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掲載:Japan Forward BOOK REVIEW | The Comfort Women Hoax: A Fake Memoir, North Korean Spies, and Hit Squads in the Academic Swamp

評者:ロバート・エルドリッヂ(エルドリッヂ研究所代表)

解題

『慰安婦のデマ』の書評を執筆した、ロバート・D・エルドリッヂは、1968年に米国ニュージャージー州で生まれ。1999年に神戸大学で日本政治外交史の博士号を取得した。彼は沖縄問題に関する著名な研究者であり、2003年には『沖縄問題の起源 ― 戦後日米関係における沖縄 1945 – 1952』(名古屋大学出版会)を執筆し、アジア・太平洋賞の特別賞を受賞した。その後、大阪大学の助教授として勤務し、沖縄の基地問題に取り組むために在日米海兵隊の外交政策部次長に就任した。

2015年2月、辺野古闘争がピークを迎えるなか、キャンプ・シュワブ前で抗議活動をしていたリーダー格の男性が刑事特別法違反の疑いで逮捕された。逮捕の正当性は、基地と道路の間に引かれていた黄色のラインを男性が越えたかどうかが争点となり、男性はラインを越えていないと主張し、沖縄のメディアは男性の逮捕を不当とする声を報道した。しかし基地のカメラには男性がラインを越えていた様子が記録されていた。エルドリッヂは、嘘と欺瞞がまかり通る沖縄の現状を放置することができず、男性の逮捕が不当でないことを明らかにするため、翌3月にYouTube番組のキャスターに映像を提供し、その動画が公開された。その動画は機密性の無いものだったが、米海兵隊は、沖縄の反米圧力に屈し、この行為が「非公式なルートで不適切に公表された」として、彼を解任した。

エルドリッヂは嘘と欺瞞が真実を凌駕するというこの経験から、この危機に対する警鐘を鳴らすために、この書評を執筆したと推測される。彼は、「知性があるのに、その知性を使って正しいことをする勇気を持たないことほど罪なことはない」と言っているが、社会や文化を進化させるための学問が、学者の良識と勇気が欠落したために、逆に社会の退化や廃退を招くという重大な警鐘を鳴らしたかったのであろう。さらには心ある学者やジャーナリストの奮起を促したかったのだろう。

書評 (JAPAN Forward 掲載の英文を翻訳)

翻訳:一二三朋子(国際歴史論戦研究所 上席研究員)

書籍:ジョン・マーク・ラムザイヤー著、李宇衍・柳錫春訳『ハーバード大学教授が教えてくれる慰安婦問題の真実(副題:太平洋戦争における売春契約)』(メディアウォッチ社 2024年)

評者:松木國俊(国際歴史論戦研究所 上席研究員)

解題

本書はハーバード大学教授ジョン・マーク・ラムザイヤーの著作であり、2024年1月3日、韓国の出版社メディアウォッチ社より韓国語で出版された。

タイトルは『ハーバード大学教授が教えてくれる慰安婦問題の真実(副題:太平洋戦争における売春契約)』となっており、韓国語への翻訳は落成台経済研究所研究員の李宇衍、元延世大学教授の柳錫春の二人が取り組んでいる。 

書評の中で言及されているとおり、2023年に日本語に翻訳され出版された『慰安婦性奴隷説をハーバード大学ラムザイヤー教授が完全論破』(ハート出版 2023年)とともに、慰安婦をめぐる画期的な研究書である。ラムザイヤー教授の完璧な論考が韓国語に翻訳・出版されたことは、韓国国内の世論にすこぶる大きな影響を与えると考えられる。

ラムザイヤー教授の日本語訳版『完全論破』の書評については、この「最近の国際歴史論戦研究の紹介」でジェイソン・モーガンの書評を紹介しているので、そちらを参照していただきたい。

 評者の松木は、当研究所の上席研究員であり、総合商社の駐在員として4年半韓国に滞在した経験がある。韓国の事情を熟知しており、著書には『ほんとうは「日韓併合」が韓国を救った』(ワック出版)『軍艦島・韓国に傷つけられた世界遺産(英語版書名Gunkanjima【Battleship Island】A World Heritage Site Soiled by Korea)』(ハート出版)など多数の韓国関連書籍がある。

