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【論説】藤岡信勝「日本の核武装問題と通州事件の教訓」

令和4年(2022年)7月

上席研究員

藤岡信勝

日本の核武装の必然性

 日本は中国、ロシア、北朝鮮という3つの核保有国の近くに位置し、あり得べき核攻撃の標的にされている。これらの国は、いずれも権威主義的・専制主義的・独裁的体質をもった国家である。このうちロシアだけは選挙で国のトップを選んでいる点で、他の2国と比較してやや異質だが、その政治文化はいわゆる西側とは明らかに異なる。

 こうした立場にある日本が、自前の核武装をしない限り、いずれこれら3国の核攻撃、または核恫喝によって国家の自立性を剥奪され、国民の生命・財産が強奪される恐れがある。ウクライナ戦争の最大の教訓は、アメリカは核を保有した国とはまともに戦おうとしない、ということがわかったことである。だから核武装は自前でなければ意味がない。このことは、フランス人の人口学者、エマニュエル・トッドも指摘したことだ。

 以上のことから、日本が自立した国家であり続けようとするならば、自前の核武装が必要なことは自明である。これは1足す1が2になるのと同じように、議論の余地すらないほど明白だ。国防問題とはつまるところ、日本の核武装の問題である。

 ウクライナ戦争の過酷な現実を前に、さしもの平和ボケの日本人も国防問題に目覚めつつあるように見える。例えば、6月のフジテレビの番組における世論調査で、「防衛費を対GNP比2%に増額する案」について視聴者に賛否を問うたところ、賛成が実に90%を占め、対GNP比1%の現状を維持すべきだの7%、減額すべきだの3%を圧倒した。

  こうしたことから、7月の参議院議員選挙で、核武装を含む防衛問題について、正面から訴える候補者が現れるのではないかと期待した。なぜなら、国家・国民の安全に真に責任を持つ政治家なら必ず上記の結論に至るはずだからである。そして日本国民はウクライナ戦争を「体験」したのであるから、今が国民をして問題に覚醒させる絶好のチャンスだったのである。不定型な「世論」に実体と方向性を与えるのは政治家の仕事である。そうでなければ、せっかく高まった世論も、いずれは元の木阿弥になってしまう。

 なるほど選挙では、「防衛費の対GNP比2%」を口にする候補者はいたが、核問題まで踏み込んで全力で訴える候補者は見当たらなかった。私の期待は空振りに終わった。政治家にとって、日本の核武装を公言することは、まだまだタブーなのである。やはり、防衛問題は票にならないという姿を改めて見せつけられた選挙だった。

国防上最大の困難は日本人の気質

 日本の核武装には、幾多の困難がつきまとう。最大の問題はアメリカが日本の核武装を認めるかどうかである。時の政権の性格にもよるが、今までの歴史的経緯を見れば、ことは簡単ではない。

 何しろ、日本の自衛隊は基本的装備をアメリカ製の兵器を使うように強要されており、国産の兵器開発を妨害されている。だから、米軍の意思一つで日本の自衛隊は直ちに機能不全になるように設計されているのである。その問題を巧妙に回避しつつ目的を実現する政治的手腕が国家指導者に求められる。これらを全てやってのける、強力なリーダーシップを有する政治家が現れなければならない。

 以上のことは、それだけでも大変なことであるが、ともかく上の問題は解決したとしよう。しかし、日本の核武装の最後の抵抗勢力となり、妨害要因となるのは、日本人自身であるように思えてならない。集団としての日本人の資質、性格、思考回路からして、核武装についての国民的合意を取り付けるのは非常に困難な仕事である。

 日本人が中国人によって残虐かつ猟奇的に殺害された通州事件の経過や、日本人のこの事件に対する振る舞いを調べると、上に述べた困難をつくづく意識せざるを得ない。2つの問題を指摘してみたい。その第一は、日本人が残虐さを正面から見すえることが出来ない性質をもっていることである。もう一つは、日本人はどんな悲惨な目に逢っても、復讐の炎を燃やすよりも、水に流して報復などしないという寛大さがあることである。

残虐なことの開示をタブーにする日本文化

 第一の問題から検討しよう。話は集団的な属性について述べていることを予めお断りした上でのことだが、日本人は残虐なことに接するのを回避し、タブーにする性質を持っている。そういうことに耐えられないのである。これはケガレを嫌う日本文化とおそらく密接な関係がある。神道の基盤にもそれがある。残虐な民族とそうでない民族の違いを、牧畜主体の肉食文化と農耕主体の草食文化の違いで説明することもなされているが、十分な根拠があるかどうかはわからない。それよりも、より直接的には、残虐なことに接するのをタブーにする社会であることと強い関連があるのではないか。

 通州事件のあった年の十一月一日付け東京朝日新聞朝刊に、音楽家・近衛秀麿が「対外宣伝私感」という文章を寄せている。近衛秀麿は時の首相・近衛文麿の腹違いの弟である。海外生活が長く西欧の事情に詳しい近衛秀麿は、「日本側の宣伝取材の拙劣さ」を問題とし、次のように言う。

