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ウクライナ問題を機会に歴史問題および領土問題の清算を図るべき

【英語版】https://i-rich.org/?p=1410

国際歴史論戦研究所ゲスト・フェロー 日本経済大学准教授 久野 潤

 ロシアがウクライナへ侵攻してから、早や1年が経った。この間、近代史研究者の一人として、私はあらゆる場で一貫して主張してきたつもりである。両国のうちどちらが正しいかという話よりも、この機会に歴史を踏まえて我が国の国益のために何をすべきかを真剣に議論すべきだと。

 「歴史を」というのは、なにも現状を無視していいという意味ではない。現状としても、我が国は自国領である北方領土や千島列島をロシアに不法占拠されたままである。念のために説明すれば、北方四島(択捉・国後・歯舞・色丹)が大東亜戦争停戦後にソ連軍により不法侵攻および占領されたものであるのに対して、千島列島は明治8年(1875)の樺太・千島交換条約により、さらに南樺太も明治38年(1905)のポーツマス条約により、合法的に日本領となったものである。その不法侵攻に加え、シベリア抑留問題についても、戦後ソ連―ロシア側から不法拘束に対して謝罪も賠償も無いままである。すなわちロシアという国は、我が国に対して現今においても主権侵害を続けており、また法的地位を継承したソ連による遠くない過去の主権侵害を頬かむりしているのである。(さらに近代以前の侵略行為である文化露寇(1806~07)などもあるが、ここでは取り上げない)

 対ロ外交についてさまざまな意見・主張はあっていいのだが、ロシアに対する現実的な政策を考えるうえで、こうした史実や現状を認識することが不可欠であることは言うまでもない。そして、我が国の将来にわたる国益を守り、彼の国のこれ以上の横暴を認めないという国際的立場を示すためにも、ロシアによる主権侵害の事実を広く国際社会に周知する義務が日本政府にはある。否、戦後の日本政府には、それを国内的にすら周知させる最低限の努力が足りていなかったと言わざるを得ない。

 個人的経験を述べると、筆者が通っていた奈良県下の小学校では、社会科の授業で教科書と併せて『奈良県のくらし』という副読本が使用されていた。今でも憶えているのは、その中で「(奈良県に所在する)十津川村は日本でいちばん大きな村」と書かれていたことである。確かに、市販のデータブックなどで市町村面積ランキングを見る限りでは、そのように見なすのも已むを得ないかもしれない。しかし実際は、択捉島内の留別(るべつ)村・紗那(しゃな)村・蘂取(しべとろ)村、そして国後島内の留夜別(るよべつ)村が十津川村よりも大きな面積を有しているのである。執筆者に悪意は無いかもしれないが、教材出版社がそのような記述を続けること、そして公教育の場でそのような記述の副読本を使用し続けることは、我が国の領土を守るという観点からは如何なものか。逆に、ソ連―ロシア側から見れば、日本側が「不法占拠されている領土を取り戻す意思はありません」と宣言しているに等しい。筆者が後に領土問題に強い関心を抱くようになったのは、学校教育や受験勉強によるものではなく、やはり独学によるものである。

 そして、今般のロシアによるウクライナ侵攻に対しては、その「深層」究明の前に、まずもってロシアの不法侵攻に対して国際社会と共に毅然たる態度をとるのが当然であろう。さらに本来であれば、ロシアがウクライナとの戦争終結に手間取り、軍事力など莫大なリソースが割かれている現状は、北方領土や千島列島を取り戻す、少なくともその布石を打つべき機会でもある。いささか不謹慎な物言いに聞こえるかもしれないが、ではこれまで平時に平和的な手段で、少しでも領土奪還のプロセスが進んだと言えるだろうか。これはもちろん、政府だけが無為無策だというのではなく、一般国民の問題意識や歴史認識にも関わる大問題である。筆者も、経済援助や人的交流を全否定するものではない。しかし、そうした日本側の努力を経ても、80年近くにわたり領土が奪われている状況が変わらないのであれば、日本側も腹をくくって考え方ややり方を変えなければならない。