書評の中で松木の述べている慰安婦問題に関する韓国国民の特異な感情的反応は、国際的に広く知らしめるべきであり、その点でこの書評は世界中の多くの人々に読まれることが期待される。

ジョン・マーク・ラムザイヤー著、李宇衍・柳錫春訳『ハーバード大学教授が教えてくれる慰安婦問題の真実(副題:太平洋戦争における売春契約)』(メディアウォッチ社 2024年)

ラムザイヤー論文集日韓同時出版の意義

国際歴史論戦研究所
上席研究員 松木國俊

ハーバード大学ラムザイヤー教授が、慰安婦性奴隷説を論破した論文の数々を一冊にまとめた本『慰安婦性奴隷説をハーバード大学ラムザイヤー教授が完全論破』(以下『完全論破』)(ハート出版 2023年)が、2023年12月13日に日本で刊行され、続いて2024年1月3日、韓国でも同様の書籍が出版された。タイトルは『ハーバード大学教授が教えてくれる慰安婦問題の真実(副題:太平洋戦争における売春契約)』(以下『慰安婦問題の真実』)である。

同書の構成及び内容は『完全論破』とほぼ同じであり、最後の章でラムザイヤー教授と前早稲田大学教授の有馬哲夫氏との共著論文「北朝鮮とのコネクション」が取り上げられている点のみが『完全論破』と異なっている。

 当該論文集の韓国語への翻訳は、落星台経済研究所研究員の李宇衍氏、及び前延世大学教授柳錫春氏の二人によって行われた。李宇衍氏は、2019年に韓国で刊行された『反日種族主義』の著者の一人であり、経済学博士として韓国経済の発展段階を客観的に分析し、日本による統治を極めて肯定的に評価している。2019年12月からは、毎週水曜日に日本大使館敷地前で「慰安婦像撤去、反日水曜集会中断、正義連(元韓国挺身隊問題対策協議会)解体」を要求するデモを単独で展開しており、行動派の人物でもある。

もう一人の翻訳者、柳錫春氏は社会学博士であり、「発展社会学」の見地から、日本統治時代を冷静かつ公平な視点で研究している。彼は、後に触れるように、延世大学の講義中に「日本統治時代の真実」を語ったために教職を追われ、反日勢力から告発されて現在係争中の身にある。

今回『慰安婦の真実』を韓国内で出版することが出来たのは、歴史の真実を広めるべく奮闘している、両翻訳者の熱意と使命感に負うところが大であり、慰安婦の嘘を論破したラムザイヤー論文の内容を、一般韓国人が知るところとなった意義は限りなく大きい。

本書の刊行は、慰安婦問題の根本的解決に向けた、最も画期的で重要なステップとなるだろう。

従来、韓国において慰安婦問題は、誰も異を唱えることのできない「聖域」とされており、本当は「売春婦」だった「慰安婦の実態」を口にすれば「慰安婦被害者を冒涜する売国奴」として糾弾され、場合によっては社会から抹殺された。

『反日種族主義』(未来社2019年)の編著者であるソウル大学名誉教授李栄薫氏は、2004年に「従軍慰安婦は売春業」「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」と真っ当な発言をしたところ、韓国挺身隊問題対策協議会から教授職辞任を要求され、同年9月には元慰安婦に対し韓国式の土下座を強要されている。

また世宗大学名誉教授の朴裕河氏は、2013年に上梓した『帝国の慰安婦』(プリワイパリ2013年)の中で「日本軍兵士と慰安婦は同志的関係にあった」と真実を書いたところ、元慰安婦側から「名誉棄損」で提訴された。地裁レベルでは敗訴を重ね、今年2024年4月に最高裁で無罪を勝ち取るまで実に10年を要している。

