書評 杉原誠四郎、波多野澄雄著『吉田茂という病―日本が世界に帰ってくるか』(自由社、令和三年)及び同書続編-死者の魂を生者の魂がいかに遇するか―書評 杉原誠四郎、波多野澄雄著『吉田茂という病―日本が世界に帰ってくるか』
評者 国際歴史論戦研究所上席研究員 矢野義昭
掲載 正論 2022年12月号
今年七月八日、安倍晋三元首相が凶弾に斃れ非業の死を遂げた。安倍元首相の国葬儀に反対するデモが、九月二十七日の国葬儀当日でも、大音響を発しながら武道館近くの靖国通りを横切り行われていた。
安倍元首相に先立ち、戦後国葬儀が行われた元首相がもう一人いる。本書の書名にもなっている、「吉田茂」元首相である。しかし、本書を読めば誰しも、吉田茂は本当に国葬儀を行うに相応しい人物であったのかという疑念を禁じえないであろう。
本書が暴いてみせる吉田茂の正体は、「敗戦利得者」の首魁という醜悪な姿である。戦後、敗戦利得者とその追随者たちが覆い隠してきた、吉田茂のさまざまの実像が余すところなく語りつくされている。
吉田茂はなぜ「敗戦利得者」の首魁なのか?
吉田茂が何故に醜悪な「敗戦利得者」であったと言えるのかについて、本書の対談者である杉原誠四郎と波多野澄雄は、広範な史実と歴史資料に基づき実証している。
「敗戦利得者」の命名者である杉原によれば、「敗戦利得者」は、以下のような経緯を経て、その地位と権力を確立していった。
占領軍が一九四六年(昭和二十一年)一月四日、公職追放令を出したが、この指令の下に、約二十一万人の人が公職追放になり、その空いたポストに就いた人は先ずは「占領協力者」としてその地位についた。
その占領協力者は、敗戦がなければそのポストには就いていないであろうということで「敗戦利得者」に転化した。そして戦争で死んでいった人たちに思いを馳せず自己の利益のために占領軍に協力するようになり、さらには占領の間違っている政策についても協力するようになった。
結果として「敗戦利得者」たちは、あの戦争で死んでいった人たちの想いを無視することを恥じざるようになった。
吉田茂の場合は始めからその傾向があった。吉田は、憲法改正の帝国議会で、議員の質問を受けて平然と、日本は無条件降伏をしたと答えている。これは連合国、アメリカに有条件のポツダム宣言を出させるように戦って死んだ兵士や国民の想いを無視しなければ言えないことである。
その前日にも「日本の軍閥は、真珠湾攻撃の報復措置を日本本土において受けている」と言い、戦争が苛酷となった原因の一つである、日本海軍の真珠湾攻撃の「騙し討ち」に対し直接の責任を負う、開戦当時の在米日本大使館の外交官二人を、吉田は占領解除前後に外務次官に抜擢している。吉田のそのような人事は、戦争で死んでいった人たちの想いを受け止めればできないことである。
吉田茂を含めた敗戦利得者の共通の通弊は、あの戦争で死んでいった人たちの想いを平然と無視する、あるいは無視できたことであった。そしてこれらの敗戦利得者は占領軍の占領政策の悪しきところ、間違っているところを継承し発展拡大する方向で、占領解除後の日本で行動した。
そのために、占領軍はいなくなってWGIPの直接の作用は完全に皆無となったのに、占領解除後、敗戦利得者に依ってその作用は継承、発展された。そして日本国民の戦争体験が風化すると共に、その継承した作用の結果は大きくなった。
集団化した「敗戦利得者」集団は、その親玉たる吉田茂を大宰相として祭り上げる画策をし、結局、日本国民を騙していくことになる。吉田の後継者の佐藤栄作が内閣を率いていた昭和四十二年十月二十日、吉田は没した。このとき佐藤は、吉田茂に対して戦後初めて国葬を行った。大宰相として公認したことになる。
以上が、杉原が指摘する、「敗戦利得者」が権力を握り、占領解除後も影響力を拡大し続けた経過である。
日本の「国体」―死者の魂と生者の魂の行き交い
江藤淳は『靖国論集―日本の鎮魂の伝統のために』(株式会社日本教文社、昭和六十一年)の中で、「特に靖国神社公式参拝問題のように、国がどのように戦没者に対する態度を決定するかというが如き問題の場合には主として議論の対象としなければならないconstitutionとは、文化・伝統・習俗の一切を包含した国の在り方そのものであって、日本人がいかにこの国で生き、かつ死んで来たかという積み重ね以外のものではありえない。つまりこれは広い意味、そして深い意味で、日本文化の問題なのです。
