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国際歴史論戦研究所
会長 杉原誠四郎
はじめに
間もなく広島、長崎と、81回目の原爆忌が訪れる。本日令和8年(2026年)8月1日を期して、戦争犯罪たる原爆投下の最高責任者はルーズベルトであることを明らかにしておきたい。
ルーズベルトは真珠湾を知っていた
昨年12月、白松繫著『真珠湾攻撃 ルーズベルトは知っていた-「騙し討ち」説を覆す15の証明』(ミネルヴァ書房 2025年)なる本が出版された。
この本で、ルーズベルトは、日本帝国海軍の真珠湾攻撃を予知していたかという問題で、予知していたということが完全に証明された。
これまでは、平成13年(2001年)に出たロバート・スティネット著(妹尾作太男訳)、『真珠湾の真実-ルーズベルトの欺瞞の日々』(文藝春秋 2001年)(英語原本は2000年)で、無線士のロバート・オグが機動部隊から出てくる電波をとらえて機動部隊の位置を確認してワシントンに伝えていたことを証言している。原史料を手に掲げているオグの写真が添えてあり、ワシントンの軍幹部は日本海軍の機動部隊の位置を知っていたことが明白になっていた。
白松繫著の上記の著書では、さらに検証を加え、そして世界の関連研究書を渉猟、検討し、真珠湾攻撃(12月7日アメリカ暦)の3日前の12月4日に『シカゴ・デイリー・トリビューン』紙で1千万人動員の対ドイツの戦争計画がトップ記事で掲載され、ルーズベルトは大変な窮地に陥るのだが、実はこれはルーズベルトがチャーチルと共謀した意図的漏洩だったということがわかり、これを日本では初めて紹介したのだ。1940年(昭和15年)、戦争はしないという反戦の誓いをして大統領3選に成功したルーズベルトとしては、このような戦争計画を作成すること自体が国民への裏切りであり、これが暴露されることは、ルーズベルトとしてはまさに正真正銘、窮地に陥ることにほかならない。
これは、昭和57年(1982年)に出た、ジョン・トランド著(徳岡孝夫訳)(文芸春秋 1982年)などでは、ルーズベルトのいかにも慌てふためいた様子が描かれている。
が、この白松繫氏の本書では、これはチャーチルとルーズベルトの意図的漏洩であったとし、その目的は、日本海軍の真珠湾攻撃の後に参戦義務の生じないドイツが対米参戦に踏み切るように、そのことを確実にするためだったというのだ。
これほど大規模な戦争計画をヒトラーが知るところとなれば、ヒトラーとしてはアメリカとの戦争は不可避だと判断せざるをえない。ヒトラーは悩みに悩んだあげく、12月11日に対米宣戦布告をするのである。ルーズベルトの思惑は全て成功したことになる。
ルーズベルトの宣戦布告と無条件降伏
翌日の12月8日(アメリカ暦)ルーズベルトは、議会下院で演説した。
「昨日、1941年12月7日、汚辱の日として永久に留めおかれるであろうこの日、アメリカ合衆国は突如として、計画的に、日本帝国海軍及び空軍部隊によって攻撃された。」
そしてさらに言った。
「ハワイと日本との距離を考えるとき、この攻撃は何日も前から、あるいは何週間も前から、極秘に計画されたものであることは明白であり、その間、日本政府は、平和維持の希望について、偽りの声明と意思表示により、計画的に合衆国を瞞着しようと企てていた。」
アメリカ国民はルーズベルトのこの演説を聞き、日本は本当に無通告の「騙し討ち」をしたのだと思いこみ、火の玉のように怒った。
ルーズベルトはとしては、日本の外交電報をことごとく解読して読んでいたので、「最後通告」は日本海軍の真珠湾攻撃の始まる30分前に手交する計画であり、それがワシントンの日本大使館の事務失態によって手交遅延になったことを知っていた。が、演説ではそんなことはおくびにも出さなかった。アメリカ国民は正真正銘日本は「騙し討ち」をしたのだと思いこんだ。
