コンテンツへスキップ

書評 杉原誠四郎、波多野澄雄著『吉田茂という病―日本が世界に帰ってくるか』(自由社、令和三年)及び同書続編-死者の魂を生者の魂がいかに遇するか―書評 杉原誠四郎、波多野澄雄著『吉田茂という病―日本が世界に帰ってくるか』

評者 国際歴史論戦研究所上席研究員 矢野義昭

掲載 正論 2022年12月号

今年七月八日、安倍晋三元首相が凶弾に斃れ非業の死を遂げた。安倍元首相の国葬儀に反対するデモが、九月二十七日の国葬儀当日でも、大音響を発しながら武道館近くの靖国通りを横切り行われていた。

安倍元首相に先立ち、戦後国葬儀が行われた元首相がもう一人いる。本書の書名にもなっている、「吉田茂」元首相である。しかし、本書を読めば誰しも、吉田茂は本当に国葬儀を行うに相応しい人物であったのかという疑念を禁じえないであろう。

本書が暴いてみせる吉田茂の正体は、「敗戦利得者」の首魁という醜悪な姿である。戦後、敗戦利得者とその追随者たちが覆い隠してきた、吉田茂のさまざまの実像が余すところなく語りつくされている。

 

吉田茂はなぜ「敗戦利得者」の首魁なのか?

 吉田茂が何故に醜悪な「敗戦利得者」であったと言えるのかについて、本書の対談者である杉原誠四郎と波多野澄雄は、広範な史実と歴史資料に基づき実証している。

「敗戦利得者」の命名者である杉原によれば、「敗戦利得者」は、以下のような経緯を経て、その地位と権力を確立していった。

占領軍が一九四六年(昭和二十一年)一月四日、公職追放令を出したが、この指令の下に、約二十一万人の人が公職追放になり、その空いたポストに就いた人は先ずは「占領協力者」としてその地位についた。

その占領協力者は、敗戦がなければそのポストには就いていないであろうということで「敗戦利得者」に転化した。そして戦争で死んでいった人たちに思いを馳せず自己の利益のために占領軍に協力するようになり、さらには占領の間違っている政策についても協力するようになった。

結果として「敗戦利得者」たちは、あの戦争で死んでいった人たちの想いを無視することを恥じざるようになった。

吉田茂の場合は始めからその傾向があった。吉田は、憲法改正の帝国議会で、議員の質問を受けて平然と、日本は無条件降伏をしたと答えている。これは連合国、アメリカに有条件のポツダム宣言を出させるように戦って死んだ兵士や国民の想いを無視しなければ言えないことである。

その前日にも「日本の軍閥は、真珠湾攻撃の報復措置を日本本土において受けている」と言い、戦争が苛酷となった原因の一つである、日本海軍の真珠湾攻撃の「騙し討ち」に対し直接の責任を負う、開戦当時の在米日本大使館の外交官二人を、吉田は占領解除前後に外務次官に抜擢している。吉田のそのような人事は、戦争で死んでいった人たちの想いを受け止めればできないことである。

吉田茂を含めた敗戦利得者の共通の通弊は、あの戦争で死んでいった人たちの想いを平然と無視する、あるいは無視できたことであった。そしてこれらの敗戦利得者は占領軍の占領政策の悪しきところ、間違っているところを継承し発展拡大する方向で、占領解除後の日本で行動した。

そのために、占領軍はいなくなってWGIPの直接の作用は完全に皆無となったのに、占領解除後、敗戦利得者に依ってその作用は継承、発展された。そして日本国民の戦争体験が風化すると共に、その継承した作用の結果は大きくなった。

集団化した「敗戦利得者」集団は、その親玉たる吉田茂を大宰相として祭り上げる画策をし、結局、日本国民を騙していくことになる。吉田の後継者の佐藤栄作が内閣を率いていた昭和四十二年十月二十日、吉田は没した。このとき佐藤は、吉田茂に対して戦後初めて国葬を行った。大宰相として公認したことになる。

以上が、杉原が指摘する、「敗戦利得者」が権力を握り、占領解除後も影響力を拡大し続けた経過である。

日本の「国体」―死者の魂と生者の魂の行き交い

江藤淳は『靖国論集―日本の鎮魂の伝統のために』(株式会社日本教文社、昭和六十一年)の中で、「特に靖国神社公式参拝問題のように、国がどのように戦没者に対する態度を決定するかというが如き問題の場合には主として議論の対象としなければならないconstitutionとは、文化・伝統・習俗の一切を包含した国の在り方そのものであって、日本人がいかにこの国で生き、かつ死んで来たかという積み重ね以外のものではありえない。つまりこれは広い意味、そして深い意味で、日本文化の問題なのです。

その文化の文脈の中で、死者はどのように祭られ、生者は死者をいかに遇してきたか。それがそのまま今日でも、滞りなく行われるのかどうかというのが、根本的問題のはずではありませんか。」と述べている。

なぜなら、江藤の言葉を借りれば、「死者の魂と生者の魂との行き交いがあって、初めてこの日本という国土、文化、伝統が成立している。それこそこの日本のconstitutionである。」「つまり死者のことを考えなくなってしまえば、日本の文化は滅びてしまう」からに他ならないからである。

ここで江藤はconstitutionを、「国体」あるいは「国柄」という意味で使っており、憲法典はその「部分」であり、それに「のっかっているもの」に過ぎないとしている。

「敗戦利得者」達が醜悪なのは、杉原も指摘しているように「戦って死んだ兵士や国民の想いを無視」し、死者の思いを一方的に断ち切り、さらには占領者に阿諛迎合して、死者はもはや語れないことにかこつけ、時に死者を愚弄さえしてきたからに他ならない。

