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藤木俊一『我、国連でかく戦へり』

評者 一二三朋子

本書は、日本人が取りつかれている国連信仰・国連幻想から目を覚まさせる絶好の書である。著者の藤木氏は、「国連や国連機関がいかに無駄で無能な機関であるか、日本にとって有害であるか」を喝破し、国連のていたらくを「国内外に訴えて続けてきた」のである。

 著者の略歴について紹介する。著者は1964年生まれ、自動車用品の大手チェーンに入社後、24歳で電機メーカーを起業し、音響機器、自動車関連部品、電気機械などの製造と貿易に従事する。海外との接触・交渉を通して、日本がいかに海外から高く評価され、信頼を得ているかを知り、日本の素晴らしさを肌身で感じた。そうした体験を踏まえて、日本のすばらしさを守り、それを伝えるために保守活動を始める。2010年、テキサス親父日本事務局を創立し、テキサス親父ことトニー・マラーノ氏のメッセージを日本国内に発信する活動を開始する。テキサス親父とは、シーシェパード(米国の反捕鯨団体)に抗議したり、国連に乗り込んでいって、日本の名誉を毀損する中国・韓国・米国などに反駁する言論活動をしているアメリカ人である。テキサス親父は、藤木氏にとって、反日左翼団体との死闘を共に戦ってきた無二の盟友とも言える。2014年以降、慰安婦問題、徴用工問題などの反日プロパガンダへのカウンター活動を行うために、年4回、自費でジュネーブにある国連人権理事会に赴いている。そうした活動を通して、国内の反日左翼NGOによる国連での反日活動や、韓国、中国による反日プロパガンダの実態、人権委員会の左翼に極端に偏向した実態を目の当たりにする。こうした反日左翼団体及び国連での体験をまとめたのが本書である。

 本書の構成を概括する。

 第一章では、国連がいかに「左翼の巣窟」であるかを論述する。日本の反日左翼NGOは40年以上にもわたり国連でロビー活動を繰り広げ、国連の委員たちに虚偽の情報を吹き込んで、日本がいかに人権侵害を行っているひどい国であるかを信じ込ませてきた。その実態を明らかにする。尚、現在では中国が国連人権理事会を牛耳っているという。

第二章では、藤木氏の国連での戦いが描述される。2014年、国連に初めて飛び込んだ藤木氏と反日左翼団体との闘いの一端がうかがえる。と同時に、共に戦う同志を希求しており、そのために必要な資質についても言及する。

第三章では、いまだにくすぶり続けている慰安婦問題の背景を暴露する。慰安婦ビジネスと化し、この問題を終わらせまいとする勢力たちの実態が明らかとなる。

第四章では、中国の人権侵害・民族殲滅の実態を明らかにする。新疆ウイグル自治区、南モンゴル、バローチスタンへと、中国の弾圧・侵略は着々と進行している。にもかかわらず、国連委員たちは中国のプロパガンダを見抜けないままであるという。

第五章では、詐欺映画『主戦場』のからくりを解明する。『主戦場』が研究倫理違反であることは明白である。出演者に虚偽の説明をしてインタビューを承諾させ、そこで録画されたインダビュー動画を一方的に編集することで、保守の言論人を徹底的に貶めているのである。作成した「出崎幹根」とその指導教員である上智大学教授中野晃一が黒幕であると糾弾する。

第六章では、「子供連れ去り」問題が取り上げられる。一般的にはあまり聞き慣れない「子供連れ去り」だが、この裏には国家を破壊させる伏線が張り巡らされていることが明らかにされる。「子供連れ去り」の真の狙いは、選択的夫婦別姓から戸籍法廃止を経て、皇室廃止、即ち国家を破壊させることであるという。これまでにも反日左翼団体は、ありもしない問題を国連に持ち掛け、日本の国体や実情には全くそぐわない法律を成立させてきた。ヘイトスピーチ規制法、DV防止法、さらにはLGBT問題、アイヌ問題、沖縄問題など、反日左翼団体が国家破壊を目論んで国連を動かしてきた構図を暴く。次々繰り出される反日左翼団体の国家破壊計略に対し、藤木氏は国連人権理事会その他の人権関連委員会や会合に出席し発言してきた。まさに藤木氏の警告するところの「蟻の一穴」が開けられないためである。

 藤木氏の活動は、本来なら外務省がすべきことである。一般人が自費で国連に乗り込んで行うべきことではない。国連に一回赴くだけで交通費と滞在費(宿泊費や食費その他)など軽く40万円以上かかる。対する反日NGOは団体数も関わる人数も圧倒的に多く、出資元は不明だが、何故か資金も潤沢にあるようである。いわば多勢に無勢の、時に命の危険を感じることもある攻防の中で藤木氏は闘ってきたのである。

 ところで、藤木氏の活動の原動力とは何なのか。反日左翼団体への怒り、それだけであろうか。そこそこの幸せな安定した生活を追い求める保身ばかりの人間には、到底藤木氏の捨て身の行動は理解できまい。私財を投げうち、家族との平穏な時間を犠牲にし、命の危険と隣り合わせの中で、反日左翼団体の卑劣な言動に果敢に反撃する。

その活動の原動力は、ひたすら国を思う熱き思いであろう。国への思いとは、この素晴らしき日本、世界中から信頼されている日本を築いてくれた先人たちへの感謝と、それを次世代につなぐことで、先人たちの血と汗と涙の労に少しでも報いたい・・・。そのためには、自らの命も惜しくない・・・。それ程の気迫、鬼気迫る熱意を、藤木氏から感じるのである。

本書の題『我、国連とかく戦へり』の「戦り」、そして「あとがき」の「皇紀2680年」の「皇紀」に、日本という3000年もの長きにわたる国の歴史に対する誇りと、日本語に対する矜持を見る。

戦後、GHQたちが恐れた日本人の魂が、藤木氏を通して復活しつつあると感ずる。本書は、その復活を強力に促す本と言えよう。

一般の人間に藤木氏のように闘うことを求めても無理であろう。しかし、こうして国連と戦っている日本人がいることを知り、国連とは左翼の巣窟であることを知るだけでも、精神的武装となるであろう。そしてささやかながらも藤木氏の孤独な闘いへの応援にもなるであろう。ひいては、それが、日本の強さとなる。将来にわたり、武力ではなく、真の日本の強さとなると信じる次第である。