その文化の文脈の中で、死者はどのように祭られ、生者は死者をいかに遇してきたか。それがそのまま今日でも、滞りなく行われるのかどうかというのが、根本的問題のはずではありませんか。」と述べている。
なぜなら、江藤の言葉を借りれば、「死者の魂と生者の魂との行き交いがあって、初めてこの日本という国土、文化、伝統が成立している。それこそこの日本のconstitutionである。」「つまり死者のことを考えなくなってしまえば、日本の文化は滅びてしまう」からに他ならないからである。
ここで江藤はconstitutionを、「国体」あるいは「国柄」という意味で使っており、憲法典はその「部分」であり、それに「のっかっているもの」に過ぎないとしている。
「敗戦利得者」達が醜悪なのは、杉原も指摘しているように「戦って死んだ兵士や国民の想いを無視」し、死者の思いを一方的に断ち切り、さらには占領者に阿諛迎合して、死者はもはや語れないことにかこつけ、時に死者を愚弄さえしてきたからに他ならない。
吉田自身も、出身官庁である外務省の失態を隠蔽し、あるいは責任逃れをすることを優先し、再軍備、歴史認識、教育政策などの国家の大計を誤った。
また、杉原と波多野が明確に立証しているように、吉田は占領軍に過度に忖度しマッカーサーに媚びて、占領軍も極東委員会も認めていた自衛のための戦力保持を否定するなど、本来の趣旨以上に占領軍の政策を極端に解釈し、憲法解釈や再軍備を歪めた。
その悪影響は現在にも及び、日本の安全保障政策、教育、改憲論などを歪曲し不合理な制約を与えている。
吉田茂が捻じ曲げた憲法解釈と再軍備
昭和二十一年七月の特別委員会で、金森徳次郎国務大臣は、「(日本国憲法第九条草案の)第一項ハ「永久にこれを放棄する」ト云フ言葉ヲ用ヒ、可ナリ強ク出テイル」が、第二項はこのような言葉は使っていない。この点について、私自身は、第二項の戦力保持などについては、「色々ト考フベキ点ガ残ツテイルノデハナイカ」、こういう気がすると答弁している。その後の芦田修正による、自衛のための「戦力」は保持しうるとの第二項の解釈の余地に、金森はすでに気づいていた。
しかし吉田は、芦田修正が行われる前の昭和二十一年六月二十八日衆議院憲法改正特別委員会では、日本共産党の野坂参三議員からの自衛権は認めるべきではないかとの質問に対し、「国家正統防衛権に依る戦争は正当なり」との見解を否定し、「私は斯くの如きことを認むることが有害であると思う」のであり、その理由として「近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実である」ことを指摘している。
この吉田の主張は明らかに、国家の自然権である自衛権をも否定した発言である。芦田修正により自衛のための戦力を持ちうるように憲法九条二項の条文が変わったことを、吉田は憲法改正の際の総理である以上、十分に承知していたはずである。それにもかかわらず、その後も吉田は、自衛のための戦力は持てないとの無理な解釈を打ち出し、さらにその解釈を固定化したのである。
吉田茂は、法令の制定の際に緻密な審査検討をした権威ある政府機関であったが占領下に解体された法制局を、主権回復三か月後に「内閣法制局」として復活させた。本来ならば、上に述べたような経緯を踏まえ、内閣法制局に憲法の正しい解釈を打ち建てさせるべきであった。しかし吉田は、第九条戦争放棄の解釈を、自衛のための「戦力」も持てないという出鱈目な解釈を政府の公権解釈にすることを手伝わせる政府機関にしたと、杉原は吉田の対応を厳しく批判している。
同類の「敗戦利得者」の中でも、宮沢俊義以下東大法学部の敗戦利得者憲法学者の、改憲論、安全保障政策に及ぼす害悪は深刻である。東大法学部の憲法解釈は、厳しさを加える日本の安全保障環境のもとで合理的な防衛政策を論じ政策化する上で、脅威を無視した非武装違憲論に論拠を与え、国家存亡の危機を招く一因となっている。
戦後の政界と憲法学界における最高の権威者である吉田と宮沢に対し、真実に立脚し果敢に否定論を展開した、杉原、波多野両氏の勇気と見識に改めて敬意を表さざるを得ない。
マッカーサーの対日占領政策は成功であったと言えるのか?