吉田自身も、出身官庁である外務省の失態を隠蔽し、あるいは責任逃れをすることを優先し、再軍備、歴史認識、教育政策などの国家の大計を誤った。

 また、杉原と波多野が明確に立証しているように、吉田は占領軍に過度に忖度しマッカーサーに媚びて、占領軍も極東委員会も認めていた自衛のための戦力保持を否定するなど、本来の趣旨以上に占領軍の政策を極端に解釈し、憲法解釈や再軍備を歪めた。

その悪影響は現在にも及び、日本の安全保障政策、教育、改憲論などを歪曲し不合理な制約を与えている。

吉田茂が捻じ曲げた憲法解釈と再軍備

昭和二十一年七月の特別委員会で、金森徳次郎国務大臣は、「(日本国憲法第九条草案の)第一項ハ「永久にこれを放棄する」ト云フ言葉ヲ用ヒ、可ナリ強ク出テイル」が、第二項はこのような言葉は使っていない。この点について、私自身は、第二項の戦力保持などについては、「色々ト考フベキ点ガ残ツテイルノデハナイカ」、こういう気がすると答弁している。その後の芦田修正による、自衛のための「戦力」は保持しうるとの第二項の解釈の余地に、金森はすでに気づいていた。

しかし吉田は、芦田修正が行われる前の昭和二十一年六月二十八日衆議院憲法改正特別委員会では、日本共産党の野坂参三議員からの自衛権は認めるべきではないかとの質問に対し、「国家正統防衛権に依る戦争は正当なり」との見解を否定し、「私は斯くの如きことを認むることが有害であると思う」のであり、その理由として「近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実である」ことを指摘している。

この吉田の主張は明らかに、国家の自然権である自衛権をも否定した発言である。芦田修正により自衛のための戦力を持ちうるように憲法九条二項の条文が変わったことを、吉田は憲法改正の際の総理である以上、十分に承知していたはずである。それにもかかわらず、その後も吉田は、自衛のための戦力は持てないとの無理な解釈を打ち出し、さらにその解釈を固定化したのである。

吉田茂は、法令の制定の際に緻密な審査検討をした権威ある政府機関であったが占領下に解体された法制局を、主権回復三か月後に「内閣法制局」として復活させた。本来ならば、上に述べたような経緯を踏まえ、内閣法制局に憲法の正しい解釈を打ち建てさせるべきであった。しかし吉田は、第九条戦争放棄の解釈を、自衛のための「戦力」も持てないという出鱈目な解釈を政府の公権解釈にすることを手伝わせる政府機関にしたと、杉原は吉田の対応を厳しく批判している。

同類の「敗戦利得者」の中でも、宮沢俊義以下東大法学部の敗戦利得者憲法学者の、改憲論、安全保障政策に及ぼす害悪は深刻である。東大法学部の憲法解釈は、厳しさを加える日本の安全保障環境のもとで合理的な防衛政策を論じ政策化する上で、脅威を無視した非武装違憲論に論拠を与え、国家存亡の危機を招く一因となっている。

 戦後の政界と憲法学界における最高の権威者である吉田と宮沢に対し、真実に立脚し果敢に否定論を展開した、杉原、波多野両氏の勇気と見識に改めて敬意を表さざるを得ない。

マッカーサーの対日占領政策は成功であったと言えるのか?

 ただし、本書に異論を感じた点もある。例えば、続編の末尾に、「等身大」の占領政策評価の必要性が説かれている。その点は妥当であるが、マッカーサーの銅像を建てることを提言するほど、マッカーサーを顕彰し米国の対日占領政策を大成功と評価することはできない。

マッカーサーは、非現実的な非武装、戦争放棄、自衛戦争の否定まで謳った憲法第九条草案を日本に押し付けた。ダレスの再軍備要求に直面して、立場を変えて日本全土駐留、自由使用政策に転じた。しかし朝鮮戦争の勃発後も、再軍備をごまかして警察予備隊と偽装し、自分の理想を書いた日本国憲法との辻褄合わせを図り、体面を保とうとした。

マッカーサーは、自らの体面のために、占領国の国憲と再軍備を歪めることを躊躇しなかった。吉田の最大の罪は、そのようなマッカーサーにおもねることにより、自らの保身を図ったことにある。

マッカーサーも吉田も、自らの保身や上辺だけの権威や体面を保つことに汲々とした小人である。所詮最高指導者にふさわしい人物ではなかった。この二人が日本の占領政策と戦後の方向性を主導したことが、戦後日本にとり最大の不運であった。

対日占領は、異例の六年余の長期にわたっただけではなく、ドイツと異なり、憲法改正を強要し教育、宗教政策にまで介入した。また、徹底したメディア検閲、WGIPなどの洗脳工作、二十一万人のパージなど、占領下で苛酷な心理戦、情報戦、非軍事戦が徹底して展開された。そのもたらした歪みは、いまだに日本の再生を妨げている。

それは決して日本側のみの責任ではなく、占領解除後の効果の持続拡大も狙った、占領下での心理戦、情報戦による 洗脳の固定化、敗戦利得者の要職への残置などの非軍事戦の周到さにあるとも言える。

この今なお効力を発する洗脳工作に対抗するには、日本人が本来の国柄、歴史と伝統に根差した「国体」を取り戻さねばならないことも、本書の中で杉原、波多野の二人の見解が一致している点である。

