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【英語版】https://en.i-rich.org/archives/2857

溝口郁夫(ゲスト・フェロー)

「南京大虐殺」があったとの立場で、多くの著書を発行し続けている歴史学者に笠原十九司氏がいる。数多いた「虐殺あった派」の大方は亡くなり目下、笠原氏が孤軍奮闘という状況にある。

笠原氏は、岩波新書『南京事件』を一九九七年に出版し、二十八年後の二〇二五年に改訂版を出版した。笠原氏はこの『南京事件』のPRを兼ねて、新聞『赤旗』(二〇二五年八月十三日)に登場し、次のように述べている。

「参院選では南京大虐殺はなかったと繰り返す日本保守党の百田尚樹代表も当選しました。平気でそんなフェイク(偽情報)を広める党が台頭する日本の現状は危うく、恐ろしい。」。

このたび、笠原氏の前述の著書に、重大な「フェイク」が見つかった。その詳しい内容は、先ごろ発売された月刊誌『Hanada』(令和八年七月号)に、「岩波新書『南京事件』への重大疑惑」と題して紹介されている。

(1)文章のフェイク(改竄)

南京城内に設置された安全区内にある金陵女子文理学院で難民の保護、教育に携わったヴォートリン女史の書いた日記(十二月二十五日)を、笠原氏は出典を「ヴォートリン文書」と称して、次のように記述している(なお、初版と改訂版は一字一句変わっていない)。

A―『南京事件』の記述:「クリスマスがきた。街にはいぜんとして殺戮、強姦、略奪、放火が続き、恐怖が吹き荒れている。ある宣教師は”地獄の中のクリスマスだ“と言ったとヴォートリンは日記に書いた。(「ヴォートリン文書」)」

しかし、『ヴォートリン日記』の英文を和訳すると以下である。

B―英文原書の記述:「今日のクリスマス・ディナーで、サール・ベイツは『地獄のクリスマス』という記事を書こうとしていたと言った。金陵では、実際は地獄のクリスマスではなかった。むしろキャンパスで天国のようなひと時を過ごした。」(Google訳)

 笠原氏が多くの頁を使って解説を加えた、『南京事件の日々』(一九九九年、大月書店)に掲載されたクリスマスの日(十二月二十五日)の記述は以下である。

C:「クリスマス-ディナーのときにサール・ベイツが、「地獄のクリスマス」と題して記事を書いているところだ、と言った。実際のところ、この金陵女子文理学院ではそのようなことはない。このキヤンバスは多少なりとも天国である。」

BとCは、ほぼ同じ内容である。これとAとの違いは次の三点となる。

  • 「ある宣教師は”地獄のクリスマスだと言った”」というのは不正確であり、「サール・ベイツが“地獄のクリスマス”という記事を書こうとしていた」というのが正確である。
  • それどころか、「金陵では実際は地獄ではなかった。むしろキャンパスで天国のようなひと時を過ごした。」が原文の主意である。天国から、全く逆の地獄へと誘導しているのである。
  • 原文には「殺戮、強姦、略奪、放火が吹き荒れている」という言葉は全くない。

ところが、笠原氏は、イエール大の保存庫の片隅にあった、誰がいつ編集したか不明な「ヴォートリン文書」(整理番号・RG11 BOX145 FILE2876)に、この「殺戮、強姦、略奪、放火・・・」なる文言を見つけ出し、自説の正当性の根拠としているのである。歴史学者であれば、素性のはっきりしている一次資料の『ヴォートリン日記』を優先すべきなのである。笠原氏の主張は改竄もどきというべきであろう。

(2)写真のフェイク(改竄)

岩波新書『南京事件』(一九九七年版)に掲載された写真の原本は、『アサヒグラフ』である。笠原氏は、その写真の説明で次のように①から②へ重大な改竄を行っていた。

  • 『アサヒグラフ』(一九三七年十一月十日号)の説明:

「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群れ」(十月十四日熊崎特派員撮影)」

  • 『南京事件』の説明:

「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち 国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』(一九三八年刊行)所載」

①にあるように、日本兵は農作業から帰る女子供を「護衛」しており、これを笠原氏は「日本兵に拉致される」と、真逆に解説しているのである。

また、写真の左端に映る「農作業から帰る女子供」の表情には笑顔さえ見えるのであるが、笠原氏は、左端に「ハレーション」を付け、女子供の表情を分からなくしているのである。

これと同じ写真は、『南京事件』の二年前に出版した笠原十九司・鈴木亮共著『写真記録・日中戦争』(4巻、一九九五年、ほるぷ出版)にも掲載されている。写真には、全く「ハレーション」は見られない。

ところで、岩波書店の『図書』(一九九八年四月号)に、笠原氏はお詫びを書きハレーションにも触れている。

「『日寇暴行実録』は、私が一九八四年の夏にアメリカのスタンフォード大学フーバー研究所東アジア文庫で見つけ、上記写真を私のカメラで複写した。ハレーションがあるのは、素人の技術ゆえで、秦氏が『諸君!』に書かれたような意図的なものではない。」

