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和訳本『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』の発売を記念して、訳者による出版記念シンポジウムが12月24日に開催されます。

日時 :12月24日(日) 13:30~16:00 
会場 :アカデミー文京・学習室(文京シビックセンター地下一階)
参加費:2000円(書籍つき)

当日の講演・シンポジウムは、こちらからご覧いただけます。

国際歴史論戦研究所の藤岡信勝上席研究員らによりハーバード大学ラムザイヤー教授の慰安婦関連論文が邦訳され、12月13日に論文集として発売されます。

今年中に、本書を含めラムザイヤー教授の慰安婦関連の著作が日米韓の3国で一斉に発売されます。壮観です。ラムザイヤー教授を迫害した米国左翼への「3倍返し」実現です。日米韓の運動団体の連携もさらに強固になりつつあります。予約購入をぜひお願いいたします。

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『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破
-娼婦・慰安婦は年季奉公契約をしていた-』

J. マーク・ラムザイヤー(著) 藤岡信勝・山本優美子(編訳)藤木俊一・矢野義昭・茂木弘道(訳)ハート出版刊 税込み1980円 12月13日発売 amazonにて予約受付中!
https://www.amazon.co.jp/dp/4802401728
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ハーバード大学のラムザイヤー教授による4本の娼婦・慰安婦論文を、わかりやすい日本語に翻訳。なかでも、「慰安婦問題」が仕立て上げられる以前に書かれた、戦前日本の娼婦の契約を「ゲーム理論」で分析した<第1論文>は、慰安婦論のベースとなっています。<プロローグ>として、論文公表直後から始まった烈しい個人攻撃と脅迫からなる「ラムザイヤー論文騒動」の顛末を手に取るように描写。アメリカの日本研究の低レベルと文系学部の転落、学問と言論の自由が侵害されている現状も暴露しています。

以下は本のオビなどからの転載です。

■ラムザイヤー先生は、いわゆる「慰安婦が性奴隷だった」とする韓国が世界に広めた間違いを正してくれた。(嘉悦大学教授 髙橋洋一)
■慰安婦の理論的・実証的研究の金字塔! 学問より政治優先の欧米日本研究者たちのお粗末な実態も明らかになった。(青山学院大学教授 福井義高)

命をかけて学問の自由を守り抜く不屈の学者魂!!!!!

始まりは全て吉田清治の作り話と朝日新聞の垂れ流し
経済学の「ゲーム理論」で分析した年季奉公契約の合理性
娼婦も慰安婦もその時代をたくましく生きていた
韓国と米国左派の根拠なき日本非難に終止符を打つ
嘘と知りながら世界に言い続けるのはいい加減にしなさい

論には論で反駁せよ!!!!!

日本軍が慰安婦を強制連行したという「コンセンサス」を日本専門家に押し付けることができるのは、西欧においてだけである。銃剣を突き付けて強制連行したというおとぎ話は吉田清治の回想録の嘘八百で始まった。韓国がそれを輸入し、枝葉を付けて、壮大な物語に仕立て上げた。しかし、日本人はさすがに詐術は詐術だと見破っている。吉田の回想録が嘘だらけで、朝日新聞の記事が砂上の楼閣だったことは、今では誰もが知っている。考えてみれば、この捏造報道は、吉田清治が泥を捏ね、それを、慰安婦の老人ホームが固い日干し煉瓦に変えてしまったのだ。これが「コンセンサス」の正体だ。(本文より)

令和5年(2023年)11月

国際歴史論戦研究所 上席研究員

矢野義昭

【英語版】https://i-rich.org/?p=1796

中東ではまた紛争が激化している。ハマスとイスラエルの戦いが激化しているが、その歴史的経緯も関係大国の思惑も複雑である。

イスラム帝国だったオスマントルコ時代には、今のイスラエルでもイスラム教徒の支配のもとにユダヤ教徒もキリスト教徒も平和裏に共存していた。

しかし19世紀末にシオニズム運動が起こり、それ以来「神に約束された地」とするパレスチナにユダヤ人の入植者が入るようになったが、オスマン帝国は特に規制はしなかった。