戦後克服のため再確認されるべき日本の「国体」

波多野は、三島由紀夫が昭和四十四年(一九六九年)に提示した改憲論「天皇に捧ぐ憲法改正」の中で述べている改憲案を紹介している。

三島の改憲案では、第九条第一項については、不戦条約以来の理想条項であり、これを残しても自衛のための戦力の保持は可能であると主張している。しかし、第九条第一項は世界各国の憲法に挿入すべきであって、日本憲法のみが第九条第一項を国際社会への誓約として明記するということは、国際的には不公平、不調和である。

そこで第九条を全部削除し、その代わりに、国軍の創設をうたい、「建軍の本義」を憲法に明記して次のように規定すべきだと、主張している。すなわち、「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信椅(しんい)と日本国民の信頼の上に建軍される」。

また波多野は、「三島は[国体]は[日本民族日本文化のアイデンティティー]だとし、[歴史、伝統、文化の時間的連続性に準拠し、国民の長い生活経験と文化経験の集積の上に成立するものである]とし、その観点に立って[天皇の問題は、かくて憲法改正の最も重要な論点であって、何人もこれを看過して、改憲論を語ることはできない]と言い切っています」と指摘している。

江藤は、生者が死者に向き合い、死者の思いと交流しあうことに日本の国体の特質があると説いた。それが靖国問題の本質であるとも断じている。三島は、憲法九条改正案において、日本国軍隊は、「天皇を中心とするわが国体を護持」するために建軍されるべきだと主張した。

護持すべき「国体」とは何かについて、本書で杉原と波多野は、昭和十二年に文部省が発行した『国体の本義』に基づき、以下のように補足している。

すなわち、アメリカの強要した民主主義が人間一人一人を大切にするということであったのであれば、日本は『国体の本義』を通じて十分に受け容れる受容の態勢がすでに整っていた。

『国体の本義』では、日米のどこが違うかといえば、日本における「人間一人一人を大切にする」というとき、それは人間が生まれながらに持っている他人との関係、つまり親子の関係とか、兄弟姉妹の関係とか、夫婦の関係とか、そうした生まれながらの不可避な人間関係を大切にしながら「人間一人一人を大切にする」という特色がある。

それに対し、アメリカの押し付けようとした民主主義の核たる個人主義は、生まれながらの人間関係も考慮しない個人主義であり、日本式の「人間一人一人を大切にする」個人主義の方が優れていると、杉原も波多野も主張している。

国王たる天皇と、臣下たる国民との関係についても、日本の場合は、天皇との関係も生まれながらの関係であるとし、天皇への忠誠は生まれながらにして守るべき徳目であるとしている。

中国の国王は、自ら持つ武力に拠って成り立つ覇王だが、日本の天皇は、国を建てた時の祭主であり、民を代表して「神」に安穏福祉を祈る祭主であり、天皇は民に向かっては「神」に代わって民を慈しむ神の代理である。最初の建国の際の祭主である者の血筋を引いた者が国王を務める日本にあっては、その国王たる天皇を敬うのは当然だということになると、杉原は語っている。

三島の「国体」観を受けて杉原は、以下の三島の主張を紹介している。「新憲法によれば[儀式を行ふこと](第七条第十項)とニュートラルな表現で[国事行為]に辛うじて残されているが、歴史、伝統、文化の連続性と、国の永遠性を祈念し保障する象徴行為である祭祀が、なお天皇の最も重要な仕事であり、存在理由であるのに、国事行為としての[儀式]は、神道の祭祀を意味せぬものと解され、祭祀は天皇家の個人的行事になり、国と切り離されている。

しかし、天皇が[神聖]と完全に手を切った世俗的君主であるならば、いかにして[象徴]となり得よう」。「大統領とは世襲の一点において異なり、世俗的君主とは祭祀の一点において異なる天皇は、まさにその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、[象徴]たる特色を担っているのである」。

杉原も、正にそのとおりだと三島の見解に賛同し、「国家と国民の安寧を祈る天皇の祭祀は、それが行われるとき、天皇と国民の関係の顕現するその瞬間、時間」であり、「天皇と国民の紐帯」そのものである、にもかかわらず、天皇の祭祀は天皇の「私的行為」だとする現在の日本を覆っている憲法学は、国家の憲法学としての体をなさないと、指摘している。

さらに杉原は、このような観点に立てば、「天皇の祭祀は[天皇の私的行為]だという現在流布している憲法学の解釈が、いかに劣悪で、滑稽で、稚拙なものか、分かるはずである。この幼稚な解釈は、今の日本を覆っている、占領軍に依って押し付けられた憲法をさらにゆがめたところの[敗戦利得者憲法学]の解釈の中核といえる」と、現在の憲法学の稚拙さを非難している。

三島が訴えたように、「天皇は、まさにその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、[象徴]たる特色を担っている」のであり、歴史的連続性と国家国民の統合の文化的な象徴としてかけがえのない価値を持つ存在である。この天皇の価値は、昭和天皇が退位しなかったことにより、戦前と戦後をつなぐ力となってきたことは、杉原、波多野も強調している。

江藤は靖国神社公式参拝の途絶が、生者と死者の断絶、すなわち歴史的連続体としての「国体」の否定につながることを憂慮している。

死者と生者との関係において、もはや語るすべのない死者の思いを、生者が自らの都合で、忘却しあるいは歪曲することは許されないはずである。それは、死者の魂と真摯に向き合い、誠実にその思いを交わし合うという、古来からの日本人の生き方、その歴史的総体としての「国体」に反する生き方である。

日本人の魂を失った「無機的で、からっぽな」さ迷える魂にしか、そのような所業はできない。それを恥じることもなく、日本国総理大臣の地位にありながら率先して実践して見せたのが、吉田茂であった。そんな人物が国葬儀で見送るに相応しいと言えようか。