さらにラムザイヤー論文翻訳者の一人である柳錫春氏は、2019年9月延世大学で行った「発展社会学」の講義で、「農地の40%が日本に収奪された」「米を収奪された」「若者が強制連行されて奴隷労働をさせられた」「女性が挺身隊として連行され慰安婦にさせられた」という韓国では「常識」とされている話が、日本統治時代の実態とはかけ離れていることを論理的に説明。これに反発した正義連や元慰安婦から名誉棄損で訴えられ、本年2024年1月の一審判決では柳錫春氏が一部勝訴するも、原告、被告とも控訴し、現在裁判が継続中である。

2021年1月12日、ラムザイヤー教授の論文が産経新聞の英語ニュースサイトで取り上げられた際には、韓国全土が半狂乱の状態と化した。ハーバード大学の大学者に慰安婦問題の「嘘」を暴露されたのだから堪らない。日本のNHKにあたる韓国公共放送KBSは連日これを取り上げて激しく攻撃した。メディアに煽られた一般の韓国人も、英文で書かれた論文の内容など知らないまま、「青い目をした日本人」という感情的なレッテルを貼り、ありとあらゆる罵詈雑言を同氏に浴びせたのだ。

一体なぜこれほどまでに「学問の自由」が踏みにじられ、人権まで傷つけられるような理不尽な事態が韓国で発生するのだろうか。

もともと政権が変わるたびに歴史を作り変えて来た中国や韓国では、考証や検証などによって「真実の歴史」を明らかにすることは無理だと考えられている。彼らにとって「歴史」とは自己正当化の手段であり、自分たちに都合の良い「あるべき歴史」を作り上げて、これを押し通すことが何より重要となるのだ。その具体例をここに挙げてみよう。

元通産官僚でソウル大使館の参事官を務めた松本厚治氏によれば、1991年に設立された「日韓合同歴史教科書研究会」が韓国で開催したセミナーで、尹世哲ソウル大学教授は「被害国韓国の立場を尊重し、日本が事実にこだわる頑なな態度を捨てて教科書を書き直せば問題を解決できる」と語ったという。韓国を代表して日本人の前に現れる学者は大部分こんな考えの人たちだと松本氏は指摘している。

以上で明らかなように、韓国の社会では、学者が歴史的事実を証拠に基づいて論証しても、それが自分たちの考えと違えば決して納得しない。まして慰安婦問題は、韓国で既に「聖域」となっている。その真実に触れるだけでヒステリー状態となり、即土下座、謝罪させられ、裁判にかけられるという、まさに中世の魔女狩り的不条理がまかり通って来たのだ。

ではどうすればこのような状況を打ち破ることが出来るだろうか。それには真実を語るものが国境を越え、連携して行動する以外にないだろう。その意味からも、今回のラムザイヤー論文集である『完全論破』と『慰安婦の真実』の日韓同時発売は快挙であった。

これからも日米韓の慰安婦問題研究者が相互の絆を深めつつ、歴史の真実を、声をそろえて日韓両国民に、そして世界に向かって強く訴えるべきである。それでこそ韓国の「常識」が「非常識」となり、やがて彼らも慰安婦問題の真実を受け入れる日が来るに違いない。

もちろんそれはたやすい道ではないだろう。特に、反日感情の強い韓国でラムザイヤー論文を本にまとめて出版することは、身の危険を感じるほどの恐怖を伴ったはずだ。

だがここで葛藤を恐れては前に進むことは出来ない。慰安婦の実態を白日の下に晒した『慰安婦の真実』の出版は、慰安婦問題解決の突破口となる可能性を十分に秘めている。

本文の結びにあたり、本書の翻訳にあたった李宇衍氏、柳錫春氏、そして本書を発刊したメディアウォッチ社の勇気と決断に心より敬意を表する次第である。

評者:国際歴史論戦研究所顧問 阿羅健一

原著:Peter Harmsen, Bernhard Sindberg The Schindler of Nanjing(Casemate Publishers 2024)
  (ピーター・ハームセン『バーナード・シンドバーグ 南京のシンドラー』)

解題

この本はデンマーク人バーナード・シンドバーグの伝記で、バーナード・シンドバーグは支那事変が起きたとき上海におり、戦線が南京へ広がり、デンマークの会社が南京郊外に建設中のセメント工場に被害がおよぶ恐れが出たため、12月初旬に工場へ派遣され、翌年3月までその管理にあたった。

