根拠もなく中国のいうまま認めたものである。当時の関係者はいまではひとりもいない。アジア局もアジア大洋州局と変わった。外務省は過去にとらわれる必要はない。中国にいる日本人を保護しなければならないし、中国が仕掛ける情報戦に対処しなければならない。事実に即し、ただちに南京事件の方針を変えるべきである。躊躇する余裕はない。

英語版:https://en.i-rich.org/archives/2611

国際歴史論戦研究所 所長
山本優美子

米国のトランプ大統領自ら、日韓の「慰安婦」問題について大韓民国の首相(大統領)に語った。2025年8月25日ホワイトハウスにて、大韓民国の李在明大統領との初の米韓首脳会談の席でのことだ。小一時間の会談の中で慰安婦についての発言は最後の4分程度であったが、正に故安倍晋三氏がトランプ大統領に話したであろう内容そのままをトランプ大統領が韓国大統領に伝えている。我々はトランプ大統領に感謝しつつ、日韓の友好関係について安倍氏が遺した言葉として心に留めておくべきだと思う。

トランプ大統領自ら切り出した「慰安婦」

切っ掛けは、韓国の記者がトランプ大統領に「訪米前に、李大統領は日本を訪問したが、韓米日の協力関係について議論するべきことはあるか」との質問だった。

トランプ大統領は自ら「慰安婦」について述べた。

「(日韓)両国をまとめるのは(束ねるのは)少し大変でした。というのは、あなた方はまだ「慰安婦」にこだわっているからです。そうですよね? 慰安婦です。慰安婦のことばかりが話題にしたがってました。私は、この問題はこの数十年間で何度も解決されたと思っていました。」

「韓国にとって非常に大きな問題でしたが、日本にとってはそうではありませんでした。日本は前に進もうとしていました。仲良くやっていきたいと。でも、韓国はこの問題にとても固執していました。」

続けて日韓関係についての次のような見解を語った。

「日本は韓国と良い関係を築きたいと思っています。もちろん、私は日本国民は素晴らしく、素晴らしい国であると考えています。そして日本はぜひ韓国と良い関係を築きたいのです。両国には共通点があります。北朝鮮問題を解決したいということです。

日本は韓国との良い関係を強く望んでいるし、また、私も必ずそうなると確信します。私が接(接触)した日本の人々は素晴らしい人たちで、韓国のあなたたちに対しても同じでしょう。」

最後に故安倍首相の名前を挙げ、日韓は素晴らしい関係になると結んだ。

「安倍首相は偉大な人物であり、私の偉大な友人でした。彼は暗殺されました。しかし、彼はあなたの国に非常に温かい感情を抱いていました。それは確かです。現在の首相も、私は非常によく知っていますが、同じように感じています。ですから、あなた方は日本と素晴らしい関係を築くでしょう。」

安倍・トランプと慰安婦問題

安倍首相が初めてトランプと会ったのは大統領就任前の2016年11月、ニューヨークのトランプタワーを訪問した時だ。2017年1月にトランブ大統領が就任してから、2020年9月安倍首相の辞任までのおよそ3年8か月間は日本国首相と米国大統領という関係だった。安倍氏が亡くなった2022年7月8日までを考えると6年近い交流があったことになる。

この間、韓国では2017年5月に文在寅政権が発足。2015年12月の日韓外相会談合意によって、慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的」に解決されたにも関わらず、これを反故にする動きが続いた。

2018年1月、当時の康京和外交部長官が、2015年合意は真の問題解決とならないとする韓国政府の立場を発表。同年11月には韓国女性家族部が、日本の拠出金10億円で設立した「和解・癒やし財団」の解散を発表した。

2021年1月、元慰安婦等が日本国政府に対して提起した訴訟にで、韓国ソウル中央地方裁判所は、国際法上の主権免除の原則の適用を否定し、日本国政府に対して原告への損害賠償の支払などを命じる判決を出した。

海外では韓国系団体が慰安婦像・碑の設置運動を主導した。2017年以降も、海外の公有地だけでも米国のブルックヘブン(ジョージア州)、サンフランシスコ(カルフォルニア州)、フォートリー(ニュージャージー州)、独ベルリン、伊スティンティーノに像や碑が設置されている。

トランプ大統領にとっては、2017年11月の訪韓時、青瓦台(大統領府)で開かれた国賓晩餐で抱擁した高齢の女性が、自称元慰安婦被害者の李容洙氏であった事実を後に知ることになった一件も、もしかしたら「慰安婦」問題について関心を持つきっかけになったかもしれない。

国のトップの絆と歴史戦

トランプ大統領と安倍首相は日米首脳会談などの公式会談、電話会談だけでなく、一緒にゴルフをプレーするなど、親密な関係があったのは多くに人が知るところだ。在任中の会談回数は少なくとも30回から40回以上ともいわれている。

そういった関係にあっても、「慰安婦」と日韓関係をトランプ大統領に説明するのは、簡単ではなかっただろうと察する。海外では特に「慰安婦」は歴史問題ではなく女性の人権問題としてとらえられる。被害者と称する女性には同情せねばならず、彼女らの発言を否定することは許されないという圧力がある。慰安婦の雇用契約について歴史事実の(を記述した)論文を発表して世界中からバッシングをうけたハーバード大学ロースクールのマーク・ラムザイヤー教授がその例だ。

今回の米韓首脳会談でトランプ大統領が自ら「慰安婦」を切り出し、韓国大統領に話したのは、トランプ大統領が故安倍首相を深く信頼し、その意味を充分理解していたからであろう。

安倍首相が亡き今、今回のトランプ大統領の発言は、日米両国トップの絆が遺してくれた我々日本と韓国へのメッセージといえよう。安倍晋三氏は天国から「トランプ大統領、ありがとう」と微笑んでいるのではないだろうか。