敗戦利得者たちが顧みない、大東亜戦争で戦った将兵とそれを支えた国民の思いと戦後をつなぐためには、正統な歴史認識を取り戻し、天皇を中心とする日本の「国体」概念を再興することが不可欠である。

本書が指し示す今後の日本の針路は、敗戦利得者たちの虚構の正義と権威を打破し、日本人が本来保有し、命がけで守ろうとしてきた、天皇を中心とする「国体」、「建国の本義」の再興にあると言えよう。

安倍晋三元首相の国葬儀を「国体」再生の契機に

 このような吉田茂の正体を知れば知るほど、反対の怒号に包まれた安倍晋三元首相の国葬儀の悲劇を痛感させられる。

安倍元首相は、戦後レジームからの脱却、美しい日本を取り戻すことを真摯に国民に訴え、志半ばにして凶弾に斃れた。そのような安倍元首相こそ、日本の「国体」再興のために戦い続けた、偉大な政治家であり、真に国葬儀を執り行い見送るにふさわしい人物ではなかったのか。

一般国民の献花の列は、夜まで途切れることはなかった。少なくとも数万人規模であったに違いない。反対デモは警察発表によれば六百人程度に過ぎなかった。ここに真の民意が表れている。死者を悼む気持ちは今も日本人の魂の底に流れている。日本の「国体」は健在なのだ。

 そのようななか、反対デモに参加し死者の魂に鞭打つ所業を恥じない一部の日本人は、もはや日本人とは言えない。敗戦利得者ですらない。祖国日本の心を完全に喪ったあるいは消し去られた、虚ろで哀れな根無し草のさ迷える魂でしかない。

 彼らの魂には、戦後日本の敗戦利得者たちが築き上げてきた、欺瞞と偽善、虚構の正義の行きつく果てにたどり着いたニヒリズムが満ちているのではないか。日本の伝統的村落共同体には、村八分という最も重い制裁があったが、それでも火事と葬式には村人が出向くこととされていた。死者を共に悼むのは、日本の伝統的な共同体では最低限の道徳律であった。

 それすら知らず守れない今日の一部の日本人の姿は、江藤や三島が予見した以上に、空虚で醜悪である。三島は生前「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことはできない」と嘆じている。希望のない、ある意味絶望的な日本からいかに立ち直るか?

その道は、日本の歴史を振り返り、「国体」の真姿を見出し、それを再興することから始めなければならない。それが、敗戦利得者たちが流してきた害毒を浄化し、真に「日本を取り戻す」ことに繋がるであろう。

 安倍元首相の国葬儀の献花の列には、多くの若者が見られた。国葬儀賛成は若い世代ほど多数を占めた。靖国神社の参拝者にも若者が増えている。これらは日本再生の一つの兆候である。安倍元首相の思いは必ずや果たされるであろう。そのことを、安倍元首相の国葬儀が立証した。

安倍元首相の国葬儀が、吉田茂が先駆けとなり構築した「敗戦利得者」の支配する戦後日本の虚妄を打破し、日本の「国体」再生の出発点となるならば、安倍元首相の霊ももって瞑すべしと言えよう。

以上

書評 西鋭夫 岡崎匡史著『占領神話の崩壊』(中央公論新社 2021年)
評者 国際歴史論戦研究所会長 杉原誠四郎
掲載 歴史認識問題研究会『歴史認識問題研究』第10号(公益財団法人モラロジー道徳教育財団 2022年)

書名の問題

まず指摘しておかなければならないのは、書名の問題である。果たして「占領神話の崩壊」でよかったか。余りにも本書の内容の一部の意味だけを強調し過ぎて、本書の内容全体から離れ過ぎていないか。これは最初に日本で刊行された『マッカーサーの『犯罪』』でもいえる。英語の原書は、和訳すれば「『無条件』民主主義」というもので、この書名であれば、

『マッカーサーの『犯罪』』よりも内容に近似する。しかし『マッカーサーの『犯罪』』では、占領政策の象徴としてマッカーサーの名を出しているのだろうが、マッカーサーの占領政策には、食糧支援など善良な政策もあり、そうしたことを全て省略して『マッカーサーの『犯罪』』としたのでは、一方に片寄り過ぎているということになる。そのため、優れた研究書でありながら正当に評価されないまま、黙殺された側面がある。また、学術書としては、最初の『マッカーサーの『犯罪』』にあったように、厳密に注記を付すべきであったろう。

本書の内容一目次よリ

本書の内容を、小見出しは除き章と節だけで示すと、次のようになる。

『占領神話の崩壊』序

第一章 フーヴァー・トレジャーズ (Hoover Treasures) 極秘史料発掘

第二章 敗戦を歪めた吉田茂憲法

I GHQ 直筆憲法/II 憲法試案/III 世紀のスクープ/Ⅳ 虚像の男 白洲次郎/V 内通者と愛欲

第三章 東京裁判‐戦友を裏切る海軍と陸軍

I 敗戦と焚書坑儒/II 阿片政策/III 天皇免訴とマッカーサー/Ⅳ 日本のユダ田中隆吉少将/V 東條英機/VI 興亜観音と遺骨奪還作戦/VII  A 級戦犯保釈と戦後日本

第四章  共産党殺しの特高警察―GHQ へ再就職

I 東京裁判と特高警察/II 小林多喜二撲殺 一九三三(昭和八)年/III 特高警察と持間史/Ⅳ 転向政策とスパイ/V「矢野豊次郎文書」の発見/VI 獄中手記/VII 網走監獄/圃 日本敗戦と共産党/IX 戦後も活躍した特高警察あとがき