 そしてもう一つ残念なのは、こうした国益を守るために声を挙げるべきいわゆる保守層の中に、少なからずロシア擁護論を唱える論客が存在することである。言い方を変えれば、ウクライナの政治腐敗や外交失策を批判し、プーチン大統領の侵略行為を相対化したうえで、戦争発生の原因をバイデン大統領などに帰する議論である。そうした議論にはしばしば、アメリカの「ディープステート」(闇の政府)なるアクターも登場し、普段は戦前の日本を「悪」と見なすような思想をもつ論者と共闘するかのような様相さえ呈している。もっとも、こうした議論は昨年から突如出現したものではなく、たとえば「北方領土問題でロシアを批判するのは、日ロ提携を妨げようとするアメリカの思うツボだ」といったプロトタイプが存在した。しかし、こうした議論が果たして日本の国益に寄与するのか、あるいは北方領土奪還を進めるうえで何かしらのステップになり得るのか。

 かく述べる筆者は、決して「親米派」ではない。小学生時分に「真珠湾攻撃はアメリカによる陰謀かもしれない」と学習塾の先生に教わり、同時期にアメリカの圧力による輸入自由化問題などを目の当たりにしてから、アメリカという国の政策には一貫して強い疑念をもっている。そして、(主流派でない勢力が策動した一面があるとはいえ)アメリカ主導による極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で無実の日本人多数が処刑されたことは心情的には断じて許せない。

 そんな筆者でも、ロシア擁護論や「ディープステート」論にはとうてい与する気にはなれない。「バイデン政権が最初からすべて仕組んでいた」という主張の確たる証拠もなければ、そのように思い込むことが日本人にとって得策でもないからである。前述のようにアメリカという国を信用しない筆者も、日米同盟について日本側も最低限の義理を果たす必要を感じている。でなければ、仮に将来日米安保条約が解消されたとして、その次にまともな国が同盟を結んでくれないのではないか。もちろん、こうした過程で(国際的な情報戦も含めて)国際世論の理解を求める必要もあるので、現今の事態でプーチンに心を寄せることがそれにつながることは無いであろう。

 我が国の近現代史においては、特にロシア革命によるソ連成立後、常に「反米」衝動への誘惑があった。日本の本当の敵であったソ連や共産主義勢力は、自らの生き残りを賭けて日米離間をけしかけた。日独伊防共協定まではよかったが、日独伊三国同盟(1937)+日ソ中立条約(1941)により防共国策が実質的に放棄されてしまった。往時の日本外交の失敗は、軍国主義などではなく、ソ連という共産主義国家を信じて、彼の国に甚だ都合のいいタイミングと構図でアメリカ・イギリスと戦端を開いてしまったことである。結果として我が国は、仲介役まで期待したソ連に終戦直前に中立条約を破棄されて一方的に侵攻され、終戦後も侵略が続き、今も領土を奪われたままなのである。

 ソ連にこれほど酷い目に遭った歴史を、令和の日本が忘却してはならない。ソ連の後継国家たるロシアに引き続き不法占領されたままの領土の奪還も、等閑に附してはならない。大東亜戦争終戦後、千島列島北端の占守島で優勢なソ連軍相手に戦い、生き残った将兵も全員シベリア抑留の憂き目を見ながら、そのことによって北海道を守った樋口季一郎第五方面軍麾下の部隊の奮戦と犠牲を無にしてはならない。今般のウクライナ問題を機会に——といっても決して紛争状態の長期化を、ましてや犠牲者の増加を望んだりする者ではないが——いまだ返還の目途も立っていない領土問題の清算を最大限に図るべきではないか。我が国の最たる窮境に乗じた78年前のソ連による不法侵略に対する、意地悪な意趣返しではない。歴史的に平和を脅かしてきた、国際社会の正論が普段通用しない相手に対して、歴史を踏まえた正論を他の関係諸国ともども認めさせる機会ではないか。すなわち、日本政府はウクライナ問題を契機として未解決の領土問題を、その生じた経緯とともに返還の要を世界に向けて訴える責務があるといえよう。