以上

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【 資料 】

米国トランプ大統領と大韓民国李大統領との首脳会談(2025年8月25日)から慰安婦についての箇所発言の英語文字起こしと日本語訳

<出典>

The White House 公式ウェブサイト

President Trump Participates in a Bilateral Meeting with the President of the Republic of Korea  August 25, 2025

https://www.whitehouse.gov/videos/president-trump-participates-in-a-bilateral-meeting-with-the-president-of-the-republic-of-korea

The White House公式youtube

49分06秒~52分42秒

<日本語訳> 

記者: 李大統領は、この首脳会談の前に日本の首相と会われました。

トランプ 大統領: それはよいことでした。

記者:そこで、韓国、米国、日本の協力に関して議論することは何かありますか?

トランプ大統領:あると思います。そう、日本は我々にとって偉大な同盟国です。ただ、両国をまとめるのは少し大変でした。というのは、あなた方はまだ「慰安婦」にこだわっているからです。そうですよね? 慰安婦です。慰安婦のことばかりが話題にしたがってました。私は、この問題はこの数十年間で何度も解決されたと思っていました。

でも、まだ重なり合う問題が残っています。私が言うのは間違っているのかもしれないし、適当でないかもしれません。しかし、この――女性の、慰安婦の問題につて我々は特に具体的に話し合いました。これは韓国にとって非常に大きな問題でしたが、日本にとってはそうではありませんでした。日本は前に進もうとしていました。仲良くやっていきたいと。でも、韓国はこの問題にとても固執していました。お分かりになりるでしょうか?(李大統領から)お答えいただけると良いと思います。良い質問なので。過去に起きたことのために、日本と韓国を一緒にまとめるのは難しかったのです。でも、日本は前進を望んでいると言えます。韓国はやや慎重なようですね。どうぞ。

李大統領:(韓国語で発言)

通訳:韓国、米国、日本の三国間協力は非常に重要であり、また韓日関係の改善は韓米関係にとっても重要です。

李大統領:(韓国語で発言)

通訳:トランプ大統領が三国間協力を重視されていることを知っておりましたので、私は米国に来る前に日本を訪問し、我々が抱える困難な問題を解決しようとしました。

大統領:それはいいですね。日本は韓国と良い関係を築きたいと思っています。もちろん、私は日本国民は素晴らしく、素晴らしい国であると考えています。そして日本はぜひ韓国と良い関係を築きたいのです。両国には共通点があります。北朝鮮問題を解決したいということです。

日本は韓国との良い関係を強く望んでいるし、また、私も必ずそうなると確信します。私が接した日本の人々は素晴らしい人たちで、韓国のあなたたちに対しても同じでしょう。

李大統領:(韓国語で発言)

通訳: そこで、私が日本訪問した際、石破首相と会談しました。両国間にあった多くの障害は今取り除かれていることを実感しました。

大統領:そうですね。私の任期中に、我々はそういった障害を取り除いたのです。少し残ってはいましたが、でも私の任期中に多くを取り除きました。

そして、ご存じのとおり、安倍首相ですが、彼は偉大な人物であり、私の偉大な友人でした。彼は暗殺されました。しかし、彼はあなたの国に非常に温かい感情を抱いていました。それは確かです。現在の首相も、私は非常によく知っていますが、同じように感じています。ですから、あなた方は日本と素晴らしい関係を築くでしょう。

<発言 英語 文字起こし>

The Press: President Lee met with the Japanese Prime Minister before this summit.

The President: That’s good.

The Press: So is there something to discuss regarding the cooperation among South Korea, U.S. and Japan?

The President: I think so. Look, Japan is a great ally of us. And I had a little bit of a hard time getting you two together because you're still thinking about comfort women. Right? Comfort women. That's all they wanted to talk about, was comfort women. And I thought that was settled a few times over the decades.

But there is an overlapping problem with that.

Perhaps I'm wrong in saying it. Perhaps this isn't right. But the whole -- issue of the women, comfort women, very specifically, we talked. And it was a very big problem for Korea, not for Japan. Japan was,,, wanted to go. They want to get on.

But Korea was very stuck on that. You understand? So, I don't know, perhaps you'd like to answer.

It's a good question. It was hard getting Japan and Korea together because of what took place a long time ago. But Japan wants to do it, I can say.

Korea is a little bit more tenuous.

Please.

President Lee: (speaking Korean)

Translator: The trilateral cooperation among Korea, the U.S. and Japan is very important. And better Korea-Japan relations is also important for the Korea-U.S. relationship as well.

President Lee: (speaking Korean)

Translator: Because I know that, President Trump, that you put emphasis on trilateral cooperation, I made a visit to Japan before coming to the U.S. to settle the difficult issues that we have.

The President: Good. Well, Japan wants to get along very well with you.

And I find them to be great people, great country, obviously, and they want very much to get along with South Korea.

And you have something in common. You know, you want to solve the North Korea problem.

But Japan very much wants to get along with you, and I'm sure they will.

I find the people that I deal with to be wonderful people, as they do with you.

President Lee: (speaking Korean)

Translator: So when I visited Japan and met with Prime Minister Ishiba, I realized that many of the obstacles that existed between our two countries have now been removed.

The President: True. During my term, we removed them during my term.

There was an overlay a little bit, but we removed many of those obstacles during my term.

And, you know, if you look at Prime Minister Abe, who was a great man, he was a great friend of mine, and he was assassinated. But he felt very warmly toward your country, I can tell you that. And the current Prime Minister, who I've gotten to know very well, feels the same way. So I think you're going to have a great relationship with Japan.

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