フーヴァー・トレジャーズ目録

この目次を見ても、本書は「占領神話の崩壊」の書名のもと、関係する全ての案件を均等に扱った学術書ではないことが分かる。ただし、上述のように、西の場合は『マッカーサーの『犯罪』』以来、一貫して占領の真実を追究していることから、3 著書を併せていえば、完璧にして遜色のない学術書、ということになる。

第一章 フーヴァー・トレジャーズ(Hoover Treasures)

第一章「フーヴァー・トレジャーズ(Hoover Treasures)」の「極秘史料発掘」の箇所では、終戦の日を境に、官庁街は白煙に包まれていだ情景の描写から始まる。軍部を中心として、日本政府が膨大な書類の焼却をしていたのだ。そのために、今日の歴史研究に欠かせない貴重な史料が存在しなくなっている。歴史は均等に史料を残さないことが分かる。

そうしたなかで、フーバーは占領期、東京に事務所を置き、膨大な資料を収拾し、その集めた資料はフーバー研究所で「フーヴァー トレジャーズ」として保存されている。そこの史料に当たった著者は、それだけ歴史研究上の功績があるといえよう。

第二章 敗戦を歪めた吉田茂憲法

第二章「敗戦を歪めた吉田茂憲法」は、日本国憲法が大日本帝国憲法の改正として制定されていく過程を扱ったものであるが、現行憲法制定過程の研究としては、昭和 47 年に出た、高柳賢三 大友一郎 田中英夫の著した『日本国憲法制定の過程   I 原文と翻訳』(有斐閣 1972 年)、『日本国憲法制定の過程 Il 解説』(有斐閣 1972 年)で、ほとんど判っていることなので,それほど目新しい事実はなかった。というより、最近は高尾栄司の『ドキュメント皇室典範一宮沢俊義と高尾亮一』(幻冬社  2019 年)が出ており、この高尾の著書では、昭和 21 年 2 月 13 日、占領軍から憲法草案を突き付けられたとき,政府の 憲法問題調査委員会の筆頭委員をしていた宮沢俊義がその草案を入手し、宮沢は厳秘であるにもかかわらず、その日のうちにその草案を東京帝国大学総長南原繁のところに持ち込み、翌日、法学部の主要教授が集められ、東京帝国大学法学部の教授たちが高尾の言う日本を売った憲法学者集団となっていくのだが、この重要な史実についての指摘が、本書にはない。この高尾の著書は令和元年の出版だから、仕方がないといえば仕方がない。

著者のこの章の結論は、吉田は最初から熱意を持って戦争放棄を受け入れ、そして「米国追従」という日本の国辱路線を敷いたとしている(189 頁)。この結論は、大局的に見てまさにその通りで、占領が終わって 70 年、まさに正鵠を射た必須の指摘といえよう。ただし、そのように指摘するならば、占領軍は自衛のための「戦力」は保持しうるとしていたのに、吉田は占領軍の意を超えて、自衛のための「戦力」も持ちえないと、日本国憲法を歪めて解釈し、日本国民をして、自分の国は自分で守るという気概を失わせたとか、そこまで非を明確に指摘しておいて欲しかった。

第三章  l 敗戦と焚書坑儒/II 阿片政策

第三章の「I   敗戦と焚書坑儒」と「II   阿片政策」での主要テーマは、歴史研究者の余り扱わない阿片である。日本国内で日本国民に対しては阿片の吸飲は厳しく取り締まり、ほぼ完全に阿片吸飲は撲滅していたのに、中国では逆に奨めていたというのは確かに恥ずべきことである。

ただし、確かに阿片をめぐる日本側の施策は糾弾に値するが、阿片をめぐっては、日本側の場合のみを取り出して、日本側を糾弾するのは正しくないのではないか。まして東京裁判の判決文を紹介して、この判決文の通りだったといっているかのような論述があるが、これは公正でない。

本書でも紹介されている中華民国維新政府の採るべき阿片政策について、参謀本部特務機関の作成した「阿片報告書」には、中国国民党の政策が紹介されており、それによると、蒋介石は厳格な阿片禁煙政策を実施したという。しかしこれは表向きの政策で、厳禁して取締まったため、これによって阿片価格は高騰し、蒋介石は外国から阿片を密輸入し、巨額の利益を得たという(250 頁)。満洲国も表向きは阿片の取締りはしていたが、主要な財原は依然として阿片に頼り、阿片の使用を奨励する構造になっていたのである(233 頁)。しかし、本書でも紹介されているが、満洲国総務長官の星野直樹の主張したように、阿片を撲滅することが国策だった、というのは確かなことではないか(241 頁)。本書では紹介されていないが、昭和 18 年 11 月、大東亜会議が開催されたとき、満洲国張景恵国務総理大臣は阿片問題について「米英ガ東亜侵略ノ手段二用ヒナガラ、今二至ツテ人道ノ名二於テ悪賢ヲ放ツ所ノ彼ノ阿片吸引ノ弊ノ如キモ、建国当時阿片常用者ハ百三十万デアッタモノガ、今日デハ極メテ僅少ヲ残スノミトナリ、最近ノ将来二於イテハ完全二跡ヲ絶ツベキコトガ期待セラルヽノデアリマス」と述べている。これも中国大陸でのもの言いだから、そのまま正確な文言として信用することはできないが、阿片撲滅の政策に本気に取り組んでいたことは明らかであろう。

本書には出ていないが、平成 7 年に発表されている内田知行の「中国抗日根拠地におけるアヘン管理政策」(『アジア研究』第 41 巻第 4 号(アジア政経学会  1995 年))という論文では、中国共産党は同党が支配する地域では阿片撲滅の厳しい方針を採りながらも、地域内では阿片が栽培され、これを貨幣替りにして軍需品や生活必需品の獲得をしていたとしている。

