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複雑怪奇な中東紛争―その歴史的経緯と大国の思惑-

令和5年(2023年)11月

国際歴史論戦研究所 上席研究員

矢野義昭

【英語版】https://i-rich.org/?p=1796

中東ではまた紛争が激化している。ハマスとイスラエルの戦いが激化しているが、その歴史的経緯も関係大国の思惑も複雑である。

イスラム帝国だったオスマントルコ時代には、今のイスラエルでもイスラム教徒の支配のもとにユダヤ教徒もキリスト教徒も平和裏に共存していた。

しかし19世紀末にシオニズム運動が起こり、それ以来「神に約束された地」とするパレスチナにユダヤ人の入植者が入るようになったが、オスマン帝国は特に規制はしなかった。

 第一次大戦によりオスマン帝国の解体が進むと中東地域は西欧列強により分割統治されるようになる。

大戦の一方の当事国であった英国は、大戦中の1915年にフサイン・マクマホン協定を締結し、アラブ諸国に対トルコ戦に協力することを条件に、アラブ人居住区の独立を約束した。

 他方で英国は翌年5月、連合国側の仏露と、大戦後のオスマン帝国領土の勢力圏について秘密協定を交わしている。

 さらに1917年11月に英国政府は、ユダヤ人のパレスチナでの居住地(ナショナルホーム)建設に合意し、それを支援するとのバルフォア宣言を発している。

 この英国の三枚舌外交は、相互に矛盾しており、今日のパレスチナ問題の根本原因を創ったと言われている。

 ただし、フサイン・マクマホン協定に規定されたアラブ人国家の範囲にパレスチナは含まれていないため、この二つは矛盾していないとの見方もある。

またユダヤ人のパレスチナでのナショナルホーム建設に当たっては、パレスチナ先住民の権利を保護することが明記されている。

バルフォア宣言に基づき、1922に国際連盟は委任統治領パレスチナ決議案を採択した。当時パレスチナ地域の住民は大半がアラブ人であり、委任統治下であっても、民族自決の権利という立場では、アラブ人の主権が尊重されるべきであった。

しかしシオニズム運動の高まりの中、パレスチナには土地を買い取り定住するユダヤ人が増加し、これに反発するパレスチナ住民とユダヤ人との対立が頻発するようになった。

この委任統治下の両民族間の対立が国家間の対立に転換したのは、第二次大戦後の国際連合によるパレスチナ分割決議以降である。

この決議の成立の背景には、第二次大戦中のナチスによるユダヤ人虐殺があった。戦前、戦中に発生したユダヤ人難民の多くがパレスチナを目指す一方で、祖国を持たないユダヤ人のパレスチナでの国家建設を支持する動きが、連合国側の各国で高まった。

中でも決定的重要性を持ったのが、最大の戦勝国米国の議会に対する、米国内ユダヤロビーの働きかけであった。1947年の国連総会において、英国の委任統治を終わらせアラブ人とユダヤ人の国家を創出し、エルサレムを特別な都市とするとの分割案が決議された。

結果的に、国際法上は許されていない、他国領土に異民族が新国家を建設すること、則ち侵略による征服を容認したに等しい国連決議がなされた。この点にこそ、むしろ現代の紛争の根因があると言えよう。

 1948年のイスラエル国家独立宣言をした翌日、イスラエル独立を認めない周辺アラブ諸国は武力侵攻を開始した。これが第1次中東戦争である。イスラエルが勝利し、国連の仲介による停戦後も独立国としての地位を固め、当初の国連による分割決議より広大な地域を占領する結果になった。

半面イスラエルがパレスチナ地域を占領し、70万人以上のパレスチナ人が難民となり、今日のパレスチナ難民問題が発生した。

その後イスラエルと周辺アラブ諸国間の中東戦争は3回発生したが、いずれもイスラエルが勝利し、その領土はさらに拡大した。

パレスチナ側では1964年にパレスチナ解放機構(PLO)が結成されパレスチナの民族自決を主張していたが、1982年のレバノン内戦でレバノンも追われ、しだいに影響力を低下させた。1988年には「イスラエルと共存するヨルダン川西岸地区及びガザ地区でのパレスチナ国家建設」へと方向転換を行い、パレスチナ独立宣言を採択した。