本の扉に記述されている要約によると、南京城内で大虐殺が行われていたときシンドバーグは工場の近くにいた1万人の避難民を受けいれ日本軍の迫害から守り、ホロコーストからユダヤ人を守ったシンドラーに匹敵するアジアでの人物であるという。

シンドバーグは無名に近い人物で、当時26歳の青年、格別のこともなく、伝記といってもほとんどが支那事変初期の出来事に割かれている。のちにアメリカへ帰化、太平洋戦争に従軍し、1983年にロスアンジェルスで死んでいる。

著者のピーター・ハームセンは、国立台湾大学で歴史を学び、中国語に堪能、東アジアで通信社の特派員として20年以上働いた。この間、ベストセラーとなった「上海、1937年」など支那事変初期に関する3部作を著している。その流れでこの本も書かれ、イギリスとアメリカにあるにあるケースメイト出版社から2024年に刊行されている。

評者の阿羅健一は1944年、宮城県生。東北大学卒業。現在「南京事件」問題では最高峰の研究者。少なくとも最高峰の1人としての研究者。それゆえに、この書評には重みがある。高校時代に伊藤正徳の『大海軍を想う』(文芸春秋新社 1956年)を読み、日本が軍隊を持たないことの悲哀を覚ったという。そして昭和史、戦後史を研究するようになるが、その過程で警察予備隊創設に際し、旧軍人を排した吉田茂に批判を抱くようになる。軍事史に関する著書として『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館 2002年)、『【再検証】南京で本当は何が起こったのか』(徳間書店 2007年)、『日中戦争はドイツが仕組んだ-上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ』(小学館 2008年)、『秘録・日本国防軍クーデタ―計画』(講談社 2013年)などがある。

書評

棲霞山寺近辺で起こったこと

バーナード・シンドバーグという名は南京事件を研究している人には知られていた。

東京裁判に提出された「南京安全区档案 第六十号 棲霞山寺よりの覚書」のなかに、棲霞山寺は南京陥落前後から2万400人もの避難婦女子を抱え、1月4日から日本兵がやってきて24件以上の強姦が起き、殺人は3件、略奪も多数起き、1月20日ころも女を求めてくる日本兵がいたが、日本軍が交代して好転した、と記述されていた。この覚書を国際安全区委員会に提供したのがバーナード・シンドバーグである。

「南京安全区档案 第六十号」は法廷で読みあげられなかったものの、マギー牧師が証言台に立ったとき、昭和13(1938)年2月に棲霞山のセメント工場へ行くと、村長格から、工場には1万人の避難民がおり、日本兵がやってきて女を出すよう要求し、聞かないと暴行をしたと聞いたと証言し、そのほかデンマーク人から、ひとりの男が城内へ向かったところ城内で殺されていたと聞いた、と証言している。

 1990年代の時代に入ると、マギー牧師が棲霞山を視察したさいの記録が明らかになった。それによると、2月ころ棲霞山寺の避難民は1千人まで減ったが、代わりにセメント工場の避難民が1万人に増え、それらをシンドバーグが管理し、シンドバーグや村のひとが語るところによると、一帯ではそれまで700から800人の民間人が殺され、強姦は数えきれず、いまでも女性の要求は続き、殺人も起きているというものであった。

「南京安全区档案」と日本軍の動き

 こういったことに対してまずあげられたことは、「南京安全区档案」が南京にいた宣教師の宣伝工作による文書あり、事実を記述しているといえないということである。また、日本軍の行動を見ると、マギーの証言と棲霞山視察記録は事実に反しているということである。

南京は12月13日に陥落し、南京まで進んだ部隊は20日に新たな配置を命ぜられる。第16師団が南京を警備し、ほかの師団は蘇州や蕪湖などで警備につくと決まり、24日ころから移動が始まる。第16師団は主力が南京城に配置され、一部が抹陵関、堯化門、湯水鎮、棲霞山、新塘、丹陽など南京郊外に配置された。