第三章 Ill 天皇免訴とマッカーサーここは天皇とマッカーサーの第 1 回会談に関して、論述した箇所である。

会談内容について、国務省から総司令部に派遺されていたアチソンの指摘に基づいて、天皇が真珠湾「蝙し討ち」について、東條がしたと説明し、そのうえで全責任は自分にあると謝罪したと紹介しながら(311 頁)、そのように断定していない。また、天皇が真珠湾「蝙し討ち」は東條がしたと説明したのは、このときの外務大臣吉田茂の画策によるものだという事実を指摘していない。

この天皇とマッカーサーの第 1 回会談を扱った本書の論述では、平成 2 年に出た松尾尊兌の「考証  昭和天皇 マッカーサー元帥第一回会見」を先行研究として踏まえているようだが、その後、平成 9 年に評者、杉原の『日米開戦以降の日本外交の研究』(亜紀書房 1997 年)が出ており、そこで、今述べたようなことが詳述してある。この研究書に目を通すことなく、天皇とマッカーサーの第 1 回会談に関わることを論述したのは、資料探索が不十分であり、本書の一つの欠陥といえる。

第三章 IV 日本のユダ 田中隆吉少将/V 東條英機

田中隆吉は東京裁判で、かつてともに戦争で戦った同僚の戦友を裏切り、彼らに極めて不利な証言を続けた人物である。田中は、東京裁判判決が出てから約 10 か月後、昭和 24 年 9 月 15 日、自決を図る(355 頁)。遺言を読むと自決の決意は固かったようで、しかし東條英機と同様に失敗し、本書の言葉を借りれば、昭和 47 年 6 月 5 日寿命を全うするまで「世捨て人のように苦悩を背負って孤独な生活を送った」とのことである(356 頁)。本書の著者は言う、「田中の『国体護持』という信念は、自らの裏切りを正当化する言い訳だった」と (351 頁)。評者はこの著者の発言に反論するだけの根拠を持ち合わせない。だが、同時に評者は、田中には何か、天皇を守るという信念のようなものがあったのではないか、との思いも禁じえない。

第三章 VI 興亜観音と遺骨奪還作戦

次の「興亜観音と遺骨奪還作戦」は、昭和 23 年 12 月 23 日、東京裁判において絞首刑を執行された A 級戦犯処刑者 7 人の遺骨をめぐる話で、骨捨場にわずかに残っていた遺骨を密かに奪取して、処刑者の一人松井石根が伊豆長山に昭和 15 年に建立していた興亜観音の傍に埋葬してある。

だが、著者は、興亜観音の傍に昭和 34 年に建立された「七士之碑」が吉田茂によって揮憂されていることに対して、「吉田茂は東京裁判で GHQ に外務省の極秘史料を提供し、己の権力を高めるために、媚びを売った男だ。吉田茂に碑文を書かれた七人は浮かばれない」と言い、これを「歴史の悪戯」と言っている(376 頁)。

吉田茂について上記の七士との関係でいえば、著者が言っているように、吉田は東京裁判にあって進んで外務省の文書を占領軍に提供し、A 級戦犯の弁護に協力しなかったのは明らかだ(209 頁)。そうして死刑となった者への追悼の碑を吉田が揮竃する。著者の言うように「歴史の悪戯」ということになる。

だが、ここに歴史の研究、または歴史学の重要な役割が示されていることを、敢えて明記しておきたい。今日では、吉田茂が何をし、どのような負の遺産を残したかが判明している。世間ではまだ吉田茂批判は十分に浸透せず、吉田茂を大宰相と見なしている人は多いが、しかし令和 4 年の現在の時点ならば、七士のために「七士之碑」の揮竃を吉田茂に頼みに行く人はいないであろう。つまるところ、歴史研究、歴史学が人間の在り方、国家の在り方、社会の在り方を正し、国家や社会に貢献する力を持っていることが分かるのである。

第三章 VII  A 級戦犯保釈と戦後日本

本節「VIl   A 級戦犯釈放と戦後日本」は、本書のなかでいちばん重要なところといってよいだろう。著者は東京裁判で「終身禁固刑」を受けた賀屋興宣の言を借りて、次のように言っている。「賀屋は、戦後日本が「戦争責任」を自主判断していないと嘆く。東京裁判には、道義的にも、法律的にも議論の余地がある。外国が判断したものではなく、戦争を実行した責任者を日本人自らが判断すべきである。この一番重要なことが、ほとんどなされなかったことが、『まことに私は日本国民として遺憾千万なことである』と悲歎に暮れる」と(385 頁)。そして著者の西と岡崎は、自らの言として「戦後日本は、『戦争責任』を自主判断していない」と嘆く(387 頁)。

アメリカでは戦争の終わった年に、大統領ルーズベルトの日米戦争開戦責任をめぐって、議会で上下両院の合同調査委員会を設置し、翌年 1946 年 7 月には関係文書も含めて 10,921 頁の報告書を発表している。日本でこれに相当するのが幣原内閣が試みた戦争調査会であるが、これは占領軍によって解散させられた。以後、吉田が主権回復に伴って、この調査会を再開すべきであったのだが、吉田茂は歴史認識の問題に無関心であり、それどころか外務省の戦争責任を隠したのである。

