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“日本人らしさ”のルーツと和解

国際歴史論戦研究所
上席研究員 澤田健一

年明け早々1月10日にNHKの「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の⁉巨大噴火が“日本人”を生んだ⁉」という番組において新しい事実が紹介された。日本人らしさのルーツが巨大噴火に起因し、噴火の危機にさらされ続けた人々には自然への畏敬の念が生まれ、助け合う精神が旺盛になると説明する

また縄文人独特のD―M55という遺伝子や不安遺伝子が紹介され、それが集団生活に適していたり、危機察知能力を高めているという。そして協調性が苦難を乗り越えるカギだったと解説していた。助け合い、そのために必要なら自己犠牲をも厭わないということだ。この番組は、生理学・遺伝学そして地球物理学など様々な分野から捉えた、とても興味深い内容であった。

ところで、日本人の祖先たるその縄文人はどのようにして日本列島にたどり着いたのか。

現在の人類の祖先たる「ホモ・サピエンス」は約20万年前、アフリカで誕生したといわれる。それが地球上全てのところに進出していくのだが、令和2年に東京大学などが、縄文人たる日本民族だけではなく、全ての東ユーラシア人は南方ルートでやって来たと公表した。「多くは」ではなく、「全て」と言い切っている。

縄文人の祖先となるホモ・サピエンスは約7万年前にインドネシア辺りまで到達したようだ。インドネシアのトバ火山が約7万4千年前に噴火したのだが、インド南部ではその火山灰層の下から石器が出土する。

 また、オーストラリアでは約6万5千年前の刃部磨製石斧が出土している。これは研磨した石斧であり、これを手にしたからこそ、大木を切り倒して丸木舟を造れるようになったのだ。

その丸木舟に乗って九州西南端に到達したのが約4万年前となる。現在のカリマンタン(ボルネオ島)辺りから舟を漕ぎ出して、沖縄の島々を経由しながら、本州島に到達するが、世界有数の強い海流である黒潮を突破し、約3千キロの大航海を成し遂げるのは容易なことではない。

丸木舟が横波を受けて転覆しても仲間同士で助け合って全員で再び舟に乗り込む。仲間(動力源)を見捨てることは漕ぎ手を1人失うことであり、自分の死に直結する。だからこそ強い仲間意識が生まれる。他者の命を救うことは、自分を救うことと同じ意味を持つ。こうした結束力の強くて、日本列島にたどり着いたのは、たったの千人しかいないということが、核DNAの解析によって明らかになっている。日本民族の最初の集団はたったの千人しかいないと指摘されているのだ。つまりこの千人が増えて縄文人になったのだ。

その縄文人が日本列島に棲みついたのは地政学的にも幸いした。海に囲まれた日本列島では、他民族によって戦争を仕かけられて虐殺されることもなく、また逆に他民族に戦争を仕かけて他民族を虐殺することもなかった。

縄文人の遺跡からは人を殺すための武器は出てこない。稲作をするようになって弥生人になってからは収穫した米穀をめぐって戦争はあったようで、埴輪には武人の姿をしたものがある。が、他民族から戦争を仕かけられたことのない日本では戦争は少なく、戦争で死ぬ人は少なかったといえよう。

確かに短く見れば15世紀後半から100年間、長く見れば150年間、戦国時代という時代があり、戦争に明け暮れた時代があった。が、その時代でも戦争は武士の間だけで行われ、一般の人が巻き込まれて死ぬということは原則的になかった。日本は明らかに戦争が少なかったのである。

20世紀前半、日本人は激しく戦ったが、それは自衛とかアジアの解放とかいう使命があったからこそ、自己犠牲も顧みずあれだけ激しく戦ったのだ。

このような日本人が1937年南京攻略の際、無辜の一般市民を30万人も虐殺するはずはない。現在の中華人民共和国建国の最高指導者、毛沢東自身が南京攻略の半年後、延安で「日本軍は包囲は多いが、殲滅は少ない」と話しているが、それは虐殺はなかったという意味ではないか。

にもかかわらず、現在、中国政府は南京市に南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館)を建て、日本軍は30万人の虐殺を行ったとしている。

結局、この記念館は、戦争を好み、虐殺をいくらでも平然と行う中国文明の自己像を映し出したものではないか。結局、中国のおぞましき自己像の象徴といえるもので、つまりは、中国の恥の表象といえる。

この度、NHKの放送で、日本人の協調性、助け合いの傾向は、多数の人の一致する協力を必要とする稲作文化などで、文化的に形成された面も依然とあるであろうが、遺伝子的にもそのような傾向があるということは重大な発見だ。

日本は誇るべき日本の歴史をもっと自信を持って、世界に伝えてよいようだ。日本人は好戦的だという誤解を解き、世界の諸国と和解を図るべきだ。