 第一次大戦によりオスマン帝国の解体が進むと中東地域は西欧列強により分割統治されるようになる。

大戦の一方の当事国であった英国は、大戦中の1915年にフサイン・マクマホン協定を締結し、アラブ諸国に対トルコ戦に協力することを条件に、アラブ人居住区の独立を約束した。

 他方で英国は翌年5月、連合国側の仏露と、大戦後のオスマン帝国領土の勢力圏について秘密協定を交わしている。

 さらに1917年11月に英国政府は、ユダヤ人のパレスチナでの居住地(ナショナルホーム)建設に合意し、それを支援するとのバルフォア宣言を発している。

 この英国の三枚舌外交は、相互に矛盾しており、今日のパレスチナ問題の根本原因を創ったと言われている。

 ただし、フサイン・マクマホン協定に規定されたアラブ人国家の範囲にパレスチナは含まれていないため、この二つは矛盾していないとの見方もある。

またユダヤ人のパレスチナでのナショナルホーム建設に当たっては、パレスチナ先住民の権利を保護することが明記されている。

バルフォア宣言に基づき、1922に国際連盟は委任統治領パレスチナ決議案を採択した。当時パレスチナ地域の住民は大半がアラブ人であり、委任統治下であっても、民族自決の権利という立場では、アラブ人の主権が尊重されるべきであった。

しかしシオニズム運動の高まりの中、パレスチナには土地を買い取り定住するユダヤ人が増加し、これに反発するパレスチナ住民とユダヤ人との対立が頻発するようになった。

この委任統治下の両民族間の対立が国家間の対立に転換したのは、第二次大戦後の国際連合によるパレスチナ分割決議以降である。

この決議の成立の背景には、第二次大戦中のナチスによるユダヤ人虐殺があった。戦前、戦中に発生したユダヤ人難民の多くがパレスチナを目指す一方で、祖国を持たないユダヤ人のパレスチナでの国家建設を支持する動きが、連合国側の各国で高まった。

中でも決定的重要性を持ったのが、最大の戦勝国米国の議会に対する、米国内ユダヤロビーの働きかけであった。1947年の国連総会において、英国の委任統治を終わらせアラブ人とユダヤ人の国家を創出し、エルサレムを特別な都市とするとの分割案が決議された。

結果的に、国際法上は許されていない、他国領土に異民族が新国家を建設すること、則ち侵略による征服を容認したに等しい国連決議がなされた。この点にこそ、むしろ現代の紛争の根因があると言えよう。

 1948年のイスラエル国家独立宣言をした翌日、イスラエル独立を認めない周辺アラブ諸国は武力侵攻を開始した。これが第1次中東戦争である。イスラエルが勝利し、国連の仲介による停戦後も独立国としての地位を固め、当初の国連による分割決議より広大な地域を占領する結果になった。

半面イスラエルがパレスチナ地域を占領し、70万人以上のパレスチナ人が難民となり、今日のパレスチナ難民問題が発生した。

その後イスラエルと周辺アラブ諸国間の中東戦争は3回発生したが、いずれもイスラエルが勝利し、その領土はさらに拡大した。

パレスチナ側では1964年にパレスチナ解放機構(PLO)が結成されパレスチナの民族自決を主張していたが、1982年のレバノン内戦でレバノンも追われ、しだいに影響力を低下させた。1988年には「イスラエルと共存するヨルダン川西岸地区及びガザ地区でのパレスチナ国家建設」へと方向転換を行い、パレスチナ独立宣言を採択した。

1993年にはイスラエル政府と、PLOの相互承認とガザ地区・西岸地区におけるパレスチナ人の暫定自治を定めたオスロ合意が成立した。PLOは武装闘争の放棄を約束したが、和平粉砕を掲げるハマスが自爆テロを開始し、暫定政府側との内部対立が深まった。

ハマスは2006年のパレスチナ立法選挙で勝利し、2007年のガザの戦いののち事実上のガザ地区の統治当局となった。ハマスは、パレスチナ人によるスンニー派イスラム原理主義、民族主義に立つ組織である。