1993年にはイスラエル政府と、PLOの相互承認とガザ地区・西岸地区におけるパレスチナ人の暫定自治を定めたオスロ合意が成立した。PLOは武装闘争の放棄を約束したが、和平粉砕を掲げるハマスが自爆テロを開始し、暫定政府側との内部対立が深まった。

ハマスは2006年のパレスチナ立法選挙で勝利し、2007年のガザの戦いののち事実上のガザ地区の統治当局となった。ハマスは、パレスチナ人によるスンニー派イスラム原理主義、民族主義に立つ組織である。

シリア内戦の際には、アサド政権打倒のためイスラエルや米国の支援を受けヒズボラとも戦ったことがある。ヒズボラは、イランの支援を受けたシーア派民兵組織であり、南部レバノンに基盤を置いている。

しかし近年ハマスは、イスラエルとの武力闘争に力を注ぎ、ヒズボラとの戦略的連携を強め、武器や訓練面での支援を受けている。

今回のハマスによる奇襲から始まったイスラエルとの紛争は、まだ継続中のウクライナ戦争に連動して新たな戦線を開くことにもなり、ロシアと局外に立つ中国にとり戦略的な利益があることから、両国の支援も背後にはあるとみられている。

また核兵器級濃縮ウラン入手寸前と言われるイランに対し、イスラエルと米国は先制攻撃をするのではないかとみられていた。

他方でバイデン政権は、凍結したイランの資金60億円の凍結を解除している。その一部がヒズボラを通じてハマスに流れた可能性も否定できない。

バイデン政権がなぜ60億ドルもの凍結資金を解除し、あるいはアフガンの残置兵器やウクライナへの供与兵器の一部がハマスにわたるようなことを放置したのかも明確ではない。

ウクライナではロシアに敗れて思惑が外れたので、中東で新たな戦争を画策して利益を得ようとする、米国のユダヤ系国際金融資本の思惑があるのではないかとの指摘もある。

このように今回の中東戦争に至る歴史的経緯も、域内域外の大国の思惑も、その背景は極めて複雑であり、単純に敵味方や善悪で割り切れる問題ではない。

この複雑怪奇な国際情勢の激動に流されることなく、常に的確な情勢分析を行い、国益とりわけ国家の安全保持に最大限の努力を払うことが各国には求められている。

日本周辺もウクライナ、中東に並ぶ軍事的緊張を抱えた地域であり、日本自身にもそのような自立的な安全保障政策と情報活動が求められている。

とりわけ日本は、原油輸入先の9割以上を中東に依存しており、ホルムズ海峡の安全航行が困難になれば、日本はその影響を直接受けることになる。日本の石油備蓄量は国と民間で合わせて約240日分あるが、紛争が長期化すれば、日本経済への打撃は大きい。エネルギー安全保障の強化、特に原発の早期再稼働に踏み切るべきであろう。

また紛争は急拡大するおそれがあり、現地邦人や企業の安全確保と日本への帰還も急がねばならない。PKO参加5原則を見直し、自衛隊に、紛争地域でも任務達成のため必要な武器を使用できる権限を与えるべきである。

最大の脅威は、北東アジアに生じた力の空白に乗じて、中国が尖閣・台湾への侵攻に乗り出すことである。中国経済は国家統制が進み、相次ぐ要人の更迭など習近平独裁体制が強化され、核戦力や備蓄の増強等の戦争準備が進められている兆候がみられる。

日本は防衛力強化を急ぎ、予期される尖閣侵攻などの日本有事に備えると共に、中朝の核恫喝にも耐えられるよう、独自の核抑止力強化にも踏み切らねばならない。