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書評 – 日本人の原爆投下論はこのままでよいのか ―原爆投下をめぐる日米の初めての対話

評者 タダシ・ハマ

原著 著者 ハリー・レイ(原著)、杉原誠四郎(著者)日本人の原爆投下論はこのままでよいのか ―原爆投下をめぐる日米の初めての対話

解題

この書評の書『日本人の原爆投下論はこのままでよいのか-原爆投下をめぐる日米の初めての対話』(日新報道 2015年)は、アメリカ人ハリー・レイが日本人が一般に抱いている原爆投下論を批判したのに対して、日本人杉原誠四郎が、ハリー・レイの論考の章ごとに日本側に立って、章ごとに、反論を主として日本側の立場からのコメントを付したもので、それを原爆投下をめぐる日米の初めての対話として出版したものである。日本語版はハリー・レイの英文部分を、明星大学で博士号を取得し、同大学戦後教育史研究センターで占領下の教職追放の研究をした山本礼子が担当し、2015年、日新報道より出版された。英語版は、Bridging the Atomic Divide: Debating Japan-US Attitudes on Hiroshima and Nagsaki と題して、杉原の和文部分を、中国系オーストラリア人のノーマン・フーが担当して訳し、2019年、Lexington Books より出版された。

 共著者の1人、ハリー・レイは1931年、アメリカのネブラスカ州で生まれ、本書の英語版は見ずして2017年に没した。1971年ハワイ大学大学院を修了し、日本に長く滞在し日本の幾つもの大学で教鞭を執った。占領期教育改革の研究では占領下の教育改革に携わった日本側の50人、占領軍側の28人のインタビュー行い、占領教育史の研究で多大な貢献をなした親日家である。

 他方の著者杉原誠四郎は1941年広島市の生で、原爆投下寸前まで爆心地の近くに居住していた。1967年東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了。博士課程に進まなかったのは、戦後の日本で自虐史観を振りまくことで多大な役割を果たした日本教職員組合(日教組)の講師団の団長を務めていた主任教授と対立したからといわれている。

 この書評の評であるタダシ・ハマは、この書評を2019年9月、「史実を世界に発信する会」より次のようにして発表した。

<書評>
『日本人の原爆投下論はこのままでよいのか
-原爆投下をめぐる日米の初めての対話』
ハリー・レイ & 杉原誠四郎
(レキシントンブックス 2019)

 ニュースレター No.231で、日本とアメリカとのあいだで長いあいだ避けられてきた極めて敏感な問題につき、率直にして忌憚のない対話をしたとして、この新しい本を紹介している。

 書評はタダシ・ハマによって書かれたもので、この書評に対しては、この本の著者の1人である杉原誠四郎教授によってさらにコメントが寄せられている。

 著者のハリー・レイはバランスの取れた対話となるように原爆について対話していきたいと述べており、そして占領期になされた東京裁判のような、戦勝国が敗戦国になす一方的なものであってはならない、と述べている。が、しかし、冒頭から、日本に向けて「人道に対する言い訳のできない罪を犯し続けた」と誹謗し、そしていろいろ述べるなかで、あたかも確定した歴史的事実であるかのように、韓国人女性を強制的に売春婦にしたとか、あるいはいわゆる「慰安婦」にしたとか、そして「南京事件」があったとか述べている。

 ハマの批判は、要するにこのような考え方でもっては「バランスの取れた会話」など成り立つはずはないということである。ハマはレイの偏った一方的な考え方について詳細に指摘していく。

 このハマの指摘に対して、著者の杉原は、ハマの見解を肯定しながらも、大統領ルーズベルトが原爆投下の最終的責任を背負うべきだと強調する。そしてこの杉原の指摘こそが、この重要な問題についての2人の対話を成り立たせることになっているのだ。杉原の指摘するところもよく読まれるべきだといえる。

 評者のハマは、チャールズ・A・リンドバーグの『孤高の鷲-リンドバーグ第二次大戦参戦』(Harcourt Brace Jovanovich, 1970)、グッドリッチ・TのSummer, 1945 (The Palm Press, 2018)などを新たに文献に加えて、日米戦にあって、アメリカ側にいかに多くの残虐行為があったかを示した。そのことによって、原爆投下につき、アメリカ側のハリー・レイの主張を否定し、アメリカ側に原爆投下の大義はなかったことを強調している。

 評者のハマは史実に即して言っているわけだから、ハマの言うことには誇張や虚構はない。その意味でこの書評は多くのアメリカ人に読んでもらうべきものだ。

 ハリー・レイの主張はアメリカで一般に広く言われているもので、原爆投下は終戦を早め、日米の犠牲者を少なくするためのものであり、事実、原爆投下によって多くの犠牲者が救われた、というものである。そしてポツダム宣言が出たとき、日本側が受諾しておれば原爆投下はなかったわけだから、原爆投下には日本側にそれ相当の責任があるというものである。

 後に言われることになる、原爆投下によって助かった犠牲者の数には誇張が入っているとしても、多くの人が助かったことは事実であり、そしてまたポツダム宣言が出たとき日本が直ちに受諾しておれば原爆投下はなかったことも事実である。

 が、これに対して、日本側を代表して杉原はどのように反論するか。要点としてはアメリカ側には、ポツダム宣言を出す以前の日本を降伏させ原爆投下をする必要をなくする機会は、ポツダム宣言を日本側が受諾する機会より遥かに何倍かの大きさであった、というものである。

 原爆投下以前に日本を降伏させるというこの政策を採ることを、時の大統領トルーマンのもとで難しくしたのは、前大統領ルーズベルトが日本に対して無条件降伏を強いていたからである。ルーズベルトは日米開戦に当たって、日本は「宣戦布告」なく突如、真珠湾を攻撃したと非難し、国民の戦意を煽り、日本への憎悪を掻き立てた。実際には、日米戦争は国民の見えないところでアメリカが日本を挑発して起こした戦争であり、「宣戦布告」の手交遅延も意図的にしたものではなく事務失態によるものであり、そのことを事実上知りながら、ルーズベルトは日本への敵意を煽り、無条件降伏を日本に強いた。そしてそれをして国民に強く支持させていたのである。その結果、日米戦争は日本に対して本土上陸作戦を実行しなければならないものになり、そのために日米戦争の勝敗がはっきりして以降も戦争を続けなければならなくなり、無駄な犠牲者が日米双方強いられていたのだ。

かくして、共著者の杉原は、ルーズベルトはアメリカ国民にも不必要に途方もなく犠牲者を強いたのであり、その限りでルーズベルトはアメリカ国民をも裏切っていたのだ。そのことをアメリカ人は知ってほしいと、杉原は追加して主張している。

この書評は、原爆投下をめぐり、アメリカ人にも広く読んでほしい書評である。

書評原文(史実を世界に発信する会Webサイトへのリンク)