シリア内戦の際には、アサド政権打倒のためイスラエルや米国の支援を受けヒズボラとも戦ったことがある。ヒズボラは、イランの支援を受けたシーア派民兵組織であり、南部レバノンに基盤を置いている。

しかし近年ハマスは、イスラエルとの武力闘争に力を注ぎ、ヒズボラとの戦略的連携を強め、武器や訓練面での支援を受けている。

今回のハマスによる奇襲から始まったイスラエルとの紛争は、まだ継続中のウクライナ戦争に連動して新たな戦線を開くことにもなり、ロシアと局外に立つ中国にとり戦略的な利益があることから、両国の支援も背後にはあるとみられている。

また核兵器級濃縮ウラン入手寸前と言われるイランに対し、イスラエルと米国は先制攻撃をするのではないかとみられていた。

他方でバイデン政権は、凍結したイランの資金60億円の凍結を解除している。その一部がヒズボラを通じてハマスに流れた可能性も否定できない。

バイデン政権がなぜ60億ドルもの凍結資金を解除し、あるいはアフガンの残置兵器やウクライナへの供与兵器の一部がハマスにわたるようなことを放置したのかも明確ではない。

ウクライナではロシアに敗れて思惑が外れたので、中東で新たな戦争を画策して利益を得ようとする、米国のユダヤ系国際金融資本の思惑があるのではないかとの指摘もある。

このように今回の中東戦争に至る歴史的経緯も、域内域外の大国の思惑も、その背景は極めて複雑であり、単純に敵味方や善悪で割り切れる問題ではない。

この複雑怪奇な国際情勢の激動に流されることなく、常に的確な情勢分析を行い、国益とりわけ国家の安全保持に最大限の努力を払うことが各国には求められている。

日本周辺もウクライナ、中東に並ぶ軍事的緊張を抱えた地域であり、日本自身にもそのような自立的な安全保障政策と情報活動が求められている。

とりわけ日本は、原油輸入先の9割以上を中東に依存しており、ホルムズ海峡の安全航行が困難になれば、日本はその影響を直接受けることになる。日本の石油備蓄量は国と民間で合わせて約240日分あるが、紛争が長期化すれば、日本経済への打撃は大きい。エネルギー安全保障の強化、特に原発の早期再稼働に踏み切るべきであろう。

また紛争は急拡大するおそれがあり、現地邦人や企業の安全確保と日本への帰還も急がねばならない。PKO参加5原則を見直し、自衛隊に、紛争地域でも任務達成のため必要な武器を使用できる権限を与えるべきである。

最大の脅威は、北東アジアに生じた力の空白に乗じて、中国が尖閣・台湾への侵攻に乗り出すことである。中国経済は国家統制が進み、相次ぐ要人の更迭など習近平独裁体制が強化され、核戦力や備蓄の増強等の戦争準備が進められている兆候がみられる。

日本は防衛力強化を急ぎ、予期される尖閣侵攻などの日本有事に備えると共に、中朝の核恫喝にも耐えられるよう、独自の核抑止力強化にも踏み切らねばならない。

International Research Institute for Controversial Histories

Guest Fellow

Tsukasa Shirakawa

日本語

1. The origin of the SCJ’s Galapagos-like pacifism

The Science Council of Japan was established in 1949 under the rule of the Allied Forces General Headquarters (GHQ), when everything held affirmative prior to the Pacific War was negated without reason. This very atmosphere turned the national academy fundamentally aiming to support Japan’s science and technology into a propaganda organ with Galapagos-like pacifism .

The then Prime Minister Yoshida Shigeru was dissatisfied with the Science Council of Japan because while using the Government budget, all the SCJ did was to criticize the government and engage in political confrontations. So, Yoshida tried to change it from a government organ to a private one. But the SCJ’s first President Kameyama Naoto, citing the GHQ foremost, checked Yoshida and thus, eventually the time was up for Yoshida’s efforts.

