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書評 西鋭夫 岡崎匡史著『占領神話の崩壊』

書評 西鋭夫 岡崎匡史著『占領神話の崩壊』(中央公論新社 2021年)
評者 国際歴史論戦研究所会長 杉原誠四郎
掲載 歴史認識問題研究会『歴史認識問題研究』第10号(公益財団法人モラロジー道徳教育財団 2022年)

書名の問題

まず指摘しておかなければならないのは、書名の問題である。果たして「占領神話の崩壊」でよかったか。余りにも本書の内容の一部の意味だけを強調し過ぎて、本書の内容全体から離れ過ぎていないか。これは最初に日本で刊行された『マッカーサーの『犯罪』』でもいえる。英語の原書は、和訳すれば「『無条件』民主主義」というもので、この書名であれば、

『マッカーサーの『犯罪』』よりも内容に近似する。しかし『マッカーサーの『犯罪』』では、占領政策の象徴としてマッカーサーの名を出しているのだろうが、マッカーサーの占領政策には、食糧支援など善良な政策もあり、そうしたことを全て省略して『マッカーサーの『犯罪』』としたのでは、一方に片寄り過ぎているということになる。そのため、優れた研究書でありながら正当に評価されないまま、黙殺された側面がある。また、学術書としては、最初の『マッカーサーの『犯罪』』にあったように、厳密に注記を付すべきであったろう。

本書の内容一目次よリ

本書の内容を、小見出しは除き章と節だけで示すと、次のようになる。

『占領神話の崩壊』序

第一章 フーヴァー・トレジャーズ (Hoover Treasures) 極秘史料発掘

第二章 敗戦を歪めた吉田茂憲法

I GHQ 直筆憲法/II 憲法試案/III 世紀のスクープ/Ⅳ 虚像の男 白洲次郎/V 内通者と愛欲

第三章 東京裁判‐戦友を裏切る海軍と陸軍

I 敗戦と焚書坑儒/II 阿片政策/III 天皇免訴とマッカーサー/Ⅳ 日本のユダ田中隆吉少将/V 東條英機/VI 興亜観音と遺骨奪還作戦/VII  A 級戦犯保釈と戦後日本

第四章  共産党殺しの特高警察―GHQ へ再就職

I 東京裁判と特高警察/II 小林多喜二撲殺 一九三三(昭和八)年/III 特高警察と持間史/Ⅳ 転向政策とスパイ/V「矢野豊次郎文書」の発見/VI 獄中手記/VII 網走監獄/圃 日本敗戦と共産党/IX 戦後も活躍した特高警察あとがき

フーヴァー・トレジャーズ目録

この目次を見ても、本書は「占領神話の崩壊」の書名のもと、関係する全ての案件を均等に扱った学術書ではないことが分かる。ただし、上述のように、西の場合は『マッカーサーの『犯罪』』以来、一貫して占領の真実を追究していることから、3 著書を併せていえば、完璧にして遜色のない学術書、ということになる。

第一章 フーヴァー・トレジャーズ(Hoover Treasures)

第一章「フーヴァー・トレジャーズ(Hoover Treasures)」の「極秘史料発掘」の箇所では、終戦の日を境に、官庁街は白煙に包まれていだ情景の描写から始まる。軍部を中心として、日本政府が膨大な書類の焼却をしていたのだ。そのために、今日の歴史研究に欠かせない貴重な史料が存在しなくなっている。歴史は均等に史料を残さないことが分かる。

そうしたなかで、フーバーは占領期、東京に事務所を置き、膨大な資料を収拾し、その集めた資料はフーバー研究所で「フーヴァー トレジャーズ」として保存されている。そこの史料に当たった著者は、それだけ歴史研究上の功績があるといえよう。

第二章 敗戦を歪めた吉田茂憲法

第二章「敗戦を歪めた吉田茂憲法」は、日本国憲法が大日本帝国憲法の改正として制定されていく過程を扱ったものであるが、現行憲法制定過程の研究としては、昭和 47 年に出た、高柳賢三 大友一郎 田中英夫の著した『日本国憲法制定の過程   I 原文と翻訳』(有斐閣 1972 年)、『日本国憲法制定の過程 Il 解説』(有斐閣 1972 年)で、ほとんど判っていることなので,それほど目新しい事実はなかった。というより、最近は高尾栄司の『ドキュメント皇室典範一宮沢俊義と高尾亮一』(幻冬社  2019 年)が出ており、この高尾の著書では、昭和 21 年 2 月 13 日、占領軍から憲法草案を突き付けられたとき,政府の 憲法問題調査委員会の筆頭委員をしていた宮沢俊義がその草案を入手し、宮沢は厳秘であるにもかかわらず、その日のうちにその草案を東京帝国大学総長南原繁のところに持ち込み、翌日、法学部の主要教授が集められ、東京帝国大学法学部の教授たちが高尾の言う日本を売った憲法学者集団となっていくのだが、この重要な史実についての指摘が、本書にはない。この高尾の著書は令和元年の出版だから、仕方がないといえば仕方がない。