棲霞山は、南京城の東北25キロにあり、南京城を朝に出発するなら夕方までには着く。南京と上海を結ぶ鉄道に棲霞山駅があり、そのまわりに棲霞山寺や大きいセメント工場がある。

第16師団の配置された郊外は、当初、南京防衛のため中国軍が配置され、やがて南京を目指した日本軍が進出し、空爆も行われ、中国軍は敗走する。日本軍はそれらを通って南京城へ向かい、一帯は後方地域となる。

第16師団は昭和12(1937)年9月から北支で戦い、中支に転戦し、南京まで攻め、南京で警備についた。郊外への配置では、本来なら警備と訓練であるが、将校たちが戦闘詳報と陣中日記の作成に追われたものの、兵たちはのんびりと休養を送ることになった。

食糧は南京陥落まで十分でなかったが、陥落後に輜重部隊が追及、12月下旬になると揚子江を通しても届きはじめる。正月を迎えることもあって、餅米、数の子、勝ち栗、鯛の缶詰などが届けられ、餅つきもいたるところで行われた。徴発のつづく部隊もあったが、12月28日には上海と南京間の鉄道が復旧し、おおむね平穏であった。

セメント工場に配置されたのは奈良の歩兵第38連隊第1大隊の第1中隊と第1機関銃隊で、その伍長である岡崎茂に対し東中野修道氏がインタビューした記録がある(東中野修道『南京『事件』研究の最前線 平成十七・十八年合併版』(展転社 2005年))。岡崎茂は軽機分隊の分隊長で、小隊の指揮をとったこともあるのだろう、兵隊の行動をよく把握しており、セメント工場での兵隊の生活もよくわかる。

それによれば、セメント工場のまわりに民家はない。工場は鉄条網が張りめぐらされ、自由に出入りできない。食糧は十分届いており、兵士の任務は兵器の手入れくらいで、兵隊は暇を持てあまし、トランプを使った賭け事が流行り、敗けこんだ兵隊が脱走する事件が起きた。それ以外、特段の乱れは起きていない。数キロ離れた棲霞山寺には第1大隊のほかの部隊が駐留していたのであろう。

第16師団は配置についたものの、早くも1月8日に転用が決まる。兵隊は南京を離れることを知らされるが、それ以上のことは皆目わからず、凱旋するものと考える兵も多かった。13日には指示が出て、準備が始まる。末端まで指示が届くのは数日かかるが、17日には師団司令部で送別会が行われる。日本軍が棲霞山にいたのはおよそ20日間で、最後の1週間は出発準備に追われたであろう。

出発にさいしては、南京から乗船して上海を目指す部隊と、鉄道を使って上海へ向かう部隊とに分かれる。湯水鎮で警備していた部隊は上海寄りの鎮江まで行軍し、そこから列車で上海へ向かった。棲霞山の部隊もそうであったろう。おおむね20日から28日にかけ南京を出発している。第16師団は上海からふたたび北支へ向かった。

このような日本軍の行動から、棲霞山寺では1月20日以降も女性を出せと日本兵が言ってきて、セメント工場では2月も続いているというが、そのころ第16師団はここにはいない。

本書の記述の問題

本書『バーナード・シンドバーグ 南京のシンドラー』によれば、棲霞山では多くの避難民が出て、避難民は棲霞山寺に避難し、急ごしらえの藁と竹からなる建物で生活し、雪や寒さをそこでしのいだ。やがて棲霞寺への避難民はセメント工場へ移る。

1月11日、シンドバーグは手紙に、工場は安全で従業員と家族100人がおり、工場のまわりに3千から4千人の難民がいるが、食糧も2月中旬までは持つ、と書いている。

1月23日にはアヒル20羽を城内の国際安全区委員へ持っていき、食糧は城内より豊富であった。シンドバーグは南京国際安全区委員会と関係なかったが、セメント工場から車に乗れば1時間半ほどで南京に着くことができ、工場と城内をたびたび行き来している。12月20日に初めて国際安全区委員会を訪れ、委員長のラーベのほか委員のスマイスやマギー牧師にも会っている。