Initially, when he took office, General Douglas MacArthur of the GHQ was very enthusiastic about the demilitarization of Japan. In thought and academic aspects, he was most attentive to two issues: the purge of public officials, which started in 1945, and the establishment of the Science Council of Japan.

2. The Science Council of Japan was filled with leftists

In the purge of public officials, many statesmen who held conservative views, journalists, business leaders, scholars and teachers were expelled from their jobs. Among those expelled, there were many people indispensable in the task of restoring Japan in the postwar years. It was only since 1950 that those indispensable workers gradually came to be exempt from the purge.

On the other hand, in the Science Council of Japan, from the very beginning, the subsidiary of the Communist Party named Democratic Scientists’ Association (DSA) was dominant. Against the re-armament, the Science Council of Japan issued a statement to the effect that the Council shall not engage in any study that may contribute to the development of military technologies. Incidentally, this statement was repeated as the statement of study of military security in 2017. Regarding national security, the SCJ has not changed its standing for sixty-six years.

The DSA lost support after it criticized Stalin in 1965 and practically ceased to exist in the 1960s. However, the Japan Scientists’ Association (JSA) succeeded it. The JSA is partially influenced by the Japanese Communist Party and the latter has kept certain influence over the Science Council of Japan, using this academic organization.

After DSA ceased to exist, its branch of jurists called “legal sub-committee” continues to operate even today and acts as a brain for the pro-Constitution movement or as an organization of activists. Incidentally, among the six SCJ members “who were denied appointment,” three of them, Mr. Matsumiya Takaaki, Mr. Okada Masanori and Mr. Ozawa Ryuichi are related to the legal subcommittee of the Democratic Scientists’ Association.

We should bear it in mind that although GHQ gave birth to the Science Council of Japan, it did not expand it. MacArthur himself gradually lessened his initial prejudice against Japan and finally started rearming it. On the other hand, the Science Council of Japan accepted MacArthur’s initial prejudice as it was and has preserved it.

I just mentioned that the first President Kameyama name-dropped GHQ in protesting against Prime Minister Yoshida’s intention to make the SCJ private. The Science Council of Japan has been very much proud of the fact that it came into being through GHQ, which was more powerful than the Japanese Government, while ideologically influenced by the Communist Party. This sense of pride seems to make the Science Council of Japan always act arrogantly in dealing with the Japanese Government.

3. The organization ailed by the “Pre-war Syndrome”

The year 1965, when Japan Scientists’ Association was born, was the “era of the students’ movement.” The Japanese Communist Party was promoting a peace movement with the goal to stop nuclear bombing and further accelerated it into a movement opposing the Vietnam War.

Part of the Science Council of Japan still carries the mentality of the students’ movement deeply soaked in pacifism and leftist ideology, which were present even in its prime age. This is clear from the scenes of scholars who “were denied assignment” loudly expressing themselves in front of the TV cameras.

Listening to anti-Government statements voiced by the Science Council of Japan, we can see its morbid, short-circuited thinking that connects everything to the pre-war situation or claims that “whatever conservative administration does leads to militarism.” I call it “Pre-war Syndrome.”

When statesmen of the ruling party try to enhance the national security policy, those who have internalized the pre-war syndrome hear “military boots” resounding from nowhere and become hot with flames of justice, thinking “unless we do something against it, Japan will become militarist.” This is the source of energy that keeps Galapagos-like pacifism going to this day within the Science Council of Japan.

4. The right to appoint resides in the Prime Minister

As the theoretical grounds for criticizing Prime Minister Suga Yoshihide’s refusal of appointment in 2020, it was mentioned that Niwa Hyosuke, Chief of Home Affairs of the Nakasone Cabinet, responded that “it is mere nominal recommendation and those recommended by the Council will not be refused and will be nominally appointed.”

In the background of this response, there was a change in the membership nomination. The SCJ members used to be elected among recommended candidates, but then the procedure was changed to a system of recommendation by the sitting SCJ members. By the latter method, it became easier for the Science Council of Japan to arbitrarily select its members.

