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【論説】杉原誠四郎 「韓国の対日甘えと日本の対韓無関心 」

【英語版】https://i-rich.org/?cat=10

令和4年(2022年)8月

会長

杉原誠四郎

 私が韓国を初めて訪ねたのは、大学教員になったばかりの1970年代前半でした。そのころ韓国では義務教育が小学校までで、夕刻近くになると中学1年生か2年生の子供たちが家計を助けるためか、街で新聞を売っている姿があって、子供たちのそんな姿を見たことのない日本から来た私は奇異に感じたものでした。ソウルの美術商が並んでいる通りを歩くと、今と違って立派な墨絵を売っている美術商が多くて、墨絵がいささか好きな私は親近感を持ったものでした。ソウルから列車で釜山に行く道には屋根の先がとんがっている民家が見え、釜山の近くには日本に似た景色が多く、懐かしさを感じたものでした。釜山の北、慶州では仏国寺という大きな寺院を訪ね、また周辺のたくさんの石仏を見て、日本の仏教は韓国を経ずしてはなかったという思いを持ったものです。そのころは50歳以上の人は日本語が話せて、話せない風をしていても私と2人だけになると日本語で話しかけてきて、これも懐かしい思い出です。

 私は専門が教育学なので、韓国の道徳教育を調べたことがあります。安倍晋三内閣で、日本はやっと道徳教育が教科化し教科書ができました。が、戦後は一貫して道徳教育は教科とならず、道徳教育の教科書はありませんでした。しかし韓国では「道徳」という教科があり、教科書がありました。その教科書を調べたら、韓国の道徳教育の教科書は、日本の統治時代の「修身」の伝統を引き継いでいて、とても立派なものでした。日本では戦後、占領期、占領軍によって(実は実際は敗戦利得者たる日本人によってですが)、「修身」は廃止され、道徳教育は教科としては存在しなくなり、そのため教科書はなくなっていたのです。が、戦前の日本の「修身」の遺産は韓国の「道徳」で引き継がれていたのです。

 それで私は、教育学者として『日本の道徳教育は韓国に学べ-道徳教科化への指針』(文化書房博文社 2007年)を著したことがあります。

 さて、そんな回想のできる韓国と、私の国たる日本とは、今さまざまなことで対立しています。なかでも目下深刻なのは徴用工問題です。2018年10月30日大法院判決によって、日本の企業に損害賠償を命じ、日本企業の財産を差し押さえ、間もなく現金化する恐れが出てきています。

 国際法から見て、1965年の請求権協定で国家間の問題としては解決済みの問題を、大法院はあろうことか、それを覆し、日韓の国家間の対立問題にしたのですから、大法院の見識が疑われても仕方ありません。法の支配のもと、文明国の韓国としては、今回の大法院判決によって引き起こされた問題は、あくまでも韓国国内の問題であって、その解決の責任は行政府たる韓国政府にあることを見誤ってはなりません。ともあれこの判決によって、日本企業の財産が現金化されれば、日韓は抜き差しならぬ衝突となります。

 そこで日本政府はといえば、今のところ、韓国から何度も煮え湯を飲まされたこれまでの経緯からして、今回ばかりは譲歩の気配はなく、日韓の衝突は、国交断絶ほどの激しいものになると思われます。しかしながら、日本政府は今までの例にもあるように、最後のところではまた妥協を図り、とんでもない解決を持ち出す恐れが全くないわけではありません。

 実は本論の主題は、日韓はこの際、対立の極限まで、つまり国交断絶寸前まで衝突した方がよいということを提言しようというものなのです。

 第2次世界大戦が終わり、韓国が韓国として独立して以来、韓国は日本に甘えすぎたように思います。国民の団結を図るために、李承晩以来、政策として意図的に激しい反日教育をしてきましたが、これがそもそも甘えです。日本は何をしても反撃をしてこないことを前提に、韓国国民の団結を図るために日本を利用したわけですから、明らかに日本への甘えです。

 これに対して、日本国民の圧倒的多くは韓国に無関心でした。韓国にかかわる知識をほとんど持たず無関心で、そしてそのところに、戦後日本人に一貫して強く刷り込まれた自虐史観があってそのため韓国に対しては全て悪いことをしたとばかり思う思い込みがあり、その結果、ことあると直ぐに謝罪してことなきを得ようとしてきたのです。理不尽な要求でも直ぐに屈してその場の解決を図ろうとするのは、これは韓国に対する一種の侮辱でもあったといってもよいと思います。

結局、日本政府のこのような対応が日韓のこじれの最大の原因になったといえます。韓国のことをよく知り、韓国に関心があるならば、韓国の要求に対して是と非を明らかにし、怒るべきときにはしっかりと怒ったはずです。しかし韓国のことに知識がなく無関心だから、それに戦後刷り込まれた自虐史観が重なって、直ぐに謝罪をして、その場限りの解決を図ってきたのです。

 私は、韓国建国以来行われてきた反日教育によって、韓国人の反日行動は、集団的、社会的、国家的のものになり、韓国国民の共通の性癖になり、その性癖にかかわるところでは確実に反日行動をすると思います。しかし素直な感情生活のところでは、反日どころか、親日的ですらあります。そうでなければ、日本の歌やアニメを喜んで鑑賞したり、あれほど多くの韓国人が観光客として日本を訪れたりはしません。反日教育のためある状況では反日行動をせざるをえない性癖が無理してできているのだと思います。

近時は度重なる韓国から寄せられる無理難題から日本人のあいだに嫌韓感情が芽生えつつあります。これこそ、本来あってはならない心配すべきものです。

 したがって、徴用工問題に対する私の提言ですが、ここではとことん衝突した方がよいと思います。とことん対立し、断交もやむなし、にっちもさっちもいかない(二進も三進も行かない)状況になるべきだと思います。その状況に至って初めて韓国は反日教育は止めるべきだと覚り、日本は無関心を止め、自虐史観で韓国を見てはならないことを覚ると思います。

韓国と日本は安全保障のうえでは、運命共同体です。今さら共産党一党支配の中国の軍門に下ることを望んでいる韓国国民はいないでしょう。国交断絶やむなしほどの厳しい衝突を契機に、韓国は韓国でこれまでの対日の対応の不適切さを学び、対日の新たな対応を見つけ出していくべきです。日本は日本で真剣に韓国に対応していかなければならないことを学び、怒るべきことには真剣に怒ることを決意し、そしてこれまで理不尽に謝罪してきたこと、そのことに謝罪すべきだと思います。そうすれば、日韓双方、それぞれより良い発展をしていくことになり、健全な日韓関係を構築していくことができるようになると思います。

 そこで今回の徴用工に関わる対立は徹底的に対立した方がよいのだということを心に定め、特に日本政府にあってはこの問題の対韓政策にゆるぎないように、予め覚悟を決めておいていただきたいと提言する次第です。