著者のこの章の結論は、吉田は最初から熱意を持って戦争放棄を受け入れ、そして「米国追従」という日本の国辱路線を敷いたとしている(189 頁)。この結論は、大局的に見てまさにその通りで、占領が終わって 70 年、まさに正鵠を射た必須の指摘といえよう。ただし、そのように指摘するならば、占領軍は自衛のための「戦力」は保持しうるとしていたのに、吉田は占領軍の意を超えて、自衛のための「戦力」も持ちえないと、日本国憲法を歪めて解釈し、日本国民をして、自分の国は自分で守るという気概を失わせたとか、そこまで非を明確に指摘しておいて欲しかった。

第三章  l 敗戦と焚書坑儒/II 阿片政策

第三章の「I   敗戦と焚書坑儒」と「II   阿片政策」での主要テーマは、歴史研究者の余り扱わない阿片である。日本国内で日本国民に対しては阿片の吸飲は厳しく取り締まり、ほぼ完全に阿片吸飲は撲滅していたのに、中国では逆に奨めていたというのは確かに恥ずべきことである。

ただし、確かに阿片をめぐる日本側の施策は糾弾に値するが、阿片をめぐっては、日本側の場合のみを取り出して、日本側を糾弾するのは正しくないのではないか。まして東京裁判の判決文を紹介して、この判決文の通りだったといっているかのような論述があるが、これは公正でない。

本書でも紹介されている中華民国維新政府の採るべき阿片政策について、参謀本部特務機関の作成した「阿片報告書」には、中国国民党の政策が紹介されており、それによると、蒋介石は厳格な阿片禁煙政策を実施したという。しかしこれは表向きの政策で、厳禁して取締まったため、これによって阿片価格は高騰し、蒋介石は外国から阿片を密輸入し、巨額の利益を得たという(250 頁)。満洲国も表向きは阿片の取締りはしていたが、主要な財原は依然として阿片に頼り、阿片の使用を奨励する構造になっていたのである(233 頁)。しかし、本書でも紹介されているが、満洲国総務長官の星野直樹の主張したように、阿片を撲滅することが国策だった、というのは確かなことではないか(241 頁)。本書では紹介されていないが、昭和 18 年 11 月、大東亜会議が開催されたとき、満洲国張景恵国務総理大臣は阿片問題について「米英ガ東亜侵略ノ手段二用ヒナガラ、今二至ツテ人道ノ名二於テ悪賢ヲ放ツ所ノ彼ノ阿片吸引ノ弊ノ如キモ、建国当時阿片常用者ハ百三十万デアッタモノガ、今日デハ極メテ僅少ヲ残スノミトナリ、最近ノ将来二於イテハ完全二跡ヲ絶ツベキコトガ期待セラルヽノデアリマス」と述べている。これも中国大陸でのもの言いだから、そのまま正確な文言として信用することはできないが、阿片撲滅の政策に本気に取り組んでいたことは明らかであろう。

本書には出ていないが、平成 7 年に発表されている内田知行の「中国抗日根拠地におけるアヘン管理政策」(『アジア研究』第 41 巻第 4 号(アジア政経学会  1995 年))という論文では、中国共産党は同党が支配する地域では阿片撲滅の厳しい方針を採りながらも、地域内では阿片が栽培され、これを貨幣替りにして軍需品や生活必需品の獲得をしていたとしている。

第三章 Ill 天皇免訴とマッカーサーここは天皇とマッカーサーの第 1 回会談に関して、論述した箇所である。

会談内容について、国務省から総司令部に派遺されていたアチソンの指摘に基づいて、天皇が真珠湾「蝙し討ち」について、東條がしたと説明し、そのうえで全責任は自分にあると謝罪したと紹介しながら(311 頁)、そのように断定していない。また、天皇が真珠湾「蝙し討ち」は東條がしたと説明したのは、このときの外務大臣吉田茂の画策によるものだという事実を指摘していない。