ただし、本書に異論を感じた点もある。例えば、続編の末尾に、「等身大」の占領政策評価の必要性が説かれている。その点は妥当であるが、マッカーサーの銅像を建てることを提言するほど、マッカーサーを顕彰し米国の対日占領政策を大成功と評価することはできない。
マッカーサーは、非現実的な非武装、戦争放棄、自衛戦争の否定まで謳った憲法第九条草案を日本に押し付けた。ダレスの再軍備要求に直面して、立場を変えて日本全土駐留、自由使用政策に転じた。しかし朝鮮戦争の勃発後も、再軍備をごまかして警察予備隊と偽装し、自分の理想を書いた日本国憲法との辻褄合わせを図り、体面を保とうとした。
マッカーサーは、自らの体面のために、占領国の国憲と再軍備を歪めることを躊躇しなかった。吉田の最大の罪は、そのようなマッカーサーにおもねることにより、自らの保身を図ったことにある。
マッカーサーも吉田も、自らの保身や上辺だけの権威や体面を保つことに汲々とした小人である。所詮最高指導者にふさわしい人物ではなかった。この二人が日本の占領政策と戦後の方向性を主導したことが、戦後日本にとり最大の不運であった。
対日占領は、異例の六年余の長期にわたっただけではなく、ドイツと異なり、憲法改正を強要し教育、宗教政策にまで介入した。また、徹底したメディア検閲、WGIPなどの洗脳工作、二十一万人のパージなど、占領下で苛酷な心理戦、情報戦、非軍事戦が徹底して展開された。そのもたらした歪みは、いまだに日本の再生を妨げている。
それは決して日本側のみの責任ではなく、占領解除後の効果の持続拡大も狙った、占領下での心理戦、情報戦による 洗脳の固定化、敗戦利得者の要職への残置などの非軍事戦の周到さにあるとも言える。
この今なお効力を発する洗脳工作に対抗するには、日本人が本来の国柄、歴史と伝統に根差した「国体」を取り戻さねばならないことも、本書の中で杉原、波多野の二人の見解が一致している点である。
戦後克服のため再確認されるべき日本の「国体」
波多野は、三島由紀夫が昭和四十四年(一九六九年)に提示した改憲論「天皇に捧ぐ憲法改正」の中で述べている改憲案を紹介している。
三島の改憲案では、第九条第一項については、不戦条約以来の理想条項であり、これを残しても自衛のための戦力の保持は可能であると主張している。しかし、第九条第一項は世界各国の憲法に挿入すべきであって、日本憲法のみが第九条第一項を国際社会への誓約として明記するということは、国際的には不公平、不調和である。
そこで第九条を全部削除し、その代わりに、国軍の創設をうたい、「建軍の本義」を憲法に明記して次のように規定すべきだと、主張している。すなわち、「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信椅(しんい)と日本国民の信頼の上に建軍される」。
また波多野は、「三島は[国体]は[日本民族日本文化のアイデンティティー]だとし、[歴史、伝統、文化の時間的連続性に準拠し、国民の長い生活経験と文化経験の集積の上に成立するものである]とし、その観点に立って[天皇の問題は、かくて憲法改正の最も重要な論点であって、何人もこれを看過して、改憲論を語ることはできない]と言い切っています」と指摘している。
江藤は、生者が死者に向き合い、死者の思いと交流しあうことに日本の国体の特質があると説いた。それが靖国問題の本質であるとも断じている。三島は、憲法九条改正案において、日本国軍隊は、「天皇を中心とするわが国体を護持」するために建軍されるべきだと主張した。
護持すべき「国体」とは何かについて、本書で杉原と波多野は、昭和十二年に文部省が発行した『国体の本義』に基づき、以下のように補足している。
