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国際歴史論戦研究所 会長 杉原誠四郎
2024年9月18日、中国の深圳で、日本人学校に通う日本人の親子が44歳の中国人男性に襲われ、男児が刺されて死亡するという事件が起きた。
これは1989年に中国共産党総書記に就任した江沢民によって始められた愛国教育によって始まった特定国家に対する敵対教育によるものである。つまり日本に対してなされた反日教育の成果といえるものだ。天安門事件などによる民主化運動を鎮圧して、中国における中国共産党の支配の体制を維持するための手段として反日教育を始めたのであった。
現在の国家の有り様について考えると、政治権力掌握者を国民の意思によって定期的に交替させ、国家の意思をほぼその構成員たる国民の意思の下に形成する民主国家の在り方がある。古代国家では選挙自体が不可能であったが、それが可能となった今日にあっては、選挙を通じて国家の意思は国民の意思の下にあるべきだというのは、法の進化という観点からも正しいことであろう。
が、今日、共産党等の特定の政治集団及び人物が政治権力を掌握して、それらの権力掌握の集団、人物によって国家の意思を形成する専制国家が存在している。
その両者の得失を比較すると、例えば戦争抑止という点では、民主国家の方が明らかに優れている。
かつて国民自身が好戦的でありえた時代があったが、第二次世界大戦を経て戦争の悲惨さを歴史的体験として体験してきた今日、また戦場の状況をテレビやスマホで身近に見ることができるようになった今日、国民は原則的には好戦的であることはできなくなった。というのも、戦争を始めて戦場で死の危険に遭うのは国家を形成している国民のうちの誰かであり、それを身近に感じれば、国民の間に戦争を忌避する傾向が生まれるのは必然である。それが国家の意思に反映し戦争の抑止に効果するのである。
他方、専制国家では、政治権力の権力掌握の集団、個人は、国家の意思として戦争を始めたとき、自らは死の危険に遭遇することはない。したがって、それだけ戦争への抑止が弱くなる。さらに国民の委託を受けていないその支配の体制たる専制体制を維持するために、国民を緊張させる必要があるとしたとき、その手段として戦争に訴える可能性を持っている。したがって専制国家は戦争を抑止する力がそれだけ弱い。
これを、特定国への敵対教育で考えてみると、21世紀の国際平和を考えれば、そのような特定国への敵対教育はそれ自体望ましいものではないというのは論を俟たない。専制国家では、その国家で権力掌握集団及び個人が、その国家における国民への専制支配の体制の維持自体を目的として政策を立てなければならなくなり、そのために政治上の権力行使が行われる。国家の利益のためだと権力掌握者は言うけれども、結局は体制を維持して権力掌握集団、個人の利益を図るためのものであるほかはない。
そして専制国家は、その専制体制の維持のための必然の結果として国民の自由を認めることができない。結果、結局は国民を抑圧することになる。
現在の中国国民は、反日教育に冒されて日本に対して激しく憎悪しながらも、権力掌握集団または人物によって自由を奪われ、その抑圧に喘いでいるのだ。
そこで世界の中国系の人々への提案なのだが、現在、世界では、アメリカやオーストラリア等で、それぞれの国の国籍を持って中国政府の支配を受けていない中国系人々が大勢いる。その人たちが、驚いたことに、時折、中国政府の対外謀略活動に協力して、反日教育を煽ったり、中国政府の戦狼外交に協力したりすることがある。
だが、考えて欲しい。こうして中国政府を支援することは、中国本土にいる同朋の中国人が一方的に自由を奪われ、喘いでいるのを放置し、さらには維持、強化していることになるのではないか。もしこうして中国政府に協力するならば、彼ら、中国本土にいる中国人の自由をいっそう奪い、喘ぎ苦しむのをいっそう深刻にしていることになるのではないか 世界に散っている、中国国籍以外の国籍を持っている中国系の人々は、まさに現在の中国政府の有り様を批判し、反抗することが、中国本土にいる同朋の中国人を助けることになり、そのうえさらには世界の平和に尽くすことになるのではないか。そのことを中国国籍以外の国籍を持っている世界の中国系の人々に訴えたいのだ。