 「通州の大虐殺事件こそ、いかに全日本の憤激が無理でないかを世界に知らしめる最大の材料でなければならぬ。この惨状の実写は内地にこそ輸入されなくてよい。我々同胞はおそらく誰しも目を背けて直視しうるものはないであろうから。しかし、この非人道どころではない、鬼畜に等しい暴行を外国に対しても秘しておくということは、かえってあの多数の同胞の犠牲者を単に犬死に終らしめることになる」

 「現に支那側のニュース映画は日本軍にやられたと称する苦力の死体の山、頭を青竜刀で割られて脳漿の流れ出た死骸の大写し等々、そして、北支でも上海ででも、あんなに皇軍を悩ませるだけの防備をしておきながら、自分を弱く見せることばかり腐心しておる。これに引きかえて日本の宣伝は、城頭に翩翻とはためく日章旗の威勢のいい行進と万歳ばかりだから、同情がひとりでに支那に集まるのは当然すぎる」

 こうして、近衛秀麿は、「通州で無念を呑んだ一人一人の殺され方が、例えば法医学的な見方で撮影されても、それが国難を少しでも救い得るものなら、死者に対する礼を失するとことにはならないと考えるべきだ」とし、「古い観念」を捨てて「支那の宣伝に対抗」することを求めたのである。

 この気持ちは、よく分かる。筆者も佐々木テンの証言を独立のブックレット(『通州事件 目撃者の証言』自由社刊)に復刻して出すときに、はなはだ躊躇した。結局、事実を知らなければ、日本人は中国人社会の恐ろしさを知らないで過ごしてしまい、それは国防上の重大な問題を生じると考えて出版を決断したのである。筆者は猟奇趣味を持っているわけではない。

 今、日本の出版物を見回すと、正に近衛秀麿の指摘したとおりの南京事件のニセ写真が大手を揮ってまかり通っている。アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』も世界各地の空港の売店で販売されているはずである。対して、通州事件の残虐写真はおろか、証言集すら出版されたことがない。この度発刊された『新聞が伝えた通州事件 1937-1945』(集広舎)は事件についての初めての資料集なのである。こういう現状では、事件の真の恐ろしさは日本人に伝わりようがない。これは大きなジレンマである。

被害を受けても赦してしまう寛大さ

 第二の問題は、どんなに酷い被害を受けても赦してしまう日本人の寛大さである。通州事件において際立っていることは、あれほどの所業をなした中国人に対しても、日本人は中国人に全く何の危害も加えていないことである。アメリカ人ジャーナリストのF・ウィリアムズは書いている。

 「こういう事件が起こっているときも、その後も、日本帝国に住む6万人の中国人は平和に生活していた。(中略)私は横浜のチャイナタウンを歩いたことがある。他の町でも遊んでいる中国人の子供を見つけた。危険や恐怖など何も知らない表情だった。かたや中国では、かの国人が暴徒と化して、日本人の子供を好きなように捕まえていたのである。(中略)通州で無辜の日本人たちを虐殺したまさしくその中国人たちが、捕虜になった時は日本軍によって給養され、『罪を憎んで人を憎まず』のサムライ精神によって、『もうああいうことをしてはいけない。さあ行け』と説かれていたのである。」(『中国の政治宣伝の内幕』)

  6万人の中国人の誰一人として、日本人から報復された人がいないとは、世界標準から見てあり得ない奇跡のような出来事である。それどころか、横浜の中華街では中国人を護るための日本人の自警団が組織された。駐日大使館から帰国を勧告された東京のコックたちは、日本のほうが安全だと勧告を迷惑がった。

 こうしたことを、日本人の崇高な精神性を表す美徳として私たちは誇りにすべきだろうか。私の考えは「否」である。なぜなら、これは国防上極めて危険なことだからである。日本人はどんな目に逢わせても絶対に反撃しないと相手に信じ込ませるからである。相手が自分よりも弱いとみれば、どこまでも襲いかかってくるのが中国人である。だから、こういう、度外れの美徳は日本人の犠牲者を増やすという意味で、もはや悪徳である。相手の攻撃性を抑止するには、こちらも牙を持たなければならない。この国際標準に日本人は意識的に努力して合わせるよう自己改造せねばならない。そうしなければ、日本の核武装は実現できない。

 五月に東京で、佐々木テンを主人公とする通州事件を題材にした演劇が歴史上初めて上演された。残虐なことを見たくないという心理から参加をためらった末、勇気を出して観劇したある女性は、次の感想を書いている。「日本人の優れた人間性がアダになるとは!世界にも稀な心優しき日本人・日本民族を守る手段をどこに見いだせばよいのか。抑止力としての核武装しかないのでは」。通州事件の真実を知ることは、国防上も重要な意味を持つのである。