すなわち、アメリカの強要した民主主義が人間一人一人を大切にするということであったのであれば、日本は『国体の本義』を通じて十分に受け容れる受容の態勢がすでに整っていた。
『国体の本義』では、日米のどこが違うかといえば、日本における「人間一人一人を大切にする」というとき、それは人間が生まれながらに持っている他人との関係、つまり親子の関係とか、兄弟姉妹の関係とか、夫婦の関係とか、そうした生まれながらの不可避な人間関係を大切にしながら「人間一人一人を大切にする」という特色がある。
それに対し、アメリカの押し付けようとした民主主義の核たる個人主義は、生まれながらの人間関係も考慮しない個人主義であり、日本式の「人間一人一人を大切にする」個人主義の方が優れていると、杉原も波多野も主張している。
国王たる天皇と、臣下たる国民との関係についても、日本の場合は、天皇との関係も生まれながらの関係であるとし、天皇への忠誠は生まれながらにして守るべき徳目であるとしている。
中国の国王は、自ら持つ武力に拠って成り立つ覇王だが、日本の天皇は、国を建てた時の祭主であり、民を代表して「神」に安穏福祉を祈る祭主であり、天皇は民に向かっては「神」に代わって民を慈しむ神の代理である。最初の建国の際の祭主である者の血筋を引いた者が国王を務める日本にあっては、その国王たる天皇を敬うのは当然だということになると、杉原は語っている。
三島の「国体」観を受けて杉原は、以下の三島の主張を紹介している。「新憲法によれば[儀式を行ふこと](第七条第十項)とニュートラルな表現で[国事行為]に辛うじて残されているが、歴史、伝統、文化の連続性と、国の永遠性を祈念し保障する象徴行為である祭祀が、なお天皇の最も重要な仕事であり、存在理由であるのに、国事行為としての[儀式]は、神道の祭祀を意味せぬものと解され、祭祀は天皇家の個人的行事になり、国と切り離されている。
しかし、天皇が[神聖]と完全に手を切った世俗的君主であるならば、いかにして[象徴]となり得よう」。「大統領とは世襲の一点において異なり、世俗的君主とは祭祀の一点において異なる天皇は、まさにその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、[象徴]たる特色を担っているのである」。
杉原も、正にそのとおりだと三島の見解に賛同し、「国家と国民の安寧を祈る天皇の祭祀は、それが行われるとき、天皇と国民の関係の顕現するその瞬間、時間」であり、「天皇と国民の紐帯」そのものである、にもかかわらず、天皇の祭祀は天皇の「私的行為」だとする現在の日本を覆っている憲法学は、国家の憲法学としての体をなさないと、指摘している。
さらに杉原は、このような観点に立てば、「天皇の祭祀は[天皇の私的行為]だという現在流布している憲法学の解釈が、いかに劣悪で、滑稽で、稚拙なものか、分かるはずである。この幼稚な解釈は、今の日本を覆っている、占領軍に依って押し付けられた憲法をさらにゆがめたところの[敗戦利得者憲法学]の解釈の中核といえる」と、現在の憲法学の稚拙さを非難している。
三島が訴えたように、「天皇は、まさにその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、[象徴]たる特色を担っている」のであり、歴史的連続性と国家国民の統合の文化的な象徴としてかけがえのない価値を持つ存在である。この天皇の価値は、昭和天皇が退位しなかったことにより、戦前と戦後をつなぐ力となってきたことは、杉原、波多野も強調している。