However, the status of the member of the Science Council of Japan is special national civil servant to be appointed by the Prime Minister, which is clearly stated in the Science Council of Japan Law. It is the duty of a civil servant to follow the appointment by the Prime Minister. There is no need to account for the personnel appointment.

In addition, the final report of the Council for Science and Technology in 2003, based on the Fundamental Law on Reform of Central Ministries, Agencies and others, states, “As to the form of establishment, the way academies in major European and American states are is considered to be ideal, and regarding the Science Council of Japan, we will evaluate the progress in the reform within the next decade and discuss adequate way of establishment.” Following this, the Science Council of Japan should be reformed in one way or another by 2013.

5. The Science Council of Japan should promptly be dissolved 

Surveying proposals made by the Science Council of Japan so far, we cannot find any example of its significant social contribution that the entire nation can duly appreciate. In 2000, there was a case of fabrication in the field of archaeological society. The Science Council of Japan failed to propose any solution. In recent years, there have been many anti-Government proposals and when it comes to the covid disaster, the SCJ did not come up with any proposal. The Science Council of Japan, having assembled the top brains in Japan and being versed in overseas information and knowledge, has been busy protesting against the issue of the refused appointment, but failed to produce any proposal as a government organ during the hardest time for the Japanese people. A billion yen out of the precious tax money is annually spent on the SCJ. The Science Council of Japan seems not to feel duly responsible for meeting the people’s expectations.

In addition, the Science Council of Japan holds certain influence over the examination members of the Science Council of Japan Promotion Foundation in deciding the allocation of \237.7 billion scientific research fees for the fiscal 2021 as authorities in various fields of science. Through its enormous influence in allocating the scientific research fees, the SCJ controls the entire academic society, driving the academic world toward left, marring the Government’s national security policy and making Japan fall behind other countries in dealing with national security.

Moreover, some members of the Science Council of Japan are related to the so-called “seven schools of national defense” of the Chinese People’s Liberation Army, some apply to the “One Thousand People Plan” by the Chinese Government recruiting foreigners, and there is a case in which Japanese cooperated in Chinese military study, while opposing Japan’s own military study.

Most of physics and engineering scientists’ specialties span both military and civilian fields. However, the Science Council of Japan is so insistent on being a propaganda organization firmly opposing military study on its own that not a few scientists find it difficult to carry out their study in Japan. The SCJ is led by assertions of those in humanities study and pro-Communist Party members while members in physics and chemistry are obliged to follow them. Thus, only partial assertions made by ultra-left SCJ members turn out to be the assertions representing the entire Science Council of Japan.

In historical examination of the Science Council of Japan, we must say that the SCJ is too much influenced by the Japanese Communist Party, which has a mere one percent support rate among the Japanese voters. The Japanese Government should promptly start dissolving the Science Council of Japan for the sake of Japan’s national security and other important issues.   

令和5年(2023年)10月

国際歴史論戦研究所 会長

杉原誠四郎

【英語版】https://i-rich.org/?p=2016

 欧米の文明には3つの柱があるといわれる。ギリシャ哲学とキリスト教とローマ法である。

 ローマ法に関わっては「法とは発見するものであって、つくるものではない」という法諺があるようである。つまり法とは正義を追求するものであるということである。

 中国文明のもとでは、法とは権力の掌握者が人民を支配するための道具にすぎず、権力者がいかような法をつくってもよいし、いかように適用してもよいというものである。

 欧米の法はローマ法に起源があり、究極において正義を求めるというところがある。したがって、正しいという意味のright は、「権利」の意味にもなっている。ただ、法としては観念ではないから力の裏づけが必要で、right 右手を指し、力を表している。つまり力に裏づけられた正義を指す。

 こうして欧米の法は権力者の恣意によるものではなく、その存在自体に権威があるものとして扱う。その結果、「法の支配」とか「法治主義」の観念のもとに法が包摂され、原則としてその法が現在の世界を律している。

 かくして「法の支配」のもとではさまざまな原則が生まれてくることになる。刑を科す法律を作った場合、その適用は遡って行ってはならないという不遡及の原則はよく知られている原則の1つである。