なお、この節では誤りといってよいものが 1 つあるので指摘しておきたい。真珠湾「謳し討ち」で「最後通告」の 14 部のうち最後の第 14 部の発信が遅かったことに対し、本省が手交遅延を画策していたのではないかというような言及がある(388 頁)。確かに最後の第 14 通がもっと早く発信されていたら、予定どおり指定の時刻に手交できたかもしれないとはいえなくはない。しかし、本省の指示どおり、館内に緊急態勢を敷き、前の日にできる作業を前の日に全てなし終えていたら、手交遅延という失態は起こらなかったのだから、やはり手交遅延の責任は現地の日本大使館に責任がある。

第四章 共産党殺しの特高警察―GHQ への再就職本章は一括して論評することとする。

「蟹工船」という小説を書き、労働者の苛酷な生活を劇的に描いた小林多喜二は、昭和 8 年 2 月 20 日、特別高等警察、いわゆる特高によって逮捕され、拷問のすえ、その日のうちに死亡する(410 頁)。

小林はこのような苛酷な拷問を受けても、最後まで同志の名前を吐こうとはしなかった。逆に特高の側からいえば、小林が死ぬまで、同志の名を吐かせようと苛酷な拷間をした(410 頁)。どちらも信念があったから、そこまでできたのであろう。

考えてみるべき問題は、特高警察の職務の問題である。もともと高等警察とは、国家を転覆する行為に対する警察行為である。とすれば、どのような国家でも特高警察というような任務を担う組織は必要となる。占領下という状況のもとでは、占領軍にとっても必要なことである。占領されている側は、占領軍のそれを助けるかたちでこの種の組織の存続を図る。特高解体から 2 か月後、内務省に「公安課」が設置され、占領軍と密着するかたちで「公安警察」が誕生していく。そして今日のいわゆる公安警察が生れてくる(588 頁)。

公安警察はかつての特高と異なり、拷問のような暴力は振るわない。が、国家を転覆する行為をなす恐れのある人物や団体に対しては、常時監視をし、これらの人物や団体が国家転覆という暴力行為に入る寸前に、警察行為という暴力をもって、これらの行為ができないように逮捕する。

かつての拷間を辞さない特高から、拷間を行わない公安への転換は何を意味するのか。拷間のできない公安警察に移ることによって、国家を転覆する目的に向かって行動している一部の国民からすれば、その転覆行為の寸前までは自由に議論し、自由に活動できるようになった。

よって、戦前の場合では、議会のレベルで、国家を転覆する方向性を持った政党は存·在せず、そうした方向性を持った政党や議員との議論は必要ななかった。そのため、議会での議論はその分だけ緊張を欠き、政党は堕落し、健全な政党政治が生れない原因となったとはいえないか。

まとめ

それでは、本書全体を総合的に論評する。

特に第四章の問題は、占領そのものではなく、戦争に至った戦前の日本の暗い部分に光を当て、そこから戦争に入っていった日本の問題を洗い、戦争、敗戦、占領を通じて今日の日本の間題を指摘しようしている。その観点から、今日の間題に最も強く結びついている「占領」を取り出し、今日の多くの日本国民の抱いている「占領」の認識には嘘があり、その嘘を取り除かなければ本来の日本にはならないと主張する意図が本書にあるといえる。そのため、本書の書名も「占領神話の崩壊」としたのだ。

本書の論述内容には、部分的には分析の不十分、資料探索の不十分といえるところもあるが、「フーヴァー・トレジャーズ」を使いながら、これまであまり研究の対象とされてこなかった日本の恥部にも光を当て、占領に関係する正しい日本像をつかもうとして論述している。この姿勢自体は評価されなければならない。西が『国破れて マッカーサー』(中央公論社 1998 年)で述べているように、資料に存在しない架空の「会話」や「舞台」を創作しているところはない。

本書では、占領といっても、占領している占領軍側よりも占領されている日本側の対応の仕方に最初から最後まで光を当てているから、占領されている側の間題として象徴的にいえば、例えば吉田茂は大宰相であるという神話を壊すというような意味で「吉田茂神話の崩壊」とした方が、より内容に即した書名になったのではないか。

このような観点に立って見たとき、著者の主張は占領が終わって 70 年経った今日の日本にとって、極めて有効なものであり、必要なものであるといえる。 本書のテーマは、いくつかのテーマを取り出して、それらをそれぞれ深掘りするかたちで論述され、その阻りでは、まだら模様の研究書ということになるが、しかし著者の一人、西の場合は繰り返しになるが、昭和 58 年に出した『マッカーサーの『犯罪』』(上巻 下巻)(日本工業新聞社 1983 年)と、『国破れて マッカーサー』(中央公論社 1998 年)を併せて考慮すれば、占領全体を扱った学術書、研究書ということになる。

書評 金柄憲著『赤い水曜日-慰安婦運動30年の嘘』(文藝春秋 2022年)
評者 国際歴史論戦研究所所長 山本優美子

日韓協力、慰安婦問題解決への重要な一冊

著者の金柄憲氏は研究だけでなく信念と行動の人だ。「日本軍慰安婦 3大詐欺 強制動員説! 性奴隷説!
戦争犯罪説!」と書いたプラカードを掲げて「世界中あちこちに慰安婦像を立てて何がえらいんですか!?」と正義連(旧挺対協)水曜デモの目の前で慰安婦像撤去を求める街頭活動を続けてきた。

2019年から始まった金氏の活動はソウルに留まらず、慰安婦像が設置されている韓国各地でこれまで百数十回の街頭活動を行っている。更には独ベルリン、名古屋、東京にも遠征し、像設置を計画している米フィラデルフィアへの抗議書簡、国連の委員会にも意見書を送った。身の危険を顧みずにこれだけの活動を継続しているのには頭が下がる。