この『日寇暴行実録』の原本の写真を、スタンフォード大学において複写した東中野修道氏、およびカメラで撮影した松尾一郎氏の「写真」には全くハレーションは見られない。笠原の「素人の技術ゆえ」は言い訳にすぎない。嘘を言っているのである。繰り返すが、笠原氏は「ハレーション」のない写真をもっていたのである。

さらに『図書』には、「歴史学は、史料批判を積み重ねながら、より真実の歴史像に迫っていくことが要求される。写真史料も同様に、より検証された写真を用いて歴史の真実を明らかにしていくことが求められる。」とあるが、「検証された写真」を用いていないことは歴然としている

(3)むすび

今回の『南京事件』の改竄問題は、推理作家石井竜生氏の文章への疑問から始まった。同書には、「フェイク」と判断される箇所が多々あり、今回の改竄は氷山の一角にすぎない。岩波書店への質問は、さらに継続されることになっている。

本稿では言及しなかったが、「南京事件はなかった派」(東中野修道氏、阿羅健一氏など)の著書は、笠原氏の参考文献にはほとんど紹介されない。「南京大虐殺」研究者を自認している笠原氏のような偏った史料に基づく歴史解釈が、中学生の歴史教科書などに反映されるのは好ましいことではない。

【英語版】https://en.i-rich.org/archives/2848

評者 一二三朋子(上席研究員)

本書を一読し、マッカーサーに対する印象はがらりと変わった。日本人の大多数は、マッカーサーに対して、どちらかといえば良い印象は持っていないといえるであろう。占領中、日本を弱体化させるために、日本に戦争責任をすべて押し付け、自虐史観を植え込み、日本の伝統文化など一切無視した社会改革を行い、日本人の精神性を破壊するために教育改革を行い、大規模な公職追放及び大々的な検閲を行い、日本の非軍事化を徹底するための憲法を押し付けた張本人であり、日本人を「12歳」と愚弄した傲慢な人間という印象であった。

しかし、本書は、マッカーサーの知られざる功績を明らかにする。これまであまり光を当ててこられなかった側面ではあろう。少なくとも今日の一般的日本人は、マッカーサーといえば、歴史教科書で「(写真は)見たことがある」程度の人物であろうから、今日の日本人は本書を読んでみる必要がある。

ここで、その功績を再掲すれば、①美術品などの文化財が国外に流出することの禁止、②外資の導入抑制、③医療制度・公衆衛生制度の大改革により伝染病死者を出さなかったこと、④飢餓の救済、そして、⑤天皇の退位を認めなかったこと、である。いずれも、重要でありながら、マッカーサーの功績として知っている日本人は極々少数であろう。著者も述べるように、マッカーサーの顕彰碑を建立してでも、この功績を日本人は知るべきであろう。

一方で「日本人は12歳の子供である」というマッカーサーの発言は有名であり、それがゆえにマッカーサーの日本人による評価は非常に低くなったのだ。あるいはマッカーサー嫌いを生み出したともいえる。しかし、著者は、この発言の真意を次のように分析する。つまり、日本人が純情で善良であること、それゆえに戦争に巻き込まれ、結果として負けたが、今は厳しい世界の中で生きていくためにさまざまなことを学習中であると言いたかったのであると。決して日本人を馬鹿にした発言ではなかったと、著者は言うのである。

さらに、著者は、最も重要なマッカーサー発言だとして、次のことを紹介し指摘する。それは、マッカーサーが1951年(昭和26年)アメリカに帰国して議会で述べた言葉であるが、マッカーサーは、「占領中に制定された諸法規は、占領終了後、日本の文化や文明に合ったものに修正されるであろう」と述べたのだ。つまり、マッカーサーは、占領が、主権回復後こそ、日本の独自性を取り入れ、より普遍的な改革として完成したものになっていくのだということを期待していたのだ。しかし、残念ながら、主権回復後、日本国内では、マッカーサーの期待したようなよりよい占領となるための修正はなされなかった。安全保障面でも歴史認識でも、修正どころか、負の遺産を継承し、維持発展さえさせて今日に至るのである。それらの責任を負うべきは、主権回復後も首相を続けた吉田茂であり、吉田は敗戦利得者であることを著者は剔出する。

ここまで見てきたように、本書はマッカーサーの功績や発言の真意、そして、何よりも占領の意味を知るうえで、非常に多くの切り口から、明らかにしてくれる。質量ともに読みごたえがあり、かつ、歴史の素人にも非常に分かりやすく記述されている好著である。

マッカーサーの功績や発言の真意を知ることは、吉田茂を始めとする敗戦利得者の罪深さを知ることでもある。ひいては、日本人自身がこれまでに侵してきた過ちを正し、自虐史観から脱し、本来の日本の姿に立ち戻ることにつながるであろう。戦後80年以上を経て、戦争経験がないどころか、戦争そのものへの関心が希薄となり、個人主義に埋没し、自己の欲望・欲求を満たすことこそ幸福であると信じてきた日本人が、未来の日本を、より輝かしい日本として切り拓いていくうえで必読の書といえよう。