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国際歴史論戦研究所 フェロー
エドワーズ博美
最高裁大法廷が昨年10月25日に性同一性障害者の性別変更を巡る手術要件を違憲とする判断を示した。近隣の中学校では最近、道徳の時間に「LGBTとは何か」といった授業が行われたという。LGBT法案が蟻の一穴となってこうした判決が出てくるのは目に見えていた。また、学校現場でなし崩し的にLGBTを肯定的にとらえた教育が横行するようになった暁には、日本の伝統や価値観は壊され日本社会は混乱に陥るだろう。
イギリスのロンドンにキウィタス市民社会研究所(CIVITAS:Institution for the Study of Civil Society)というシンクタンクがある。現在社会における問題点に焦点を当て、適切な事実に基づいた情報を提供することで幅広い議論を活性化させることを目的として運営されている。CIVITASが2020年に「トランスジェンダーイデオロギーの深刻な影響(The Corrosive Impact of Transgender Ideology)」と題する論文を発表している。著者は「女性 対 フェミニズム(Women V Feminism)」等の著書があるジョアンナ・ウィリアムズ氏だ。長年LGBT思想に席巻され、様々な社会問題が起きているイギリス社会の轍を踏まないためにも、氏の論点を参考に、LGBTの中でも特にTに焦点を当てて考察してみたい。
トランスジェンダーとは
ウィリアムズ氏の論点に入る前に、トランスジェンダーとは何かについて簡単にする。トランスジェンダーとはトランスとジェンダーの合成語でトランスとは「越える」「他の側」という意味がある。では、ジェンダーとは一体どういう意味があるのだろうか。手元にある1988年出版のウェブスター辞書にはジェンダーの意味としてセックス(性)とある。もともとジェンダーはセックスと同義の言葉であり、性交の意味で使われるセックスとの混同を避けるために性差をセックスと言わずにジェンダーという言葉が多用されるようになった。
その後、1950年代に心理学者のジョン・マニーが「性別を自己認識する要因は先天性(遺伝子)ではなく、後天性(環境)である」と主張するようになり、彼は生物学的性差であるセックスと区別して行動や態度を示す言葉としてジェンダーを使った最初の人と言われる。マニーの主張を利用して1980年代に大々的に「ジェンダーは社会的・文化的に形成された性」であると主張するようになったのがフェミニストと呼ばれる人達だ。社会的に形成された性差であるから、学習や環境によって性差は解消され男女差別も解消されるというわけだ。同じ頃、男や女に拘らない、二つの性を超越するという意味でトランスジェンダーという言葉が使われるようになった。
しかし、ジョン・マニーの主張は正しかったのだろうか。マニーは8ヶ月の時に割礼手術の失敗で陰茎の殆どを失ったブルース・レイマーの親に、ブルースに性転換手術を施して少女ブレンダとして育てるように勧めた。性に対する認識は環境で培われるので、女の子として育てればブルースは問題なく女の子になれる、との期待があった。しかし、最初は成功したかに見えた事例だが、ブルースは女の子として育てられたにもかかわらず自身のことを「女の子」と自覚することは一度もなく、14歳の時に事実を告げられた。その後、自らディビッドと名乗るようになり、「性転換手術反対」を貫いている。ディビッドは38歳で自殺しているが、自然に逆らい人工的に男性を女性に作り上げようとした犠牲者と言える。
性格形成にしろ、精神疾患にしろ、以前から専門家の間では「先天性 対 後天性」という議論はあった。しかし、結論はこの二つが複雑に絡み合って性格は形成され精神疾患も引き起こされる、と言われるようになっている。性差のみ後天性であるという議論は成り立たないし、セックスとジェンダーを分けて考えることなど不可能だ。それにも関わらず、なぜかジェンダーは後天性であるから変えられるという主張が一人歩きしている。そろそろこうした矛盾に気付く時だ。
トランスジェンダー思想の問題点
前述のウィリアムズ氏はトランスジェンダー思想が引き起こす問題点をいくつか紹介している。その一つが「肯定的アプローチ」と呼ばれるものだ。子供達はいくつもの段階を踏んで成長していくが、自分探しもその一つだ。そうした成長過程において、自分はトランスジェンダーかもしれないと思う子供も少なからずいる。そんな時に大人達がそれを肯定してしまうと、子供の思い込みが固定化され後に変えることが難しくなると氏は懸念する。特にこうした子供達は自身の性に関する悩みが起きる以前にすでに社会的精神的問題を抱えている子供達が多く、10%の子供達は過去に性的悪戯の犠牲になった経験をもち、35%の子供達に中程度以上の自閉症の傾向があるという。トランスジェンダーをむやみに肯定することで、そこに隠された真の問題が見落とされ、時として子供の利益に反する結果になることもあるという。
二つ目が活動家による言葉狩りの問題だ。トランスジェンダー思想が蔓延り「生物学的に男性であっても自分が女性と思えば女性である」という主張を闇雲に受け入れた結果、西欧社会では「女性」の定義さえもできなくなっている。トランスジェンダーに対してシスジェンダー(Cis-gender)という言葉も造られた。認識する性が生物学的性と同じ人のことで、わざわざシスジェンダー(シスは「こちら側」の意)と言う言葉を新しく造ることで、生物学的女性が女性と認識することが生物学的男性が女性と認識することに比べて自然なことでも一般的でもないことを印象付けようとしていると氏は指摘する。大学では学生が自己紹介するときに「私の名前はOOOで、私を呼称するときの代名詞はhe/him(またはshe/her)です」が一般的に行われるようになってきている。これも「シス」同様に、全ての人には性認識があり外見からその人の性を憶測することはできないという考えを一般化するための試みであるという。