そしてそれから1年と少し、1943年(昭和18年)1月、カサブランカでチャーチルと会談したとき、最後の記者会見で、あたかも口が滑ったかのように装って、「ドイツ、日本、イタリアの戦力の排除は、ドイツ、日本、イタリアの無条件降伏を意味する」と言い放った。事前にチャーチルと相談すればチャーチは必ず反対すると思い、相談しないで、あたかも口が滑ったかのように装って言い放ったのである。
これによって、戦争に負けた側は、負けたとわかっても降伏するための交渉ができないということになり、結局、第2次世界大戦は最後の最後まで続くことになり、最大限に拡大することになった。日本の真珠湾の「騙し討ち」で怒っていたアメリカ国民は、それでも無条件降伏を支持したのである。
日本には原爆投下以上に過酷な運命を押しつけようとしていた
次に問題になるのは、ヤルタの密約である。1945年(昭和20年)2月8日、ルーズベルトとスターリンとは、ソ連がドイツ降伏後2~3カ月以内に対日戦に加わるといういわゆるヤルタの密約を結んだ。翌日、この密約のことを知ったチャーチルはルーズベルトに言った。日本がこの時点で降伏しなければソ連も参戦することになると、ソ連参戦のことを日本に知らせて警告すれば、日本は降伏してこの戦争は終わるかもしれない、そうすれば戦争に関わる財物も犠牲者も大いに助かるのではないか、と。が、ルーズベルトはその申し出に、いっさい耳をかさなかった。
日米戦争は昭和19年(1944年)7月7日サイパンの陥落で、理論上日米間の勝敗は決している。というのも、サイパン陥落によって、アメリカ軍はサイパンからB29という爆撃機を使って、すでに事実上制空権を失っている日本本土に対していかようにも爆撃することができるようになり、そのことを日本に通知し認知させれば、日本は降伏する以外にはもはやないからだ。
その上で、ソ連を仲介して終戦工作を始めようとしている日本に対して、ソ連参戦の計画を知らせれば、日本は必ずや絶対に降伏するといえる。ルーズベルトはそれでも日本に降伏の機会を与えず、日本をさらに痛めつけようとしていたのだ。
この時点で、原爆開発は成功するかどうかはまだ厳密には不明な段階だった。もし開発されたらルーズベルトはそれをどう使うかは明確に言い切ることは歴史学としてできないが、ルーズベルトは、単に日本を降伏させることを目的としていたのではないことは明らかである。上記のようにソ連を対日戦に誘いながらそれを秘密にしようとしていたことは、ソ連とともに日本に軍隊を乗り入れ、日本をしてドイツのように分断しようとしていたのだとは断定できる。要するに日本を壊滅させようとしていたのだと、いわなければならない。
このことは日本にとってだけの悲劇ではない。それにつきあわせられる、アメリカ兵、アメリカ国民の犠牲も増大する。日米戦争でアメリカ兵の死者は、前述のサイパン陥落以降に半数以上が出ているのだが、つまりサイパン陥落で戦争を終結させておれば、日米戦争でのアメリカ兵の死者は半分以下になっていたはずなのだが、これでソ連兵とともに日本本土上陸作戦が行われていたら、どれだけのアメリカ兵が犠牲になったであろうか。ルーズベルトは日本にとっては「悪魔の大統領」であるが、実はアメリカ国民にとっても無用に犠牲者を拡大した「悪魔の大統領」だったということになるのだ。
これを戦争犯罪たる原爆投下に当てはめてみると、原爆投下の直接の最高命令者はトルーマンであるが、無用にも多くの犠牲を強いて原爆投下までもっていく終戦の段取りの構造をつくりあげ、実際に原爆投下となったのはルーズベルトのせいであり、ルーズベルトこそが戦争犯罪たる原爆投下の最高責任者だということになる。ルーズベルトは、日本にとっては当然「悪魔の大統領」であるが、アメリカ兵、アメリカ国民にとっても「悪魔の大統領」だったということになる。