この天皇とマッカーサーの第 1 回会談を扱った本書の論述では、平成 2 年に出た松尾尊兌の「考証  昭和天皇 マッカーサー元帥第一回会見」を先行研究として踏まえているようだが、その後、平成 9 年に評者、杉原の『日米開戦以降の日本外交の研究』(亜紀書房 1997 年)が出ており、そこで、今述べたようなことが詳述してある。この研究書に目を通すことなく、天皇とマッカーサーの第 1 回会談に関わることを論述したのは、資料探索が不十分であり、本書の一つの欠陥といえる。

第三章 IV 日本のユダ 田中隆吉少将/V 東條英機

田中隆吉は東京裁判で、かつてともに戦争で戦った同僚の戦友を裏切り、彼らに極めて不利な証言を続けた人物である。田中は、東京裁判判決が出てから約 10 か月後、昭和 24 年 9 月 15 日、自決を図る(355 頁)。遺言を読むと自決の決意は固かったようで、しかし東條英機と同様に失敗し、本書の言葉を借りれば、昭和 47 年 6 月 5 日寿命を全うするまで「世捨て人のように苦悩を背負って孤独な生活を送った」とのことである(356 頁)。本書の著者は言う、「田中の『国体護持』という信念は、自らの裏切りを正当化する言い訳だった」と (351 頁)。評者はこの著者の発言に反論するだけの根拠を持ち合わせない。だが、同時に評者は、田中には何か、天皇を守るという信念のようなものがあったのではないか、との思いも禁じえない。

第三章 VI 興亜観音と遺骨奪還作戦

次の「興亜観音と遺骨奪還作戦」は、昭和 23 年 12 月 23 日、東京裁判において絞首刑を執行された A 級戦犯処刑者 7 人の遺骨をめぐる話で、骨捨場にわずかに残っていた遺骨を密かに奪取して、処刑者の一人松井石根が伊豆長山に昭和 15 年に建立していた興亜観音の傍に埋葬してある。

だが、著者は、興亜観音の傍に昭和 34 年に建立された「七士之碑」が吉田茂によって揮憂されていることに対して、「吉田茂は東京裁判で GHQ に外務省の極秘史料を提供し、己の権力を高めるために、媚びを売った男だ。吉田茂に碑文を書かれた七人は浮かばれない」と言い、これを「歴史の悪戯」と言っている(376 頁)。

吉田茂について上記の七士との関係でいえば、著者が言っているように、吉田は東京裁判にあって進んで外務省の文書を占領軍に提供し、A 級戦犯の弁護に協力しなかったのは明らかだ(209 頁)。そうして死刑となった者への追悼の碑を吉田が揮竃する。著者の言うように「歴史の悪戯」ということになる。

だが、ここに歴史の研究、または歴史学の重要な役割が示されていることを、敢えて明記しておきたい。今日では、吉田茂が何をし、どのような負の遺産を残したかが判明している。世間ではまだ吉田茂批判は十分に浸透せず、吉田茂を大宰相と見なしている人は多いが、しかし令和 4 年の現在の時点ならば、七士のために「七士之碑」の揮竃を吉田茂に頼みに行く人はいないであろう。つまるところ、歴史研究、歴史学が人間の在り方、国家の在り方、社会の在り方を正し、国家や社会に貢献する力を持っていることが分かるのである。

第三章 VII  A 級戦犯保釈と戦後日本

本節「VIl   A 級戦犯釈放と戦後日本」は、本書のなかでいちばん重要なところといってよいだろう。著者は東京裁判で「終身禁固刑」を受けた賀屋興宣の言を借りて、次のように言っている。「賀屋は、戦後日本が「戦争責任」を自主判断していないと嘆く。東京裁判には、道義的にも、法律的にも議論の余地がある。外国が判断したものではなく、戦争を実行した責任者を日本人自らが判断すべきである。この一番重要なことが、ほとんどなされなかったことが、『まことに私は日本国民として遺憾千万なことである』と悲歎に暮れる」と(385 頁)。そして著者の西と岡崎は、自らの言として「戦後日本は、『戦争責任』を自主判断していない」と嘆く(387 頁)。

アメリカでは戦争の終わった年に、大統領ルーズベルトの日米戦争開戦責任をめぐって、議会で上下両院の合同調査委員会を設置し、翌年 1946 年 7 月には関係文書も含めて 10,921 頁の報告書を発表している。日本でこれに相当するのが幣原内閣が試みた戦争調査会であるが、これは占領軍によって解散させられた。以後、吉田が主権回復に伴って、この調査会を再開すべきであったのだが、吉田茂は歴史認識の問題に無関心であり、それどころか外務省の戦争責任を隠したのである。