さらにトランスジェンダーに批判的なことをいうと「トランスフォビア(トランスジェンダー嫌悪)」というレッテルを貼られ、人権侵害者の刻印を押される。教育現場などでは人権侵害者扱いされ村八分にされることを恐れて、教授が自己検閲し自由に発言することも難しくなってきている。こうしてトランスジェンダー活動家と呼ばれる一部の人達によってトランスジェンダーに関する発言が左右されるようになり、言葉狩りが平然と行われている。まるで共産主義社会だ。言語が社会の慣習や現実を無視して、自分達の望むような社会を形成するための武器になっている。トランスジェンダーが社会に与える影響に関して、自由に発言することができなければ、いずれは思想の自由まで侵されるとウィリアムズ氏は懸念する。寛容性の名の下に活動家達はトランスジェンダーを推進するが、彼ら達の手法はあまりにも非寛容的である。
最後に、ウィリアムズ氏は被害者ビジネスの問題点についても指摘している。人々は被害者と認められることで、往々にして認知、支援、保護が得られるものだ。被害者であることは社会的資源を手に入れることであり、一種の社会的地位でもあるという。被害者文化においては、不公平を存続させ多様性を消失させるような行為は道徳的非難の的にされる。活動家たちはトランスジェンダーを被害者として紹介することに大いに成功している。左翼達が被害者を必要としているのは、それが彼らの原動力のようなものであり、それゆえ抑圧され不利な立場の人達を支援する被害者ビジネスに深く関わるという。
しかし、ある一定の被害者の地位を向上させることは社会的結果を伴うのも確かだ。それは道徳的平等性と相容れず、民主主義的文化を弱体化し、法的平等性を損なう。ある一定の人達が他のどんな人達よりも道徳的法的保護に価するということは、一般大衆の言論の自由、集会の自由、思想の自由といった権利を犠牲にしないと成り立たないからだ。性自認が女性というだけで女性トイレや更衣室の使用が許可されれば女性のプライバシーはたまったものではない。差別されてきた被害者であるというだけで特権を与えてしまえば、大多数の女性が被害を蒙る。
同性愛者たちが目指したものは、法律や国から束縛されることなく自身の性行為の自由を得ることだった。しかし、トランスジェンダー運動は違う。前述したように、彼らはトランスジェンダー以外の人達の行動を規制することによって自身の保護を得ようとしている。一昔前までは、急進的と言われる人達は国や組織の権力から自由を獲得することを目的としていた。しかし、現在、彼らは弱者を攻撃から守るという名目で大多数の人達の言論の自由さえも束縛していると氏は指摘する。
トランスジェンダーが増加した理由
イギリスにおける正確なトランスジェンダーの人数は把握できていないが、20年以上前までは40代前半に多かったトランスジェンダーが最近では10代の女の子の間で圧倒的に増えているという。性自認に問題を抱える子供達を治療するタビストック研究所によると、2009/10年に研究所に紹介された女の子は32人、男の子は40人だったのが、2018/19年にはそれぞれ1740人と624人に跳ね上がっている。10年間に54倍と15倍になったことなる。何がこうした増加に繋がったのかについてもウィリアムズ氏は分析している。
一つにはトランスジェンダーの意味が広範になったことが挙げられる。いつの時代にもトランスセクシャル(性同一性障害)と言われる人達は一定数いたが、以前ならお転婆娘や軟弱な男の子ですまされた子供達やトランスベスタイト(女装する男性)と言われる人まで一括りにトランスジェンダーに入れてしまった。二つ目は、活動家たちが同性愛者たちが長い間活動してきたLGB運動にTを付け足して、LGB運動と連動させ彼らの組織と資金源を利用したこと。さらに、活動家達の並優れた組織力を利用して大企業でロビー活動をしたこと。学校の授業、音楽、テレビ、映画などを通してトランスジェンダーを肯定的に取り上げたこと、等を挙げている。
結論
トランスジェンダー思想に長年席巻された欧米では、教育現場でこうした思想が蔓延し、子供達に感情に忠実になって自らの性は選べると教えている。そして、子供たちが自ら選んだ性自認に従って、親には内緒で子供達の名前や呼称する代名詞(He/She)を変えている学校もあるという。時として、子供達の気持ちや感情に寄り添うことは必要であるが、子供達の感情を最優先させることで子供達は安易に感情に操られるようになる。大人達が指導すべきは、感情はコントロールでき、自らの感情に関わらず正しい行動は出来ることを教えるべきだ。日本の学校現場にLGBT教育を持ち込むならば、決して美化することなく、前述した社会的悪影響があることも深く考慮して、学校現場での教育を監視していくことだ。活動家たちに子供達につけ込む隙を与えてはいけない。
さらに、欧米では未成年者による安易な「性転換手術」や「ホルモン療法」の結果、子供達が大人になって後悔している事例が数多く報告されている。しかし、一端転換したものを元に戻すことはできない。子供達がこうした性転換手術や治療の被害にあわないように、未成年者に対する「性転換手術」や「ホルモン治療」は絶対に日本で許可すべきではない。
過去四半世紀にわたってフェミニストたちに我が国の家族制度は破壊され、未婚や離婚は増加の一途を辿っている。今度はLGBT活動家達による社会破壊を許すのだろうか。欧米諸国の轍を踏まないためにも、ウィリアムズ氏の懸念を肝に銘じ、日本の伝統文化と社会を守っていかなければいけない。手遅れにならないように・・・