江藤は靖国神社公式参拝の途絶が、生者と死者の断絶、すなわち歴史的連続体としての「国体」の否定につながることを憂慮している。
死者と生者との関係において、もはや語るすべのない死者の思いを、生者が自らの都合で、忘却しあるいは歪曲することは許されないはずである。それは、死者の魂と真摯に向き合い、誠実にその思いを交わし合うという、古来からの日本人の生き方、その歴史的総体としての「国体」に反する生き方である。
日本人の魂を失った「無機的で、からっぽな」さ迷える魂にしか、そのような所業はできない。それを恥じることもなく、日本国総理大臣の地位にありながら率先して実践して見せたのが、吉田茂であった。そんな人物が国葬儀で見送るに相応しいと言えようか。
敗戦利得者たちが顧みない、大東亜戦争で戦った将兵とそれを支えた国民の思いと戦後をつなぐためには、正統な歴史認識を取り戻し、天皇を中心とする日本の「国体」概念を再興することが不可欠である。
本書が指し示す今後の日本の針路は、敗戦利得者たちの虚構の正義と権威を打破し、日本人が本来保有し、命がけで守ろうとしてきた、天皇を中心とする「国体」、「建国の本義」の再興にあると言えよう。
安倍晋三元首相の国葬儀を「国体」再生の契機に
このような吉田茂の正体を知れば知るほど、反対の怒号に包まれた安倍晋三元首相の国葬儀の悲劇を痛感させられる。
安倍元首相は、戦後レジームからの脱却、美しい日本を取り戻すことを真摯に国民に訴え、志半ばにして凶弾に斃れた。そのような安倍元首相こそ、日本の「国体」再興のために戦い続けた、偉大な政治家であり、真に国葬儀を執り行い見送るにふさわしい人物ではなかったのか。
一般国民の献花の列は、夜まで途切れることはなかった。少なくとも数万人規模であったに違いない。反対デモは警察発表によれば六百人程度に過ぎなかった。ここに真の民意が表れている。死者を悼む気持ちは今も日本人の魂の底に流れている。日本の「国体」は健在なのだ。
そのようななか、反対デモに参加し死者の魂に鞭打つ所業を恥じない一部の日本人は、もはや日本人とは言えない。敗戦利得者ですらない。祖国日本の心を完全に喪ったあるいは消し去られた、虚ろで哀れな根無し草のさ迷える魂でしかない。
彼らの魂には、戦後日本の敗戦利得者たちが築き上げてきた、欺瞞と偽善、虚構の正義の行きつく果てにたどり着いたニヒリズムが満ちているのではないか。日本の伝統的村落共同体には、村八分という最も重い制裁があったが、それでも火事と葬式には村人が出向くこととされていた。死者を共に悼むのは、日本の伝統的な共同体では最低限の道徳律であった。
それすら知らず守れない今日の一部の日本人の姿は、江藤や三島が予見した以上に、空虚で醜悪である。三島は生前「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことはできない」と嘆じている。希望のない、ある意味絶望的な日本からいかに立ち直るか?
その道は、日本の歴史を振り返り、「国体」の真姿を見出し、それを再興することから始めなければならない。それが、敗戦利得者たちが流してきた害毒を浄化し、真に「日本を取り戻す」ことに繋がるであろう。
安倍元首相の国葬儀の献花の列には、多くの若者が見られた。国葬儀賛成は若い世代ほど多数を占めた。靖国神社の参拝者にも若者が増えている。これらは日本再生の一つの兆候である。安倍元首相の思いは必ずや果たされるであろう。そのことを、安倍元首相の国葬儀が立証した。
安倍元首相の国葬儀が、吉田茂が先駆けとなり構築した「敗戦利得者」の支配する戦後日本の虚妄を打破し、日本の「国体」再生の出発点となるならば、安倍元首相の霊ももって瞑すべしと言えよう。
以上