なお、この節では誤りといってよいものが 1 つあるので指摘しておきたい。真珠湾「謳し討ち」で「最後通告」の 14 部のうち最後の第 14 部の発信が遅かったことに対し、本省が手交遅延を画策していたのではないかというような言及がある(388 頁)。確かに最後の第 14 通がもっと早く発信されていたら、予定どおり指定の時刻に手交できたかもしれないとはいえなくはない。しかし、本省の指示どおり、館内に緊急態勢を敷き、前の日にできる作業を前の日に全てなし終えていたら、手交遅延という失態は起こらなかったのだから、やはり手交遅延の責任は現地の日本大使館に責任がある。

第四章 共産党殺しの特高警察―GHQ への再就職本章は一括して論評することとする。

「蟹工船」という小説を書き、労働者の苛酷な生活を劇的に描いた小林多喜二は、昭和 8 年 2 月 20 日、特別高等警察、いわゆる特高によって逮捕され、拷問のすえ、その日のうちに死亡する(410 頁)。

小林はこのような苛酷な拷問を受けても、最後まで同志の名前を吐こうとはしなかった。逆に特高の側からいえば、小林が死ぬまで、同志の名を吐かせようと苛酷な拷間をした(410 頁)。どちらも信念があったから、そこまでできたのであろう。

考えてみるべき問題は、特高警察の職務の問題である。もともと高等警察とは、国家を転覆する行為に対する警察行為である。とすれば、どのような国家でも特高警察というような任務を担う組織は必要となる。占領下という状況のもとでは、占領軍にとっても必要なことである。占領されている側は、占領軍のそれを助けるかたちでこの種の組織の存続を図る。特高解体から 2 か月後、内務省に「公安課」が設置され、占領軍と密着するかたちで「公安警察」が誕生していく。そして今日のいわゆる公安警察が生れてくる(588 頁)。

公安警察はかつての特高と異なり、拷問のような暴力は振るわない。が、国家を転覆する行為をなす恐れのある人物や団体に対しては、常時監視をし、これらの人物や団体が国家転覆という暴力行為に入る寸前に、警察行為という暴力をもって、これらの行為ができないように逮捕する。

かつての拷間を辞さない特高から、拷間を行わない公安への転換は何を意味するのか。拷間のできない公安警察に移ることによって、国家を転覆する目的に向かって行動している一部の国民からすれば、その転覆行為の寸前までは自由に議論し、自由に活動できるようになった。

よって、戦前の場合では、議会のレベルで、国家を転覆する方向性を持った政党は存·在せず、そうした方向性を持った政党や議員との議論は必要ななかった。そのため、議会での議論はその分だけ緊張を欠き、政党は堕落し、健全な政党政治が生れない原因となったとはいえないか。

まとめ

それでは、本書全体を総合的に論評する。

特に第四章の問題は、占領そのものではなく、戦争に至った戦前の日本の暗い部分に光を当て、そこから戦争に入っていった日本の問題を洗い、戦争、敗戦、占領を通じて今日の日本の間題を指摘しようしている。その観点から、今日の間題に最も強く結びついている「占領」を取り出し、今日の多くの日本国民の抱いている「占領」の認識には嘘があり、その嘘を取り除かなければ本来の日本にはならないと主張する意図が本書にあるといえる。そのため、本書の書名も「占領神話の崩壊」としたのだ。

本書の論述内容には、部分的には分析の不十分、資料探索の不十分といえるところもあるが、「フーヴァー・トレジャーズ」を使いながら、これまであまり研究の対象とされてこなかった日本の恥部にも光を当て、占領に関係する正しい日本像をつかもうとして論述している。この姿勢自体は評価されなければならない。西が『国破れて マッカーサー』(中央公論社 1998 年)で述べているように、資料に存在しない架空の「会話」や「舞台」を創作しているところはない。

本書では、占領といっても、占領している占領軍側よりも占領されている日本側の対応の仕方に最初から最後まで光を当てているから、占領されている側の間題として象徴的にいえば、例えば吉田茂は大宰相であるという神話を壊すというような意味で「吉田茂神話の崩壊」とした方が、より内容に即した書名になったのではないか。

このような観点に立って見たとき、著者の主張は占領が終わって 70 年経った今日の日本にとって、極めて有効なものであり、必要なものであるといえる。 本書のテーマは、いくつかのテーマを取り出して、それらをそれぞれ深掘りするかたちで論述され、その阻りでは、まだら模様の研究書ということになるが、しかし著者の一人、西の場合は繰り返しになるが、昭和 58 年に出した『マッカーサーの『犯罪』』(上巻 下巻)(日本工業新聞社 1983 年)と、『国破れて マッカーサー』(中央公論社 1998 年)を併せて考慮すれば、占領全体を扱った学術書、研究書ということになる。