 そうした諸原則のもと、国家との関係では、司法、立法、行政の三権分立の原則が求められることになる。司法、立法、行政が適正に牽制しあって、正義、及び法秩序の安定を図るのである。

 日本は明治以来、真摯に欧米の法学を学び、「法の支配」に服することに努力し、現在は「法の支配」に完全に服す国になっている。

 が、この一、二年、「法の支配」が崩壊しつつあるのではないかという事象が現れた。

 「法の支配」の歴史的危機と呼ぶべき「法の支配」の崩壊の兆しが見えるのである。

 昨年、12月10日、旧統一教会問題でいわゆる被害者救済法、正式には「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律」が制定された。

 この法律は旧統一教会の解散を求めようという喧騒のなかで制定された。が、これを「法の支配」から考えたとき、旧統一教会を解散させるためにどんなに厳しい法律を制定しても、その適用はこの法律の施行後の案件に対してだけしか適用できなのだということが、この喧騒を受けている行政府の方から発信されなかった。もしそれが早めに発信されておれば、あれほどの喧騒に陥ることはなかったのではないか。

 岸田首相は解散事由には民法も入ると一夜にして解釈を変えたが、行政府として解釈の変更は法が許容していると見られる範囲のものであるかぎり、「法の支配」のもと、そこからの逸脱ではない。が、「法の支配」の原則を指摘せず、あたかも喧騒をいっそう搔き立てるかのように解釈の変更を言い出したのは、行政府として、「法の支配」のもと、一つの逸脱である。

 国会では本年6月16日、いわゆるLGBT法、正確には「性的傾向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」を成立させた。

 「法の支配」という観点から見て、本法には立法を必要とする事由たる「立法事実」がない。そういう法的状況のもとでこのような法律を制定するというのは、これまでの大多数の国民が享受してきた秩序を崩壊させ、安定した正義、安定した法秩序を不安定にし、国民の安寧と幸福を壊すことへ導くことになる。立法としてやはり「法の支配」からの逸脱である。

最高裁は本年7月11日、性別変更に必要な性別適合手術を健康上の理由で受けておらず身体は男性のままで妻子もいるといわれる、性自認で女性であると主張する性同一性障害の経済産業省の職員に省内の全ての女性トイレを使用することを認める判決を出した。

これによって性同一障害の当該原告の主張は通り、その限りでこの当該者の権利は満たされることになるが、しかしそのことによって経済産業省の大多数の女性が享受していた平穏に女性トイレを使用する権利を侵されることになった。

経済産業省はこの当該者に特定の女子トイレを使用するよう制限したもので、女子トレノ使用の全てを禁止したものではない。

最高裁としては、当この当該者の不便の救済を直接行うことを使命としているわけではなく、大多数の女性職員の平穏に女子トイレを使用する権利を鑑みて、当該者にこのような制限を課したものであり、この制限の措置が合法の範囲のものかどうかの裁定を仰がれていたのである。特定、特殊な事情の人のために圧倒的多数が享受している秩序を壊し圧倒的大多数の法益を奪うのは法の正義に反する。

また、このような特殊の事情にある者を救済しようというのであれば、該当者全員を対象に新たな制度を作ることによって救済すべきであり、議論して新しい制度をつくって救済する以外にない。しかし議論して新しい制度をつくるのは国会の仕事である。

司法は訴訟を通じて、既存の諸法規、慣習のなかで合法か合法でないかを判定して、それによって諸法規に最終解釈権を行使するところである。

司法において、大多数の享受してきたこれまでの秩序を破壊して特定の人を救済するのは「法の支配」に悖る。

最高裁は、我が国のまさに最高の裁判所であるから、伝統的秩序の維持を大事にし、安定した国家の創造に尽くさなければならない。

以上、この一、二年、司法、立法、行政の「法の支配」の崩壊につながっているのではないか思われる案件を指摘し、「法の支配」の崩壊に警告を発するものである。 「法の支配」「法治主義」については拙著『法学の基礎理論-その法治主義構造』(協同出版 一九七三年)を参照していただきたい。