2021年1月にソウルで開催された韓国保守大演説会で、金氏は演説をこのように締めくくっている。
「30年間一貫して嘘をつき続けた正義連がこの地から消える日には、この地に正義が正しく立つであろうし、破綻寸前にまで至った韓日関係が回復し、ひいては韓日関係は鉄壁のように強固になることを確信します。
その日のために私たち皆で力を合わせましょう。 大韓民国の未来は私たち皆の手にかかっています。」

そもそも慰安婦問題に火を着け、韓国や国際社会に広めたのは一部の日本人だ。そういった日本人は今でも国内外で「慰安婦=性奴隷」話を煽り続けている。

日韓関係が拗れる原因の一つとなった慰安婦問題。両国の次の世代の為にも私たちの世代が日韓で力を合わせて終わらせなくてはならない。

金氏が纏めた研究・調査・証拠資料と闘いの記録の「赤い水曜日」は、この問題解決に向けて日韓両方にとっての重要な一冊である。

金柄憲氏のこれまでの活動の写真、動画、声明文など、私の管理する「なでしこアクション」のウェブサイトに掲載しています。是非ご覧ください。
http://nadesiko-action.org/?cat=33

書評 金柄憲著『赤い水曜日-慰安婦運動30年の嘘』(文藝春秋 2022年)
評者 国際歴史論戦研究所上席研究員 矢野義昭
掲載 Amazonレビュー

一日本人として納得できない腹立たしい日韓の懸案事項として、吉田清治という男の虚言と朝日新聞の誤報が重なり、国際問題にまで拡大してしまった、いわゆる「従軍慰安婦」問題がある。

もともと、「従軍慰安婦」という制度そのものが存在しなかった。居たのは、当時合法であった公娼制度に基づき、軍を相手に売春行為をしていた売春婦と彼女たちの抱え主の売春宿主たちである。売春婦の約半数は日本人であったが、元日本人売春婦で日本政府に対し賠償請求をし、あるいは旧軍による強制的連行を訴えた者は皆無である。

これがなぜ日韓間の重大事案にまでなったかと言えば、韓国内で反日活動を展開してきた旧挺対協、現在の正義連などの、主体思想派とも呼ばれる極左勢力の存在がある。彼らの主張は、日本側の虚言を誇張しさらに虚言を重ねた政治宣伝であることは、日本側の研究者により既に明らかになっている。

本書の特色は、そのような日本の先人に対する不当な誹謗中傷、名誉棄損に対する日本人の無念の思いを、韓国内の良心的学者の一人である国史教科書研究所の金柄憲所長が、代弁している点にある。

金柄憲氏は、本書を通じ、韓国内の極左勢力の主張が、公的証拠も物的証拠もなく、文献すら都合よく歪曲利用し、当時の実情を無視した、歴史学的検証に堪えないものであることを、当時の確実な証拠やデータに基づく論理的分析により、疑問の余地もなく実証している。

その批判の対象は、左派の主張の根拠となっている、自称「元慰安婦」たちの証言、司法府の判決文、クマラスワミ報告書、韓国教科書の記述、保坂祐二の金氏を名誉棄損で訴えた訴訟での主張など、広範多岐にわたっており、極左派の論拠のほぼすべてを網羅していると言ってよい。極左派の論拠は完膚無きまでに論破されている。

その点で、日本人として痛快と言えば痛快な書であるが、それだけに終始するならば、金氏に対して非礼であろう。金氏の思いは、このような極左勢力の虚偽の主張が、韓国ソウル中央地方裁判所の判決文の根拠とされ、歴史的事実として教科書に堂々と載せられていることへの深い憂慮にある。

金氏は文中で、「裁判官がデタラメな判決文を書き、教科書執筆者たちは誤った歴史を教科書に載せ、子供たちに間違った歴史を教えている。実に恥ずかしい。」と慨嘆している。

こんなことでは、「世界の中の韓国は「ウソつきの国」との烙印を押され、絶体絶命の危機に瀕する」ことになるとの、真の愛国者としての思いが行間から伝わってくる。

金氏は、単なる文筆家や研究者ではない。行動の人でもあり、慰安婦法廃止国民行動代表を務めている。1992年1月8日から、ソウル市内の日本大使館前で日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜集会が毎週開かれてきた。

さらに2011年12月14日、水曜集会の千回目の日を記念して、日本大使館前の広場に「平和の少女像」という名の慰安婦像が設置された。このようにして、本書の書名となっている、「赤い水曜日」と呼ばれる、毎水曜日に慰安婦像前で開かれる極左勢力の「慰安婦」強制連行を非難する集会が慣例化されていった。

しかし、金柄憲氏は勇気ある行動に出た。この集会に対抗して二〇二一年七月十四日の千五百回目の水曜集会の当日、たった一人で反対デモを敢行したのである。その勇気と行動力には敬意を表さざるを得ない。金氏こそ、韓国人の気概と誇りを体現した、真の知識人というべきであろう。

今では、「赤い水曜日」の集会でも、金氏に賛同する人々が多数を占めるようになり、極左勢力は少数派に転落、かつての勢いを失っている。金氏とその理解者、支援者の根気強い、正義の声がようやく正当に評価される時代が来たと言えよう。

北東アジア情勢は、台湾海峡を巡る米中対立の激化、北朝鮮の相次ぐミサイル発射など、緊迫の度を加えている。今後ますます日韓、日米韓の緊密な連携が安全保障はじめ各分野で重要になっていくことは間違いがない。

そのような時代に先駆ける日韓の相互理解と信頼関係構築に向けた学術的金字塔として、本書を日韓の読者に薦めたい。

国際歴史論戦研究所上席研究員
矢野 義昭