また、日本兵が棲霞寺に入ることはなかった。セメント工場は貼紙がされ、日本兵が工場に来て女性を求めるが、デンマークの旗を出すと日本兵は去っていった。

このようなことが記述されており、シンドバーグは市民殺戮を目撃したわけでなく、東京裁判に提出された証拠からもほど遠い。

日本軍の仕業としてあげられていた事件は、もともとなかったものか、中国の敗残兵や不法者の仕業のものであろう。城内での出来事を多数記録した安全区档案が架空の出来事を記録しているように「南京安全区档案 第六十号」やマギー牧師の視察記も同じであろう。

ピーター・ハームセンは何を書こうとしたのだろうか

ピーター・ハームセンは何を書こうとしたのだろう。

日本の残虐性、不法行為を書こうとしたのか。

しかし、日本軍がそこにいたかどうか日本軍の資料と照らし合わせるまで考えが至らず、東京裁判や宣教師の記録を引きうつし、工場での被害をすべて日本軍によるものとするだけである。

戦場の悲惨さを書こうとしたのか。

一帯に避難民が出たのは両軍の軍事行動によるもので、ここでもピーター・ハームセンはそれらをすべて日本軍によるものとし、中国軍に目がいっていない。シンドバーグは避難民の救助にあたったが、救助にあたったというのなら、日本軍からではなく、中国の敗残兵と不法な中国人からであろう。

シンドバーグの勇敢さを書こうとしたのか。

シンドバーグは23歳のとき中国へ向かうが、船上で甲板長を殴り、別の乗組員をナイフで刺そうとし監禁される。3年後、セメント工場の管理を任せられるが、工場へ向かうさい日本軍の命令に従うように注意され、工場ではまわりの者をピストルで脅すなどして昭和13(1938)年3月には管理の役を辞めさせられている。勇敢というより乱暴者であった。

なぜシンドラーになぞらえられたのか

副題に「南京のシンドラー」とつけられている。

シンドラーはドイツの軍需工場経営者で、ユダヤ人従業員を雇っていた。ユダヤ人に同情し、収容所将校と親しい関係にあり、ノルマをあげる名目で収容所に入れられた1千200人のユダヤ人を救った。

「バーナード・シンドバーグ 南京のシンドラー」は、数百万の死をもたらしたドイツ国旗が南京では生命を助けるため使われていると記述しており、南京での避難民救助をドイツのユダヤ救出になぞらえているのだろう。

ヨーロッパには反ユダヤの歴史があり、第二次大戦中、ドイツはユダヤ迫害を行った。ヨーロッパに反ユダヤ主義があったとすれば、当時、東アジアには大アジア主義があった。日中が提携して欧米に対処するというもので、支那事変が起きて日中は戦ったが、日本は漢民族を抹殺しようとしたわけでなく、といって欧米を迫害したわけでもない。

シンドラーは成績証明書を改竄するような人物で、チェコでスパイ活動をし、闇商売で工場を大きくした。そのような人間性と通じるところからシンドバーグをシンドラーになぞらえているとしか思えない。

シンドラーになぞられた人は以前にもいた。平成8(1996)年、ドイツ人ラーベの日記が公開されたとき、ラーベは南京市民を救ったとしてシンドラーになぞらえられた。

ラーベは南京で貿易に従事し、南京陥落後、市民救済に動いた。しかし、南京で市民殺害が起きたわけでなく、ラーベが市民を殺害から救ったわけでもない。ラーベの行動は日本に敵対し、南京の復興を遅らせただけである。シンドラーになぞられる話ではなかった。

 結論

 それでは、なぜ、いま、このような本が刊行されるのか。

本書『バーナード・シンドバーグ 南京のシンドラー』は、これを根拠づける史料や資料という観点から見ても、何ら新しいものはなく、報復のため行われた戦争裁判の資料を並べただけで、新たな証拠に基づく研究が加えられたわけでない。敢ていうならば、歴史を正し、事実を広めるという姿勢が日本に見られないため、日本に関しては何を書いても許されるという風潮が世界に流れ、このような本が出版されたというよりほかはない。